早稲田大学ウリ稲門会

在日コリアンOB・OGのためのオフィシャルブログ

編集後記

2012-06-03 15:10:51 | 新聞編集後記

それにしては長い編集後記

 あの日から1年が経ちました。2011年3月11日午後2時46分、あの日あの時、みなさんはどちらでどうされていましたか?
 私は妻とともに、山形蔵王に向かう新幹線の車中、栃木県の小山駅を過ぎたあたりにおりました。当然に新幹線は止まり、夕暮れ時までの3時間を高架上で激しく揺れ続ける車両に閉じ込められておりました。電話も一切つながらず、ただならないことが起きたようだと想像はするも、状況を把握できないまま度重なる余震にただただおののいておりました。
 送電が止まり、空調が利かなくなって異臭を漂わせ始めた新幹線からようやく解放されると、線路を歩いて小山駅に向かうようにうながされました。小山駅前は真っ暗、停電です。心底、寒かった。途方に暮れていると、少しやんちゃそうな青年が闇の中から味噌汁を差し出しました。「あったまってください」と。駅前の居酒屋がガスの明かりで炊き出しを始め、ロータリーで行き場を無くした人たちに振る舞い始めたのでした。私たち夫婦は小山第二中学校剣道場に避難するよう誘導され、そこに荷をおろすこととなりました。剣道場の天井に張られたワイヤーたちが、止まない余震で一晩中シャンシャンと音を立てていました。底冷えする避難所で流しっぱなしになっていたラジオから、初めて「壊滅的被害」という言葉を聞きました。
 避難民として一夜を過ごしたものの、鉄道が復旧する見込みはなし。大宮から北は電車が当分走らない、今日明日の話ではないというのです。ラチがあかないので、冒険に出発することにしました。荷物を背負って大宮を、そして自宅を目指しました。大宮までの距離は51.8km、自宅までは105km。情報はIPadがあるから大丈夫ということにして・・・。
 途上、東武線が動き出すだろうと目的地を少しは近い南栗橋に変更。18km歩き、疲れ果てていたところに地獄に仏、野木に住む小林さんという方が、休憩していた私達を見つけて車に乗せてくれた。本当に親切な人でした。映像を見ている小林さんから、あらゆるものを飲み込んだ津波の恐ろしさを車中で教えてもらいました。南栗橋駅に目論み通り東武線北千住行きがやって来る、電車に乗れました。隅田川に近づき、634mに達した東京スカイツリーに迎えられて、心から安堵した次第です。
 帰宅して、散乱する我が家を整理、アボジを呼び、こうしていられることに感謝し、一杯やって肩の力を抜きました。そして、アボジとはそのまま同居を始めました。昨年11月27日に90歳で大往生を遂げたオモニは、当時、病院に入院しておりましたので、ある意味もっとも安全だったのかもしれません。(葬儀に参列いただいた先輩のみなさん、本当にありがとうございました。)
 もちろん、今回の震災でも、阪神大震災でも、私の経験など取るに足らないはるかに過酷な被災をされた学兄がいらっしゃるでしょう。また、それぞれに言い尽くせない経験をされたでしょう。被災された方々に心よりお見舞いを申し上げます。そして、ご無事でしたか?(魯善)


第20号「稲門会ニュース」編集後記

2011-08-06 22:16:57 | 新聞編集後記

3月11日金曜日、午後2時50分、19階。収まらぬ揺れに、足がすくみ、血の気が引いてゆく。
夕刻、非常階段を降り、人の河となった道をひたすら歩き続け、家にたどりついてさほどの被害もない事にほっとしてテレビのスイッチを入れた瞬間飛び込んできた津波の映像。目を覆うとはこのことか。
続けて福島原発冷却装置損傷の報道。そして、爆発。シーベルト、ベクレル、セシウム、ストロンチウム。
元素記号の暗記に挫折した高校時代を悔やんでも遅い。
大地震は頭の隅で想像していたものの、原発事故や放射能災害までは考えていなかった。原発安全神話を信じるほどナイーブではないとうぬぼれていただけだった。
原発のことは何一つ知らなかった。自らの不明を恥じるばかりである。
韓国も既に原発の依存率は高くなおも増基を図っているという。
地震による事故の可能性は低いのかも知れない。が、ひとたび事故が起これば取り返しのつかないことになる。
放射能の管理や使用済み燃料の処理に大きな課題をかかえた、いわば生煮えの技術でしかない原子力発電に依存した繁栄は果たして持続可能な繁栄といえるだろうか。
刹那主義といわれても仕方のないものではないか。
そして近年声高に叫ばれた自己責任原則という謳い文句は今、電力業者や行政にどのように響いているのだろうか。(編集長 朱茂)


