
龍珠殿の前を過ぎて、奇石博物館西側のエリアを散策。
ここは案内図だとヘリポートが描かれていた場所だが・・・しかし きのせいだった!

そのまま道なりに進んでいくと、あじろ木苑へとたどり着く。説明板が無ければ
ただの廃屋にしか見えないが、世界あじろ木同盟の結成者である植本一雄の
業績と精神を長く留めるために、彼の死後に両親によって建てられた物との事。
そんな植本一雄が、あじろ木同盟を設立した際に詠んだという歌が刻まれた石碑もある。
ちなみにこの奇石博物館も植本一雄の父親である植本十一が1971年に設立したそうだ。

その隣には、2つ目の藤棚とともに柳原白蓮の句碑も。こちらには植本一雄の弔辞に詠まれた
「天つ空に あらわれいでし 星のあり きみがみたまの ひかりとぞ思ふ」という歌が刻まれている。
柳原白蓮の句碑から左側に林を入って行くと、今度は水原秋桜子の句碑が。
水原秋桜子の句碑というと以前、城ヶ崎海岸へ行った時にも見た事があるな。

「青き霧 まぶたにすがし ほととぎす」という歌が、ここ天母山の情景に似ていたそうだ。
水原秋桜子の句碑から、さらに右奥へ林を進むと・・・なにやら謎のお堂がある。

これが、あじろ木苑の由来に書かれていた観音堂、古有閑なのだろうか?
扉の上になにやら書かれた看板があるが、なんて書いてあるのかは不明。
最後に、来る途中にあった池を見て、本館の方へ戻るとしよう。

なお奇石博物館の隣には、火葬場、清掃センター、温泉といった施設もある。濃ゆいな天母山。
龍珠殿へ戻る 奇石博物館目次 本館へ進む
ここは案内図だとヘリポートが描かれていた場所だが・・・しかし きのせいだった!


そのまま道なりに進んでいくと、あじろ木苑へとたどり着く。説明板が無ければ
ただの廃屋にしか見えないが、世界あじろ木同盟の結成者である植本一雄の
業績と精神を長く留めるために、彼の死後に両親によって建てられた物との事。
そんな植本一雄が、あじろ木同盟を設立した際に詠んだという歌が刻まれた石碑もある。
ちなみにこの奇石博物館も植本一雄の父親である植本十一が1971年に設立したそうだ。


その隣には、2つ目の藤棚とともに柳原白蓮の句碑も。こちらには植本一雄の弔辞に詠まれた
「天つ空に あらわれいでし 星のあり きみがみたまの ひかりとぞ思ふ」という歌が刻まれている。
柳原白蓮の句碑から左側に林を入って行くと、今度は水原秋桜子の句碑が。
水原秋桜子の句碑というと以前、城ヶ崎海岸へ行った時にも見た事があるな。


「青き霧 まぶたにすがし ほととぎす」という歌が、ここ天母山の情景に似ていたそうだ。
水原秋桜子の句碑から、さらに右奥へ林を進むと・・・なにやら謎のお堂がある。


これが、あじろ木苑の由来に書かれていた観音堂、古有閑なのだろうか?
扉の上になにやら書かれた看板があるが、なんて書いてあるのかは不明。
最後に、来る途中にあった池を見て、本館の方へ戻るとしよう。


なお奇石博物館の隣には、火葬場、清掃センター、温泉といった施設もある。濃ゆいな天母山。
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