早稲田大学ウリ稲門会

在日コリアンOB・OGのためのオフィシャルブログ

新入生の頃の思い出

2010-03-15 20:49:34 | 私の意見・交流・日常

李誠       1979年政経学部経済学科卒業
 
「やばい!」とつぶやいたのは、下宿に戻ってみるとドアの隙間に「朝文研」からの置き手紙がはさまつていたからでした。早稲田への合格がきまり希望に満ちた東京での一人暮らしについてあれこれ思いを巡らしていたころ、自宅に「朝鮮文化研究会」(略して「朝文研」)からオルグの電話がかかってきました。電話にでた父が「息子を宜しく」と下宿の住所をおしえてしまったのでした。

正直「在日同胞」=「日本社会の底辺」と思っていたそれまでの私にとっていかなる民族という名のつく物とも、一切関わり合いたく無いと思っていました。自身の絶対的属性を否定して、問題から逃げようとする幼い考えの持ち主でした。

断りを言う為に、法学部の地下にあった部室に出かけていきました。参加したくないと話しにいったつもりが、「朝文研」の先輩と会話してるうちに何か打ち解けてくるものを感じました。それまでの私は、身内以外の人と「同胞である」と胸襟を開き話した事がありませんでした。それ故同世代の同胞の人が何を考えているか気懸かりだったのです。諸般の事情により本名の「李」を大学入学から名乗らざるを得なくなり、精神的に動揺していたので同じ立場で気持ちを理解してくれる人がいてくれる事がうれしかったのでしょう。

「朝文研」にしばらく出入りしてるうちに一年先輩の女子学生から、「韓国文化研究会」というサークルがあるのでいってみたらとアドバイスをもらいました。
祖国が北と南に分断されている為、在日同胞も「総連・民団」と分裂している事は理解していました。まさか真理と自由を追求する大学のキャンパスの中まで、目に見えざる壁が存在しているとは驚きでした。好奇心から「韓文研」の部室を訪ねてみる事にしました。

韓文研の部室は、西門の近くに位置した政経学部の建物の二階にありました。二階部分はもともと研究室用に作られていたので、渡り廊下に面し個室が整然と並んでいました。
各個室は空手、ロックバンド、演劇といったサークルによって部室として利用され、文研(韓国文化研究会)の部室もその一角をしめあたかも学生サークルの長屋の趣でした。

手書きで「韓国文化研究会」と書かれたポスターが貼られたドァーを意を決して恐る恐る開くと、パッと窓が目に入り明るい採光が部屋全体にいきわたっていました。部屋の中心をしめる様に会議用の長い机が二つ並列に置かれ、周りを取り囲む様に折りたたみの椅子がおかれていました。右側の壁には祖国の地図が掛けられ、反対側の壁際の奥まった所に書棚が置かれスクラップやパンフなどが雑然と置かれていました。立看板やデモのとき使ったプラカードが壁にところ狭しと立て掛けられていました。

白い壁に黒のマジックで大きく「二十歳が青春の中で一番美しいなんて誰にも言わせないぞ!」(ポール・ニザン著「アデンアラビア」より)という言葉が書かれ、二十歳の春を迎えた私にとって脳裏に焼きつく意味深長な言葉でした。活動家のたまり場といった雑然とした雰囲気でしたが、昼間数万人もの人間で溢れ返る早稲田のキャンパスで畳6畳位の空間から何かを自己主張したいという若者の欲求がほとばしっていました。

奥まった場所に窓を背にして座っていたのが幹事長の李鐘権先輩でした。頭をデビューした頃の石原裕次郎のように裾を刈り上げジャケットを着、黒の書類鞄を携え学生というより職業活動家といった印象がしました。初対面の私に笑顔で「よく来たね!」と話しかけてくれました。李鐘権先輩は商学部の4年生で、理工学部の裏にあった当時はまだアニメの「トトロ」の様な情景だった再開発前の戸塚町の小高い丘の上の下宿に住んでいました。一度お邪魔した事がありましたが、当時高校生が体育の際着用していた白の木綿のウェストにゴムがはいったヨレヨレの長ズボンをはき、裸足で先輩の好きなジャズを聴きくつろいでいたのが印象的でした。
喜怒哀楽が少なく寡黙な方でしたが愛知県出身という事で、三河弁なまりで話され人柄どうり実直さと朴訥さが全てに漂っていました。正に地方出身者のルツボ早稲田を代表し「よき昭和」の香りを感じさせる先輩でした。

文研に行きはじめて、最初にお世話になったのは理工学部建築学科4年の李永根先輩でした。東京出身で全体としてスマートな方で、最初少し冷めた印象を感じました。時間がたつうち李永根先輩はとても親切で思いやりのある方だと判り自分の誤解を恥じました。

私が一年生の春休みの時、先輩と同じ研究室で韓国から留学に来た金さんという年配で苦学してらっしゃった方の卒業論文造りに協力した事がありました。私は先輩に頼まれ一緒にお手伝いし金さんから感謝された事を覚えています。ご自分の卒論作りもありいそがしい時間をさいてまで困っている同胞を手助けするのをみてこの人は本当に同胞を愛し思いやりの気持ちを持っていると思いました。

大学入学を契機に本名を名乗り始めた私でしたが、在日同胞としての内実がともなっていませんでした。北も南もなく大学で出会った同胞の人達のおかげで民族についての問題意識を持てるようになり、今までの否定的な民族への考え方を改めるきっかけになりました。1億2千万人もの人が住む日本の中で孤立して生きているわけじゃないと考える様になりました。

大学は卒業をもって終了しましたが、早稲田韓文研の同窓生としての私は半永久的に続きます。改めて先輩諸兄、同級生、後輩達に民族について覚醒させてくれた事を感謝します。
みなさん!あの時に戻る事はできませんがあの時を振り返る事はできます!
再会した際は一杯やりながら楽しく歓談しましよう!
信州より愛を込めて♡


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