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のようなもの (^^;

奥琵琶湖のかくれ里 (ぶちょー)

2011-04-20 | ツーリング
先日の海津大崎の桜見物の続きです

湖岸の花見を堪能した後は琵琶湖を東へ。大浦から入江を回り込んだ対岸から先程の海津大崎の桜並木。
この日は小径車で来ているのでそんなに走るつもりもなくのんびり行こうと思ってます。

琵琶湖北端にあたるこの辺りは入江や岬を回り込むように刻々と景色が変わります。


竹生島がまた見えてきました。桜を見てきた後なので菜の花の黄色が新鮮!
なんか伊豆半島あたりの海のようです。 春の海 ひねもすのたり のたりかな (そんな雰囲気)


菅浦まで来ました。先に見える菅浦集落で湖岸の道は途絶えます。
ここから先は奥琵琶湖パークウェイを行くしかありません。


とりあえず持ってきたパンでここで朝食にします。


湖面が光って青い空に飛行機雲。あぁのどかです。ずーっとこうしててもいいくらい。(^^)

さてこれからどうしたものか。
先へ行くなら山へ向かってのパークウェイ、かといって同じ道を戻るのもなぁ。

そういえばここ菅浦はかくれ里として白洲正子さんの随筆でも紹介されています。
いつもは通り過ぎてしまうだけ、せっかくの機会なので少し寄り道をして行きましょう。


集落の入口にある四足門 かつては東西南北にあり事あれば関所のような役割もしていたとか

白洲正子さんの著書から少し引用させてもらいます。

 大浦から入りくんだ湖岸の道に沿ってゆくと、三十分余りで菅浦に着く。
 入口に村の境界の門があり(これは東にもある)、もうその辺から
 普通の村とは趣がちがう。
 二百軒たらずの寒村ながら、神社を中心にいくつもの寺が並び、
 昔はほとんど村全体が境内だったような印象をうける。
 菅浦の住人は、淳仁天皇に仕えた人々の子孫と信じており、
 その誇りと警戒心が、他人をよせつけなかったのである。
 木地師には惟喬親王が、吉野川上村には自天王が、そしてここには
 淡路の廃帝が、ひとつの信仰として生きているのはおもしろい。

                              (白洲正子『かくれ里』より)


奥琵琶湖パークウェイが出来て周辺道路が整備されるまでは主な交通手段は船だったそうで
それゆえ昔から惣村として自治がなされていたとの古文書が残されています。
(資料やらなんやらを読んで書いていますがあぁめんどくさ。興味ある方は調べてくださいね f^_^;)


山間の集落ゆえ湖のすぐそばまで家が建ち並び、防波堤なのか石垣が続いています


集落の奥のもうひとつの四足門 あくまで領域を表すだけだったのかこの先道はありません


いまだに他人を寄せ付けないかのような集落の中にあって数少ない観光施設郷土資料館
古文書や民具など菅浦に関する資料が展示してありました


のんびり歴史探訪もできたし、やっぱり次はヒルクライムですかね
この続きはまた

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