2月28日付けで、
『投資会社の支援で経営再建 音楽ソフト販売の新星堂』
とのニュースが流れました。
”新星堂はインターネットによる音楽配信の急激な普及などの影響を受けて赤字に陥り、今期も21億円の当期赤字になる見通しとの事”からこういう事に至ったとの事です。昨日ちょっと買い物で久しぶりに歩いた街では、新星堂ではないですが他のお店も閉店してたり、縮小してたりしました・・・。音楽販売業界の不況をひしひしと実感します。
世間的には、ネット配信vsパッケージ販売の流通構造の変化ととらえる記事ばかりが目立ちます。音楽の内容に格別の関心を持たないマスメディアはその程度の見方しかできないのはやむを得ないかもしれません・・・。でも音楽fanの私から言わせれば、事態はとても深刻だと思います。
それは音楽の質の低下をもたらしているからです。
(パッケージ)音楽マーケットの縮小は音楽の質の大幅な低下を招いています。これが音楽fanにとっての一番の問題です。例えば、最近は世代を超える音楽や後生に残る音楽が激減しています。このことからも状況は明らかです。
そもそもポピュラー音楽は
普通の消費者をパトロンとする
「現代版のパトロン制度」で
成り立っているものだと思います。
音楽のコピーやレンタル、大手中古・リサイクル店が一般化する前の70年代~80年代までは、音楽をきちんと購入し、その利益を制作サイドに還元して制作側がまたきちんと音楽を制作するという現代版のパトロン制度が成立していました。でも今は、音楽を支えるはずの消費者サイドはコピーやレンタルなどで対価を制作側に戻すことが少なくなり、制作サイドはとりあえず金になる事を求めて音楽の中身より話題になるものやアイドル物などに力を入れたり、果ては優秀なカタログまでどんどん安売りする始末。自ら循環サイクルを壊しているようなもの。また肝心の音楽の内容もデジタル音源でお安いものが大半で、聴く度にがっかりする事が多いです・・・。
もう、音楽の再生産の循環サイクルは
破綻寸前だと素人でもわかります。
昔ロック系の方々が、音楽の商業化を非難するのがかっこよかった時代がありました。でもそんなロックでさえ今まで残っているのは、実は商業ルートで制作されたものが殆どだと思います。素晴らしい音楽は、実は多くの人の意見を介して磨かれた後にリリースされたものが一定の質を保てるのだと思います。あのビートルズだって、ジョージ・マーティンが必要だったし、阿久悠さんは商業音楽の世界だからあんなに優れた作品を世に送り出すことが出来たのです。
音楽を聴くためには消費者が一定の負担をして制作サイドに資金を環流させる。それはとても大切な事だと私は思っています。私は大手が丹誠込めて制作していた70~80年代の黄金時代のような音楽が聴きたいのです。今のメジャー作品でも貧弱なものが多すぎます。まるでインディーズみたいな、稚拙で自己満足だけの音楽はもう沢山なんです。
音楽を「安ければ良い」というような感覚の消費者は結局素晴らしい音楽を遠ざけているだと思います。音楽、いや今の大衆向け芸術は全て一般大衆=消費者をパトロンとして初めて成立する「現代版パトロン制度」なのです。だから、一定の対価を制作者に還元しない限り良質な作品は制作出来なくなってしまうのです。音楽を愛する全ての者はこの点を忘れてはならないように思います・・・。ただ「安ければOK」では済まない音楽業界の現状を私は心から危惧しております・・・。