某ファンサイト管理人の音楽随想記

ジャンル縦横無尽の音楽コンシェルジュ。知っておきたい名曲・アーティスト満載。全音楽ファンに捧げるちょい濃い目のBlog!

「寒い朝」-吉永小百合・和田弘とマヒナ・スターズ

2008年02月18日 | ♪国内 -女性


「寒い朝」-吉永小百合・和田弘とマヒナ・スターズ
作詞 佐伯孝夫・作曲 吉田正
1962年

 ♪北風吹きぬく 寒い朝も
  心ひとつで 暖かくなる♪

 う~ん、何という清々しい歌詞なのでしょう
それは心の潔さからくるのでしょうか。

今日はちょっとレトロ感が漂う?曲です。でも私にとっては、現代社会の病理をを浮き上がらせる試薬のような曲なのかも、思ったりします・・・(^^;

一世代前、夕陽に向かって”バカヤロー”と叫ぶような純粋な若者をお笑いのネタにした時代がありました。”お笑い”ブームですね。でも彼らは"芸人”と言われながらも大半が芸を築くことなくそのまま消えてしまいました。彼らは「真面目」とか「勤勉」とかのピュアな心を笑いという消費の対象にして、結局笑いつぶしただけのような気がします。何も生み出すことなく、人の心の荒廃させただけのような気がします・・・。

この曲はいわゆる「青春歌謡」と呼ばれた時代の曲ですね。アイドルと言う言葉がまだ存在しない時代。今で言うアイドルよりも遙かに手の届かない”スター”であり、本当の意味で「アイドル=偶像」であった吉永小百合さん・・・。この曲はその清らかな吉永さんのイメージ沿って制作されたものでしょう。

本当に清廉な心を唄った曲です。ただ私もこんな美しい世界が当時をそのまま描写たとは決して言いません。でも一方で、「パロディ」なんていう概念が未発達だった時代だし、こんな純真な歌詞を真面目に受け取っていた人達が沢山いたであろう時代であった事も紛れもない事実であると思います。

そんな「真面目さ」や、「純粋さ」を笑いつぶした時代がありました。”お笑いの形をとった、見えないイジメ”のような形で、マスメディアは日本中に”真面目さを嗤いの対象する価値観”を日本中に伝播させました。そして、真面目さや、純粋さを”ダサい”ものとして若い世代に刷り込んできたのです。心の貧しさが問題になっている現代・・・ここにはメディアの責任はとても大きいと私は思っています。

<COLEZO!>吉永小百合
佐伯孝夫,美智子皇后陛下,早坂暁,野口雨情,西沢爽,吉田正
ビクターエンタテインメント

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気になるCMから、その音楽について。

2008年02月16日 | 【徒然随想】

最近立て続けにBPOから指摘を受けている最近の民放TV。BPOの指摘を待つまでもなく、私はここ数年ずっと民放TVは明らかに歪んできているように感じています。このBLOG的に言えば、それはまるで日本の"売れている"大衆音楽のレベルの低下と同期しているかのようでもあります(^^;。でもその民放の歪み方は深刻。国民の公共物である電波を占有するメディアとして、その資質に関わる状況だと思ったりします。深層で何かが病んでいるのだと思わざるを得ません・・・。

そんな訳で私は年毎に民放を見る時間が少なくなってきています。だから当然CMを目にする機会も減少。・・・でもそんな中でも、たまたま目に入ったCMでとても気になるものがありました(^^)。今日はそれを書いて見ます。・

①堀北真希さんが出演されている、サントリー「白いなっちゃん」CMソングで流れている「初恋」!


youtubeでも試聴可能

もちろんあの今は亡き村下孝蔵さんの代表曲です。村下さんの事は以前も詳しく書いたのでここでは触れませんが、歌っているのが 


GOING UNDER GROUND

バンド名がイギリスのザ・ジャム(The Jam)の曲名から来ている事からも伺えるように、彼らの音は生々しい”ロック”系の音が中心。でも私が彼らに惹かれているのは、突き詰めて考えてみると実は(写真の眼鏡の)松本君の声のような気がしています。バンドとしての彼らには申し訳ないけれど、実は私は松本君のこんな曲をず~っと待っていたんだ。だからこの曲を聴いた時、一瞬で彼だと分かった時「そうだ、これなんだよっ」て思った。

 彼の声の持つ叙情性は実は粗いロックサウンドより、素朴なアコースティックの方がしっくりくるんだ。でもきっとそれは彼・彼らの方向性とは一致しないのだとも思います。この辺がアーティストとリスナーとの関係の一番難しい所。聴きたい音楽と演りたい音楽との相違。でも私は長年音楽を聴いて来た者の感として、松本君には、信頼の置ける誰かに身を委ね、ソロ・プロジェクトとして完璧なる叙情性フォークorアコースティック音楽を制作してみて欲しい。それは商業的成功へのアプローチという意味ではなく、新しい次元を拓くという意味です。そこから絶対新しい世界が拡がると私は確信しています。だってこの曲(2バージョンあるらしいけど)にはその片鱗が現れているのだから・・・(^^)。

