早稲田大学ウリ稲門会

在日コリアンOB・OGのためのオフィシャルブログ

2008年納涼会のお知らせ

2008-06-30 21:05:02 | 各支部・分科会の近況

鬱陶しいジメジメ梅雨の季節ながら、そろそろ海や山が恋しい季節となりました。
皆様におかれてはお変わりなくお過ごしのこととお喜び申し上げます。

さて早速ですが、今年の納涼会が来る8月23日大安(土曜日)夕刻・於東京都港区に決まりました。
去年の東京湾クルーズに続き、今年はハワイアンムード炸裂嗜好で強行突破することに相成りました。
皆様には近々にも郵便にて詳細をご連絡申し上げることになっておりますが、もっと早く詳細を知りたい、手違いでいつまで経っても郵便が来ないなどの学兄はドシドシ役員(という名の公僕)までご連絡くださいますように。

今年ももう半分が過ぎました。各自楽しい夏の思い出を胸に皆様と再会できる日を楽しみにしております。(ブログ作業員)


早稲田大学に通う在日同胞現役学生のみなさんへ

2008-06-16 19:23:12 | 早稲田大学に通う在日同胞現役学生へ

在日同胞現役学生のみなさん、私たち早稲田大学ウリ稲門会はかつて早稲田に学んだ在日同胞、現在早稲田に学ぶ在日同胞の親睦団体です。 もちろん南北のわけ隔てはなく、日本国籍の会員も少なくありません。
日々、旧交を温め、そして新しい出会いを準備する、そういう環境を設営しています。

みなさんは充実した学生生活を送られていることでしょう。そこに早稲田大学ウリ稲門会というオプションを加えてみませんか?
早稲田に学んだ在日同胞の先輩・同級生・後輩、この関係は人生においてかけがえのないものになります。

私たちはみなさんと会える日を楽しみにしています。ところが、行事の案内をしようにもごく限られた人にしかできないのが現状です。
みなさんのアクセス先・連絡先を教えてください。よろしくお願いします。

それでは。すばらしい学園生活を祈っております。(役員会)


私のターニングポイント

2008-06-13 22:48:54 | 私の意見・交流・日常

 浩美
6月7日(土曜日)、新宿の明月館にて行われた「ウリ稲門会」に出席させていただいた。
今回が初めての出席である。

「ウリ稲門会」は早稲田大学の「韓国文化研究会・朝鮮文化研究会」が母体であると思われるが、私の、在学中の両研究会との関わりは薄く、今回の出席に際しては皆様に失礼ではないか?との思いが頭をよぎった。けれども、学年が近い朱茂さん(今回の稲門会に誘ってくださった。)や同学年の大城富男くんに再会できる嬉しさから、そのような思いはどこかに隠れてしまい、ひと月位前から、わくわくして楽しみにしていたのであった。どうか、ひと月の間に年を取ったりしませんように・・・などと願いつつ。

5時ころ、朱茂さんに連れられて明月館に入る。やはり胸はどきどきしている。部屋にはすでに白東沢さんがお座りになっていらっしゃった。きれいな白髪に、穏やかなお顔。幼いころ可愛がってもらった母方の祖父に似ているかも・・・姓も同じ「白」だなあ、などと考えている間に、三々五々、顧問や先輩の方々が来られる。
「ああ、このような時、何をお話したらよいのだろう?」と頭を巡らすが、大学時代ほとんど勉強しなかったつけが今またやってきて、言葉が浮かばない。韓国語のご挨拶くらいできないと顰蹙を買うのだろうか。心がジリジリしてきた。救いを求めて朱茂さんの方に目をやると、「この辺に座ってて。」との冷たい(?)お言葉をいただいた。
やがて同期の大城くんが現れる。今回初めてお会いする、他の世代が近い方たちも集まられ、ようやく少しだけど緊張がほぐれてきた。