第19号「ウリ稲門会ニュース」の編集後記

2011-01-05 23:23:42 | 新聞編集後記

前号からあっという間に9ヶ月がたち早くも年の瀬になってしまいました。
この間当会におきましては春秋2回のゴルフ会や納涼会、拡大幹事会などを開催し順調に親睦を深めて参りました。
母校の運動部も野球、ラグビー、アメフト、駅伝など卒業生を大いに楽しませ、相互親睦の話題を提供してくれました。

しかしながら翻って祖国をめぐる情勢に目を転じますと、延坪島での民間人を巻き込んだ砲撃事件やその後に行われた韓米、米日による合同軍事演習など、予断を許さない状況が続いています。
リーマンショック以降世界経済の構造が不安定化し、パワーバランスに一定の変化が生じ始めていることも一因かもしれませんが、わが祖国が依然として軍事的緊張の最前線であることを改めて思い知らされることになりました。
ここで多くを語ることは控えるべきでしょうが、60年前の悲劇は二度と繰り返してはならないということだけは確かに言えるのではないでしょうか。

事さまざまに不安定な時代ではありますが、こんな時にこそ同窓会に集い語らうことが心の糧になるような気がします。
皆様にとりまして2011年が平和で実りの多い一年となりますよう、またウリ稲門会が益々発展いたしますよう謹んで祈念申し上げます。(編集委員 朱茂)


第19号「ウリ稲門会ニュース」の編集後記

2010-12-18 22:43:05 | 新聞編集後記

前号からあっという間に9ヶ月がたち早くも年の瀬になってしまいました。

この間当会におきましては春秋2回のゴルフ会や納涼会、拡大幹事会などを開催し順調に親睦を深めて参りました。
母校の運動部も野球、ラグビー、アメフト、駅伝など卒業生を大いに楽しませ、相互親睦の話題を提供してくれました。

しかしながら翻って祖国をめぐる情勢に目を転じますと、延坪島の砲撃事件やその後に行われた韓米、米日による合同軍事演習など、予断を許さない状況が続いています。
リーマンショック以降世界経済の構造が不安定化し、パワーバランスに一定の変化が生じ始めていることも一因かもしれませんが、わが祖国が依然として軍事的緊張の最前線であることを改めて思い知らされることになりました。
ここで多くを語ることは控えるべきでしょうが、60年前の悲劇は二度と繰り返してはならないということだけは確かに言えるのではないでしょうか。

事さまざまに不安定な時代ではありますが、こんな時にこそ同窓会に集い語らうことが心の糧になるような気がします。

皆様にとりまして2012年が平和で実りの多い一年となりますよう、またウリ稲門会が益々発展いたしますよう謹んで祈念申し上げます。(朱)


ウリ稲門会ニュース第18号 編集後記

2010-03-31 20:39:35 | 新聞編集後記

今年の受験シーズンも終わりましたが、ちょっとショックな記事がありました。我らが母校早稲田大学が志願者数NO.1の座を明治大学に明け渡してしまったというのです。

不況のせいで、記念受験が大幅に減ってしまったのでしょうか。 ダブル合格ならライバル校に入学という話も随分前から耳にします。学校当局もいろいろ対策を講じられているようですが、そろそろ我々卒業生もこの流れを真剣に受け止めるべきでしょう。

かっこいい芸能人とクラスメートになれそうとか、OBの結束が強くて就職に有利そうとか、国立は学費が安いとかいう事で、まわりの高校生が他大学を受験される傾向を皆さんも感じておられることでしょう。そういう利点は早稲田には無いのかもしれませんが、早稲田にはそこで過ごした者にしか味わえない滋味があるのではないでしょうか。

一生噛んでも噛んでも味わいつくすことの出来ない摩訶不思議な滋味が。

この時代、滋味なんて代物に金かけてられるかという声も聞こえてきそうですが、ウリ稲門会の皆さんにはよくわかっていただけるお話だと思います。来年は周りに受験生、なかんずく同胞受験生がいたら是非母校の受験を勧めましょう。(朱茂編集長 記)


編集後記

2009-08-23 09:30:32 | 新聞編集後記

今回巻頭では第5回定期総会をお伝えしましたが、現役学生との交流に関わる記事や投稿も負けず劣らずメインを飾っても良いくらいのものだったのではないでしょうか。

第14号のこの欄で現役学生との関わりを特集すると予定をお伝えしてからずいぶん時間がかかりましたがようやく実現しました。
いままでも現役学生の皆さんの参加はありますが、多くが会員のご子息や親類縁者でした。しかし、このたびの交流は学内インターネット掲示板にウリ稲門会の紹介文が載ったことがきっかけです。
この掲示板をみた見ず知らずの同胞学生が見ず知らずのウリ稲門会幹事にメールをくれたのです。それも一人ではなく、何人もの学生が。

