「14番目の月」(アルバム) - 荒井由実 (1976年)
最近の音楽はつまらないよね・・・という言葉を聴くことが多い。でもみんなつまらない曲は聴いていないよね・・・(^^;。ただ近年の曲を俯瞰してみれば、少なくとも後世に残るような名曲が減った事は、どうしようもない事実だよね。セールスの多かったものでも、たった3年位前でさえも、人の記憶に残る、時代乗り越えられる楽曲がいくつあったかな~。ホントに少ないよね・・・
その分析はいろんなところで言われているけど、私は、
・マーケティングありきで、セングメント化されたターゲットにばかり向けて制作していること
・小人数でちまちま制作し、"自己満足"型の曲が多いこと
・70~80年代のように多くの"大人達の智慧"が制作に介入する割合が減少し、"等身大"とは言われるけれど、子供向け/内輪受け的な成熟度が低い楽曲が増えたこと
・そもそも才能がない人が簡単に出てきたこと(すぐ消えるしなぁ・・・(^^;)
・音楽性以前の"キャラ"優先で売れたものも多いこと
なんかが思いつきます。でもでこれら以外であまり言及されていない大切な事実があります。
それは"演奏"そのものの質が大きく変化していること。
バックトラックは80年代以降に、音も制作方法も一気にデジタル化しました。今はHDレコード、デジタル音源、シンセサイザー、シ-ケンサー、ミキサーetc、人間の手間が掛かる事がどんどん機械化されている・・・
80年代のPOPはテクノの流行もあり、"手法"としての"デジタル"を売りにしていたこともあった。でも今は、制作費の抑制の必要性からだな。だから殆どがデジタル制作なんだと言える。いわば前はちゃんした"ファクトリー"制作だったのが、いまは自宅での"ワンマン宅録"の延長みたいなもんだ。クレジット人数をみれが一目瞭然です。
制作費の抑制→狭いfan向け瞬間的セールス→利潤の減少→制作費の抑制→・・・の無間ループだなぁ(^^;
デジタルと生演奏との違いは、これは音楽の本質に関わることかもしれない。ある実験では、広域周波数の出方によってα波の表れ方がちがうと言っていた。私も、デジタル音と生演奏でははっきり違うと言い切れます。言葉では完全に表現できませんが、違いがわかります。この言葉で表現出来ないところが音楽の核心を突く命題なのかもなぁ。。。
デジタルは正確で正しいけど、音楽性とは別。クラシックの技巧優先が批判にされされているのと同じ。でも最近の音源は、ドラムも一時の機械的な正確なクリックではなく、人間のグルーブ感迄プログラミングされた。でも・・・それでも人の耳は聞き分けられるんです。それくらい”何か"が違うのだと思う。
ここにデジタルでは絶対再現できない見本のような素晴らしい作品があります。「14番面目の月」 - 荒井由実(現:松任谷由実さん)。これをデジタルで再現できるもんならやってみなさいっと言いたい(笑)。特にリズム隊の、DRUMS:Mike Baird /BASS:Leland Sklarのコンビネーションが抜群!!! 「中央フリーウェイ」のドライブ感なんて、五線譜からはみ出しそうな見えないテンションで一杯ですっ(^^)
特にLeeのベース!特にロングトーンの時は弦の震えさえ肌に感じます。音も太いし、音符に現れないグルーブ感、これは打ち込みでは再現不可能です、人間しか出せない音。生の楽器にしか出せない音。理論じゃない、人の心に響く音。
今でも、往年の"生の演奏物"が圧倒的に聞き続けられています。
結局、人は"人による演奏"を求めているんだと思う・・