顧問の方々を始め、お集まりになられた先輩方の多くが、お年が60~70歳代という事である。恐らくは、数々の苦労を経験されながら大学時代を過ごされたはず、いや、ご卒業されてからも今の私たちとは比べ物にならない多様な人生を歩まれてきたはずである。どの方も十分な貫禄をお持ちになり、ある種のオーラさえ感じ取れる。「やっぱり、早稲田はすごい!(在日)韓国人はすごい!」などと悦に入った。

いくつかの議題がこなされ、会食が始まるまでおよそ2時間であった。1時間を過ぎたあたりからとたんに集中力が途切れてきた私は、ああ、やはりご迷惑な存在ではないだろうかと、何か身の置き所がないような思いにとらわれた。しかしながら、出席されている方々の静かだけれど熱い語り口や真剣なご表情に接していると、否でも応でも自分のアイデンティティに触れることとなる。
東京生まれの在日3世。大学までは日本の学校。韓国語はわからない。早稲田に入り、初めて本名で通学。韓国には行ったことがない。・・・これらは外側のアイデンティティ。
私は、1980年に早稲田大学政治経済学部経済学科に入学。ほどなくして何人かの韓文研の方々と知り合いになった。自分と同じような思いをしてきた人がいたのだ、という安堵感、そしてある種の解放感を覚えた。心の一部を優しくなでられた気がした。
やがて大学生活に慣れ、テニスサークルに入り、日本人の友人が増えてきた。本名を名乗っているがため、周囲には在日である事を説明せざるを得ない。「韓文研って何?」と尋ねられたりもした。ちょっと鬱陶しかった。と同時に、これから先も韓文研と関わるという事は、「在日」というカテゴリーにはまりすぎるのではないか?と懸念するようにもなった。
とにかく、色々と自分で理由をつけた結果、韓文研からは足が遠のいていったのである。

卒業後は日本企業に就職した。結婚後は専業主婦として子育てをし、ここ数年の間にはいくつかの職業を経験してきた。いつの間にか、周囲に対し「在日」を説明することは、以前ほど鬱陶しくなくなっていた。
特にここ最近、私にとって、このアイデンティティは至極爽やかなものである。自分の夫も在日韓国人であるし、パスポートは韓国のものである。相変わらず韓国語はわからない。つまり外側のアイデンティティに変化はないのに、である。

日韓ワールドカップの開催や韓流ブーム等の影響で、日本人の(在日)韓国人に対するハードルがかなり低くなり、こちらが自分の出自に多くの説明を加えなくとも、相手がそれを理解してくれる確率が高くなったことも影響しているはずである。だが、一番の要因は、私自身の心(内側)のアイデンティティの確立。いや、確立なんてまだまだで、アウトラインくらいかもしれないけれど。

最近、縁あって、以前やっていた韓国料理の教室を再開することになった。もう7~8年前になるが、当時は色々な事に行き詰まり疲弊して教室をやめたのであったが、今回はなんだかかなり面白い。大げさだが、人生って楽しい、生きていて良かった、とも思えてくる。単純な自分にあきれてもいるけど。
これまで47年間、晴天あり嵐あり、様々な出来事があった。どの場面も私にとっては至極大切であるが、その中に大きなターニングポイントがある。今回の稲門会参加により、形が顕わになった。韓文研の方たちとの出会いである。私のアイデンティティは、ある意味、早稲田大学に入り生まれて初めて本名を名乗る、という決心に作られたものである。だが、自信を保ち4年間を過ごせたのは、入学当初に先輩たちと知り合えたからではなかったか。あの時に優しく包んでもらったからではないのか。今再会し、忘れ物に気付いたようである。在日だから涙し考えた、在日だから思いやれた、在日だから喜び知り得た・・・こんな事がいっぱいあったのだ。

ひと月ほど前、高校時代の部活の同窓会があった。何人かに、「仕事は何をやってるの?」と聞かれた。「うん、料理教室の講師を再開したところ。」「何の料理?」「韓国料理だよ。」ここで、ちょっと間があく。だって高校では日本人のはずだったから。満を持したように「私、在日だから。」と言った。・・・私にはみんなの反応を楽しむ余裕があった。

2008年6月12日 優しい皆様に感謝しています。