COMPLETE SINGLE COLLECTION 1998-2008(初回限定盤)

ビクターエンタテインメント

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②小田急(都圏の私鉄)のCMから、ハンバート・ハンバート


【小田急は、次へ。/複々線篇】


ハンバート・ハンバート

私が大、大好きなハンバート・ハンバートがこのCM用に制作した、「待ち合わせ」という曲らしい。彼らは最近ノルエィーのアーティストのハウゴー&ホイロップ(以前の記事ご参照)と一緒にシングルを制作したらしいし、ほんと目が離せない大好きな二人組です!

どちらもご試聴してみて下さ~い(^^)

合奏
佐藤良成
PLANKTON

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マーティン・ヘイズ&デニス・カヒルのライブに行ってきました

2008年02月11日 | ♪ケルト・アイリッシュ

 


マーティン・ヘイズ&デニス・カヒルのライブ
Martin Hayes & Dennis Cahill 
2008年2月10日(日) 東京 武蔵野市民文化会館 
※そう言えばン十年前に三鷹に住んでいた私は吉祥寺は日常的に行っていましたが、
でもここは今回初めてでした。駅から遠かった~(^^;

マーティン・ヘイズ&デニス・カヒルのライブに行ってきました。いや~、事前の想像より遙かに素晴らしい内容でした!!2.2秒の音響(があるらしい)会場でのPA無しでのライブ・・・

その演奏は
崇高なまでの静謐さ
に満ち溢れ、

観客は
音楽の求道者のみにもたらされる
”神が宿るボウイング”
を目の当たりにし、

聴衆は、まるで
音色に福音を求めるかのように
固唾を飲んで聴き入っていました。

これ、本当です。

私は最初のフレーズで突然涙がこぼれました。音色のあまりの美しさに・・・。誤解のないように補足すれば、この涙は、例えば好きなアーティストを待ちわびてその登場に感動してこぼれる涙・・・つまりアーティストへの強い憧憬からくる涙では決してなく、純粋に音の美しさに感動した、音の魔力によるものです。

 

ところで、ライブで味わう感動はいくつかのパターンに集約できるかと思います。
・基本はもちろん、好きな楽曲を
生で味わう事の感動ですが、
ライブでしか味わえないアーティストおよび他の観客との音楽の共有感/一体感、
大音響による音のパワーからの圧倒感による感動、
・演出や舞台セットがもたらす五感の感動、
・超絶な演奏を生で再現される事の感動、
等などが思いつきます。

でも昨日のライブは、それらに当てはまらないものでした。
数多くのライブでもなかなか味わうことができない次の段階の感動でした。

 ちょっと変な例えかもしれません。通常水がお湯になるには”炎や火”の力を連想します。でも一方で、見えないマイクロウェーブ波が水の分子に共振し水をお湯に変える事もできます(電子レンジの原理)。昨日の彼らの音は全編を通して静謐な響きを湛えたひたすら内省的なものでした。でも私の心は二人の深い演奏に共振して、見えない炎につつまれていつの間にかお湯になっていたかのようでした・・・。

つまり、ロック演奏のように熱い炎(音の塊)が水をお湯に変えるような分かり易いものではなくて、目には見えないマイクロウェーブ波が常温の水(魂)を熱い生命の塊にまで沸点を上げていくような、”見えない炎”を味わう体験でした・・・。

 それにしても、このユニット、メインはあくまでフィドルですが、フィドルとギターと完全に不可分の音世界になっていて、それもとても不思議な世界でした。通常ギターはメロディもハーモニーもリズムも(最近はパーカッション楽器だったりするし(笑))どれも担うことができますが、デニスの場合はまず完全にメロディの役割は放棄しています。逆に、ベース音によって和音のルート感を補う事を中心に、リズムやビート感を補う役目に徹していたように思います。でも二人の音世界は完全に分子レベルで溶解して結合したかのように一つの化合物になっていましたね。

 最後になりますが、この日の満員の観客の熱い拍手喝采や、何度もアンコールを求める手拍子のコールが何よりもこの日の熱い感動を物語っておりました。

こんな素晴らしいアーティストを(損得勘定を顧みず?)日本に呼んでくれた招聘者に心からの敬意を持って感謝致します。
どうもありがとうございます!