実は学内インターネット掲示板に特定の稲門会の紹介が掲載されたのは初めてだそうで、極めて異例のことのようです。
個人情報保護の問題などから学生名簿の公開が困難ななか、ウリ稲門会ではかねて何か現役学生とコンタクトをとれる方法がないか、学校当局と相談を重ねてきたわけですが、このような形でお応えいただいた学校当局には改めて深い感謝を申し上げなくてはなりません。
いままでの様々な取り組みの結果、こうして学生との交流が結実したことは本当に意義深いことではないでしょうか。ウリ稲門会は文一陳新会長のもとにおいてもこの大切な灯を大きく育てていく責務があると思います。

(朱 茂)


第16号新聞編集後記

2009-03-06 00:36:34 | 新聞編集後記

約10年ぶりに勤め先のオフィスが赤坂から東京駅の周辺に戻りました。
いつの間にやら再開発された高層ビルがニョキニョキと立ち並び、気分はすっかり浦島太郎です。
昼時に昔通っていた神田や日本橋界隈の定食屋に足を向けてみると、そこは更地の駐車場になっていたり、チェーン展開する店にかわっていたり。。それでも、いくつか以前と変わらぬ風情の店が残ってました。 引き戸(なぜかこういう店は自動ドアじゃない)を開けると、あれ、おじさんこんなに老けちゃったの?などとは思うものの、妙に落ち着く。おじさんも 言葉にしないが、そっちも老けたね、なんて感じの目線を送って来る。そして、おお変ってないなあこのポテトサラダの味、などとひとりごちます。
マニュアルに従った元気な挨拶が響く店も悪くはないのですが、知った顔や知った味がいつもそこにあるような店はやはり捨てがたい。
同窓会もそんな昔なじみの食堂のようなものではないでしょうか? いつもおなじところにあって、しばらく来なくても、少しあいだをあけて来ても、ふっと和む。人は昔の自分を知ってくれてる人がいるから生きてきたことを実感できるのかもしれません。
それにしても引っ越してきたビル。テナントは2月末の時点で勤務先の1社だけ。新築とはいえ36階建てでわずか1フロアーしか稼動してません。東京駅徒歩1分のゴーストタワー。。(朱 茂)


第14号新聞の編集後記

2008-02-13 15:30:25 | 新聞編集後記

運営に関わったので自画自賛のそしりは免れないのですが、今年の新年会は大変に盛り上がりました。改めて会員の皆様また関係各位に御礼申し上げるとともに2008年が皆様にとって素晴らしい一年になりますよう祈念いたします。

と言う矢先から、旧正月気分もさめぬ韓国で、南大門の焼失という大変ショッキングな事件が起きました。昨年来、米国サブプライムローン債権の焦げ付きに端を発して経済がまたもや不況色を強めるなど、なかなか心がスカッと晴れることが少ないのですが、ウリ稲門会ニュースでは、新年会の余勢を駆って更なる飛躍を目指すべく、今号よりカラー刷りとしました。

次号では現役学生との係わりを中心に紙面を展開する予定です。今後ともご指導、ご鞭撻よろしくお願いいたします。(朱)
《編集委員》朴魯善、大城富男、朱茂(編集長)


第13号新聞の編集後記

2007-09-14 11:51:52 | 新聞編集後記

先日、カンパ回りで関西から上京した同胞学生に会いました。他大学生でしたが、久々に先輩風を吹かすことが出来、なんともいえぬ爽快(?でも爽快だった)な気分でした。
さすがにここ数年は減ったのですが、ウリ稲門会の会合に出ると決まって諸先輩方から、若いんだからもっと飲みなさい、食べなさい、お金はいいからと言われたものです。ですが、こちらももうじき50に手が届こうかという、会社じゃ部長だの執行役員だのとそれなりに責任を負う立場のオジサン。
本来こういった親切は学生や、社会に出て間もない本当の意味で若い世代に施すべきものですが、その世代がすっぽり抜け落ちてしまっている現状では、オジサンでありながらも可愛い後輩という二役をしばらく演じ続けなければならないのでしょうか。
今号の会長メッセージが緊急を要する課題と考える所以です。


第12号新聞の編集後記

2007-04-23 00:00:00 | 新聞編集後記

年が改まるのは正月と決まってるわけですが、5月生まれのせいもあってか,
眩い新緑を目にしてはじめて、新しい年のあたらしい命が生まれて来たことを実感します。

さて稲門会ニュースも安王錫新執行部の船出とともに、この度かなり大幅なイメージチェンジを図りました。

読みやすく親しみやすくまた保存もしやすいようにと、従来の新聞形式からA4版横書に変更いたしましたが、如何でしたか。

また新たな試みとして、ウリ稲門会公式ウェブサイトを立ち上げました。

http://blog.goo.ne.jp/wasedauritoumonkai

ブログ形式でのスタートとなりますが、今後充実を図って参りますので、会員各位のご協力よろしくお願い申し上げます。(朱茂)