早稲田大学ウリ稲門会

在日コリアンOB・OGのためのオフィシャルブログ

2018年納涼会・奨学生証授与式 開催日決定!

2018-06-27 00:03:32 | 私の意見・交流・日常
日時:9月27日(土曜日)夕刻より
会場:新宿明月館
 
会費や詳細な開宴時刻等はこれから検討し、決まり次第ご案内します。
会員のみなさま、とりあえずはお時間をあけておいてくださると幸甚です。
よろしくお願いいたします。
 
会長  河相淳

春に母校で思う/早稲田雑感

2018-06-24 23:31:05 | 私の意見・交流・日常
朴魯善
 
 5月12日土曜日、今朝の日本経済新聞最終面(文化欄)に早稲田大学歴史館が大きく紹介されていた。「早稲田大学は中期経営計画に『キャンパスのミュージアム化』を盛り込んでおり、歴史館もその一環」との文化推進担当理事・李成市学兄の言葉も記事には含まれていた。李学兄からは2か月ほど前にご教示いただいていたので、春の懇親会に合わせた3月24日、私は歴史館を訪問してから会に参加しようと早めに母校に赴いた。

 東西線の早稲田駅からかつての早稲田実業の方に折れ、つまりメルシーの前を通って、新しい学生会館の脇から大隈講堂前のロータリーに出る。常にたどる狭い道から視界が開けたとき、いつもと違う光景に、私はいささか面喰らった。おびただしい人、人、人。「ああ、今日は理工の卒業式であった」とすぐに気づきはしたのだが、記憶を辿ってもピッタリ30年前の自分の卒業式の映像と重ならない。そもそも私は卒業証書をもらいに行っただけだし、式には大幅に遅刻した。

 「中退一流、留年二流、4年で卒業ただの人」。タモリ等、メディアで活躍する人に中退者が多かったことから、私が通っていた当時の学生は、大多数が4年で卒業するにも関わらず、無頼をきどってそううそぶいていた。その言葉の通りなら、1983年に入学し1年留年して1988年に卒業した私は「二流」の「早稲田マン」ということになる(卒業式にわざわざ遅刻するなど、まったくもって「二流」らしい「粋がり方」で、今となっては恥ずかしい限り)。先日、幹事の間で「早稲田マン」という言葉は一般的に流通していたのかとネット上で議論になったが、決めゼリフを「肩で風切るオイラは早稲田マン」とする戯れ唄を、早大学院出身の同級生が入学時のコンパで唄っていたのを記憶しているから、慶應ボーイに対抗する呼称としてあることはあったのだろう。しかし、大隈講堂を尻目に、正門から歴史館に人をかき分けて進むにつれ、ライバル校ほどに一般化しなかったその呼称も、今となっては「死語」に違いないと思うにいたる。かき分けた人の波が、理工の卒業式だというのに、女子でいっぱいだったからである。

 歴史館に展示された建学当時の写真に映る学生の中には、追いはぎと見紛うなりをした者が多数いた。今日ではこれも死語なのだろうが、「バンカラ」をかろうじてパブリックイメージとしていた30年前の早稲田は、文学部と教育学部の一部の学科を除いて「男」ばかりだった。もちろん、単に校風だけの問題ではなく、社会的な背景があることは承知しているが(男女雇用機会均等法が施行されたのは私が大学3年の1986年4月)、早稲田といえば「マン」だったのだ。

 それがどうだ、今や「勢力図」は塗り変わった。校友会から送られてくる早稲田学報には「ワセジョにいいね!」という連載コーナーがある。当会の準会員である学生生活課課長 関口八州男氏から「近年、成績上位者はほとんど女子」と聞いたこともある。考えてみれば、当会に参加する在校生たちだって男女のバランスが当たり前に取れている。もうむさ苦しい大学ではないのだ。

 加えて、卒業生と父兄でごった返すキャンパスを逍遥していて気づいたことがある。あらゆる人種の卒業生が、その父兄とともに卒業を喜び合っていた。ハッとするほどに留学生がいたのだ。昨年の総会で祝辞をくださったダイバーシティ担当・畑惠子理事のお話を思い出す。前述の関口氏も、現在は学生生活課課長の他にスチューデントダイバーシティセンター課長を兼任している。早稲田は本気なのだ。

 もうひとつ、強く印象に残った情景について記しておきたい。目的を果たし、懇親会会場リーガロイヤルホテルに向かうため、キャンパスの喧騒からいくらか隔てられた、といっても普段よりは人の多い大隈庭園を横切っていたときのことだ。大隈講堂の写真を撮ろうと思って振り返る。幼児が駆け回り、きらびやかな晴れ着や慣れないスーツを着た若者たちが遠くで笑い合っている庭園で、ヒジャブを巻いたイスラムの女性が、静かにそして穏やかに祈りを捧げていた。それは、とても美しい平和な春の情景だった。大げさかもしれないが、私はシャッターを切りながら感じた。「世界はこうあるべきだ」と。

 なりふりかまわず「憎しみ」に溢れかえる今日だからこそ、母校には多様性とダイバーシティの砦になってもらいたいと切に願う。そんな母校であれば、もちろんのこと喜んで末端に連なっていたい。「早稲田はそうあるべきだ」心からそう思うのだ。


春の懇親会」会長挨拶 2018.3.24

2018-06-24 23:26:54 | 私の意見・交流・日常

みなさん、アンニョンハセヨ!

