神戸・瀬戸内サイクリングの続きです
瀬戸内沿いを西へ走ってくると二見港の辺りで人工島にぶつかり道なりに橋を渡って島内へ入ります
海沿いを行くという目的で走ってきましたが島の西端まで来るとそこで道は終わっています
ここからは工場地帯が続き海沿いを走っていくのはムリっぽいですね
実際自転車道も新幹線の線路沿いに移っているみたいです
時刻は正午を回りおなかも空いてきたのでどこかで昼食にします
市街地の方へ行くとイトーヨーカ堂があったのでそこでランチ休憩に
食べながらこれからの行き先を検討、土山駅から廃線跡がありその途中に大中遺跡があって
私がそれを見に行きたいと言ったらぶりちゃんさんもお付き合いくださるとか
播磨大中古代の村 広い公園の中に竪穴住居が復元され中へ入ることも
公園内にはかつてこの辺を走っていた別府鉄道の機関車と客車が展示してありました
別府鉄道に関しては案内板に詳しくあるのでこちらをお読みくださいf^_^;
大中遺跡から土山線跡を西へ行くと明姫幹線(国道250号)と交差、しばらくは国道沿いを
少し走ると今度は別府鉄道野口線跡の遊歩道が北の方に向かって延びています
踏切跡に残されたレールがかつての沿線だったことを物語っています
加古川市役所の側にある野口線終点の駅跡 ここで国鉄高砂線(廃線)と連絡していました
駅舎もない島式ホームが1本あるだけの「日本一寂しい国鉄・私鉄の接続駅」と呼ばれていたとか
加古川市の中心部へ入ってきました ここからしばらくは国道2号を
加古川河川敷左岸を北上、ここはマラソンコースもありキロポストが立っています
台風で増水した時の瓦礫などがまだ残されたまま 堤防近くまで水が来たそうです
平荘湖近くの池尻橋でぶりちゃんさんとはお別れです 長い間お付き合いいただきありがとうございました
この辺りはトレーニングがてらよく走って来られるらしくまた機会があればご一緒しましょう
私ももうひとふんばり 小野近くまでは加古川左岸を そこから右岸に渡ります
車もそんなに通らないのどかな道です
コスモス畑が今が盛りとばかりあちこちに
この辺まではのんびりと良かったんですがまた例によってやってまいましたがね
加古川を北上し加古川線沿いを行けば黙ってても目的地へ向かう筈だったんですが
前方に橋があったもので渡るとまた左岸に戻ってしまうと思い渡らない方の道を
これが大間違い 橋の架かっていた川は加古川ではなく実は支流に架かる橋だったんです
しばらく走ると道がなくなりこれは違うと思い川沿いを橋まで戻ってきました
やれやれ元の道に帰ってきたと思ったけれどまたまたあぁ勘違い(T.T)
♪ひとつ曲がり角 ひとつまちがえて 迷い道くねくね
渡るべき橋とは違う橋でした でも元に戻ってると思い込んでるので地図を開きもしません
だいぶ走ってどうも北へ向かわず西へ向かってると気付きようやく止まって確認
さて元の道まで戻るのもしんどいしこのまま軌道修正しながら走ることにします
加古川沿いを行ってればのどかな道だったんですがこちら側は山が近いのもあり
高低差はそんなにないもののアップダウンが続きだんだん足が重くなってきます
やはりミニサイクルでの走行距離は50km前後ですかね 長距離になるとやはりしんどい
滝野あたりでようやく元に戻ってきました いらん回り道したせいもあり足はいっぱいいっぱい
加古川線西脇市駅からこちらも廃線になった鍛冶屋線の線路跡をへろへろと
日もだいぶ傾いてきていますがここまで来るとあともうわずかです
かつての玄関口西脇駅があったところまで帰ってきました
椿坂Y字路 何のことだかわからないでしょうが西脇出身の横尾忠則氏がシリーズで描いている
「
Y字路」の絵の
原点になった場所ですがこんな案内板が出来ていたのを初めて知りました
こういった分かれ道に出会った時、行く方向が決まってても もう一方の道に心ひかれることがたびたび(^^)
結局迷ったりすることがあるんですが(今日もそうだった)何か新しい発見があったりします
それが面白くてわざわざ逆の道を行ったりして… このY字路なら右へ行きますかね
西脇小学校 我が母校 昭和初期の木造校舎がそのまま残され今も現役です
新しい校舎もありますが旧校舎はほとんど昔のまま 映画「火垂るの墓」のロケにも使われたとか
家の近くの風景 田んぼが広がるだけの何もない田舎ですがここが子供時代のグラウンド
追いかけっこしたり凧揚げやゴム飛行機を飛ばして日が暮れるまで遊んでました
やはり故郷はいいですね 自分の原点がここにあるみたいで
長かった一日 ようやく帰ってきました 走った距離は100km近くになってました
走ったコースは
こちら この日はよく寝られましたわ(^^)