Martin Hayes & Dennis Cahill in New Zealand

Lonesome Touch

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Live in Seattle

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『叱り叱られ』 -山口隆(サンボマスター)著

2008年02月09日 | 【徒然随想】


『叱り叱られ』 -山口隆(サンボマスター)著
幻冬舎 (2008/2/7)  1600円

圧倒的な存在感

私は正直サンボマスターの音楽はあまり聴かない。
聴けない。
でも彼の活動からは絶対目が離せない。
理由は、その圧倒的な存在感
私にとって彼は”若き哲学者”みたいな存在なのだ。

更にはなんとなく
”閉塞した日本社会の希望の人”
のような気さえしているから不思議(^^;

この本は「断絶をなくしたいんだ!」という意図の下、山下達郎、大瀧詠一、岡林信康、ムッシュかまやつ、佐野元春、奥田民生と対談したものです。 音楽的な彼・彼ら(サンボマスター)なりの企て背景もわかったりしました。もちろん、対談の中での彼の問いかけの内容の濃さ。彼がただ者ではないことを伺えます。また後日談の文章にも感動しました。この彼の文を読んで、彼は「言葉」の持つ力を十分理解し、扱える人なのだとあらためて納得しました。

きっと彼は、言葉を用いた
「感情の煽動者」
なのでしょう・・・。

結局音楽はひとつのきっかけであって、彼は今後このようはいろんな表現のなかでどんどん表に出てくる人・くるべき人なのだと私は感じています。

表紙は明らかにユニクロのセーターですね(笑)。
でも、この風貌に惑わされてはいけないのです。

 PS.唯一この本で残念だったのは・・・対談相手が正直私の興味の対象外の方が殆どだったこと(ゴメンナサイ)(^^;。(誤解無いように言えば、私の世代ではもう十分な情報をもっているという意味です)。

叱り叱られ
山口隆(サンボマスター)
幻冬舎

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「あなたの行く朝」-加藤登紀子

2008年02月03日 | ♪国内 -女性


「あなたの行く朝」-加藤登紀子
作詞/作曲:加藤登紀子 編曲:告井延隆(※)
(シングルは1976年11月21日発売)
※告井さんはセンチメンタル・シティ・ロマンスの方であり更に元は「乱魔堂」。
昔、加藤さんと一緒にハイジャック未遂事件に遭遇して話題になりましたよね(^^)

「覚悟」を迫られない時代なんだと思う。
だから、みんな
「覚悟」をしないでいい社会なんだと思う。

少年や青年から、一人の男性になる事への覚悟。
少女や乙女から、凛とした女性になる事への覚悟。

(誰でもなれる単に年齢的を重ねただけの大人ではなく)
精神的に成熟した大人になる事への覚悟。
つまり、生きている不条理、を受け入れる覚悟。

人を愛する覚悟、受け入れる覚悟。
自分をそのまま受け入れる覚悟。
仕事に就く覚悟、辞める事への覚悟。
結婚する覚悟、子供を持つ事への覚悟。
きちんと年老いていく覚悟・・・

・・・でも実際は
「何となく」毎日が流れ去って行くのだ。

「モアトリアム」の時代という言葉が話題になった。いつまでも先延ばしして自分のアイデンティティを確立しない事を指したように思う。現代は、正にそんな時代になったのだ。でも人生には受験や就職など、大きな転機や進路を迫られることは幾つかある。実は何気ない日常だってささやかな決断の連続なんだ。目覚めていつ起きるかからはじまり、何時に家を出るかとか、ね。だから実はささやかな覚悟が不断に求められているのだ。本当はそれに気がつくかどうかで随分人生が違う。

こんなに「覚悟」を迫られないでいい時代は一見楽そうである。なんとなく学校に行き、何となく就職して、何となくそれも辞めて、何となく誰かと一緒になって、何となく籍を入れて、何となく別れて・・・そして・・・なんとなく・・・そして・・・。繰り返し。全てなんとなく生きていても特に社会から表立って責められる事がないのが現代だ。

でも本当はとても不幸な時代なんだと思う。

だって「覚悟」するという事は自分を支える”杖”を持つという事。「覚悟」があれば、いつもその「覚悟」という支えは自分の内にあるのだ。現代はそれなりに豊かになった反面、心が病んでいそうな人が増えているように感じるのは私だけであろうか?もちろんその背景にはいろいろな要素が多層に織り成していて単純ではないのかもしれない。ただ、私にはこの「覚悟」を迫られない時代の空気が、却って人を追い詰めているような気がしている。他人にも拘束されない上に、自分で自分を縛る事もない人は、実は漂うだけの「根無し草」状態・・・。心はどこへでも漂い、ただ流されて行くだけだ。すがるべきものが自分の内に無いのだ・・・。