会長の河相淳(ハ・サンスン)です。 

本日は年度末という時期にもかかわらず、多くの方にお集まり頂き感謝申し上げます。

母校では卒業式の時期であり、新年度の入学式を控え、ご多忙の中ご参席いただいた母校の李成市理事、また遅れても参加を予定しております関口学生生活課課長には改めて深謝申し上げます。

本日は、若い在校生が多数参加されており、最近「ウリ稲門会って何をしてる会なんですか?」という素朴な質問もありましたので、私から当会の概略を説明したいと思います。 

まず、我々の歴史は、111年前の1907年に結成された「早稲田大学朝鮮留学生同窓会」にさかのぼります。日本植民地下の1919年の3.1独立運動の先駆けとなった東京の2.8独立宣言に積極的に参加されています。活動の詳細については、本日は割愛させて頂きます。87年前の1931年に「ウリ同窓会」と改称されましたが、戦後は祖国の南北分断もあり、若干の空白期を経て、51年前の1967年にほぼ現在の形となりました。永い歴史を持った集まりであるであります。 

また、母校には120名以上の在日コリアンと、日本の国籍を有しながらも、コリアをルーツとした多数の在校生がいます。韓国からの留学生も1000名ほど母校で学んでいます。最近の傾向といたしまして、留学生の半数以上が卒業後も日本に在留しています。これら、母校の在日コリアンの稲門会は唯一当会のみであります。 

従いまして、当会は「我々=ウリ」という名前のとおり、原則、早稲田で学んだコリアンであれば、国籍や卒業の有無にかかわらず、誰でも参加することができます。また、当会は、思想、政治信条、宗教の違いを超えて交流をはかる場であり、純然たる親睦会であります。

早稲田を巣立ち、日本に定住しているコリアンは当会に所属し、韓国に帰国した留学生は韓国にある「早稲田大学韓国校友会」に所属します。現在早稲田に学ぶ留学生は、在学中は「韓国人学生会」として活動しており、この3団体は交流を持ちながら、友好関係にあります

活動としては、主として、春・秋の懇親会、ゴルフ早慶戦、忘年会、新年会等をしております。また、我々は在日同胞在校生を対象に奨学事業基金を4年前に設立し、大学当局の方々の協力も得て、この3年間で18名に一人当たり40万円の無償の奨学金を支給しました。

  永い歴史を有していること、在日コリアンの同窓会としては唯一の稲門会であること、純然たる親睦会であること、これが当会の概要であります。  

  本日は若い方、ご年配の方、皆様が有意義で楽しく過ごせますことを期待しまして、会長の挨拶とさせて頂きます。


2018年度 ウリ稲門会「春の懇親会」開催!

2018-06-23 23:41:46 | 総会のご報告

1953年の統計開始以来、東京では3番目の早さで桜が満開に咲き誇った3月24日、恒例の「早稲田大学ウリ稲門会 春の懇親会」が、母校に隣接するリーガロイヤルホテル東京で開催されました。この日は、大隈講堂で理工学部の卒業式が執り行われており、本部キャンパスの大隈銅像から正門、そして講堂にかけてはごった返すほどの人の波。母校周辺は春の活気に満ちていました。 

 今回の「春の懇親会」の目玉は弁護士の殷勇基学兄の講演。タイトルは『在日と「国籍」血統主義・複数国籍・「帰化」』。河相淳会長の挨拶(別掲)に続いて登壇いただいた時には、用意したレジュメ・椅子がまったくもって足りず、終盤にいくつも挙がった質疑の手に答えていただく時間も当然に足りるはずもなく、こちらも「人の波」に大わらわの盛況となりました。

 講演の後は隣の部屋に移って懇親会となります。最初に、来賓を代表して当会会員でもある李成市母校理事から祝辞をいただきました。本部キャンパス1号館に新たに作られた早稲田大学歴史館の館長である李理事は、その歴史館に在日コリアン同窓会の100年以上に及ぶ来歴が紹介されていることに触れながら、その末裔である私たちが、今日この場に集っていることの意義を強調されました。

   そして、直前会長である金君夫顧問による乾杯のご発声が続きます。場はすっかりなごみ、世代をまたがる同窓会の本領が発揮されます。今回は4月から早稲田に進学する、まだ校歌も憶えていない、でも「聴いたことはある」という18歳の若者までもが何人か参加していましたから、簡単に「世代をまたがる」と申しましても、その「またがり方」は過去に例のない前人未到のものとなりました。

 お酒とともに久しぶりに顔を合わせる学兄の会話もひとしきり弾んだ頃、劉礼順さんのミニコンサートが始まります。会場はすっかり華やぎ、あげくに数日後に卒業する在校生が宙返りを披露するにいたる等、顔がほころぶのを禁じ得ない親密な空気に包まれます。しかし、残念なことに時間は過ぎます。朴淳徹副会長の閉会のあいさつに続き、卒業式を終えて駆けつけてくれた母校学生部 関口八州男学生生活課長のリードで校歌と応援歌「紺碧の空」を合唱。これから入学する若者たちに「手本」を示しながら、「春の懇親会」はお開きとなり、例のごとくにほぼ全員で二次会に移動、またとない宵をともに慈しみました。