こうなったのはきっと今の大人世代がつらく厳しい事を避けてきたからだ。いやそもそも本当の意味での「大人」がとても少なくなったような気もする。・・・
・・・ここを読んでもし”ふんふん”と納得した人いたら・・?実はね、今の時代や自分がこうなった理由を「他人のせい」にするのなら、その考え方にも一因があるんだと思いますヨ・・・(^^;。

この曲は、学生紛争の余韻が残る時代の歌です。この唄の主人公は異国に理想郷を求めたのか、あるいは貧しい人々を救うためなのか、家族や恋人を残して異国へ旅立とうとする唄です。あの時代、海外渡航の費用も今とは桁違いだし、有線の電話や手紙しか通信手段がない時代、電話は高いコストのため殆ど利用する事ができない時代でした。だから異国へ行くと言うことは今生の別れに近いものがあったように思います。

この主人公は、日本を捨てる「覚悟」で異国へ赴こうとしています。途中の語りの部分で私は"泣きながら好きな歌を次から次へと繰り返し歌う"この人の「覚悟」の高さに心を打たれます。いつもここで胸が熱くなります・・・。泣けます。

余談ですが、私はこの歌詞の「あなた」がさだまさしさんの「風に立つライオン」のモデルとなった某医師といつもだぶります(笑)。もっともそれは私の完全なるイメージの世界ではありますが、でもこの方だって相当の「覚悟」を持って旅立たれたのは間違いないと思っております。この「あなたの行く朝」と「風に立つライオン」は、私の中では人の繋がりという意味で完全に一対となっております(笑)。

ps
こんなエラソーな記事を書いている私ですが、でも私も例えばBLOGをずっと続けていく覚悟を持っているかと尋ねられると・・・だったりします<おいおい(^^;。

全曲集「百万本のバラ」

ポリドール

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「The Lonesome Touch」-Martin Hayes & Dennis Cahill

2008年02月02日 | ♪ケルト・アイリッシュ


「The Lonesome Touch」
-Martin Hayes & Dennis Cahill

「ロンサム・タッチ」
-マーティン・ヘイズ&デニス・カヒル
Martin Hayes:Fiddle ,Dennis Cahill:Guitar
1997年
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この音楽は
「アイリッシュ・ミュージックの衣を纏った哲学」
なのだと思います。

 

今回はもうすぐ8年ぶり、二度目の来日公演があるマーティン・ヘイズ&デニス・カヒルの事を書いてみたいと思います。(ちなみにチケットは全てソールド・アウトです)。私も今から楽しみでなりません!!

  このマーティン・ヘイズ&デニス・カヒルですが、私がアイリッシュ音楽、ケルト音楽にどんどんはまって行った頃、彼らとこのアルバムに出会いました。かなり面食らいました(笑)。それは・・・いわゆるアイリッシュ音楽、それもトラッド系となりますとダンス・チューンとかエアーなど、パターン化された音楽の枠の中での演奏技法とか演奏のテンションとかスリルとを味わうなど、この音楽の楽しみ方の入り口が決まっていたのですが・・・でも彼らの音楽は違っていたのです。

 まるで、キース・ジャレットの
あのソロ・ピアノを聴いている時のような
不思議な感覚に襲われたのです。

いやもちろん彼らの演奏の素材はアイリッシュ・トラッドが中心であり、キースの(ソロの時の)音楽スタイルとはまるっきり違いますよ。でも伝わってきたもの、感じたものは不思議な位似たような感覚だったのです・・・。Jazz系インプロビゼーションやNewAgeに近い感覚かな。


Martin Hayes & Dennis Cahill

そう、とても
内省的だったのです
メディテーション(瞑想)的さえありました。

 

そもそもアイリッシュ・トラッド(伝統)音楽は、その発祥からして地域コミュニティのコミュニケーションの役割を担った要素が強いと思うのですが、でも彼らの演奏する「トラッド」のチューン達には、そんな平易なコミュニケーションは最初から排していました。代わりに、ここにあるのは瞑想的とでもいうのでしょうか?音楽から惹起された”内なる言葉”を介した”交信”のみが成立する音楽だったのです。それも大勢の人との”交信”ではなく、そうですね・・まるで1人、薄暗いオーディオルームでちょっとお酒を軽く嗜みながら聞くような環境で成立する、対自核へのコミュニケーション、とでも言いましょうか・・・?

つまりこの音楽の本質は
すでに”トラッド”音楽ではないのだと思います。
音楽のスタイルを遙かに超越しています。

彼ら、特にMartinの音楽は、高い精神性を表現する求道者のような世界なのだと感じます。そしてその高い精神性が音楽スタイルやジャンルを超えたその先or奥にあるものを、音を通じて私に問いかけてくるのだと理解しています。

Dennis Cahill & Martin Hayes - Kerfunken Gig

Lonesome Touch
Green Linnet

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