早稲田大学ウリ稲門会

在日コリアンOB・OGのためのオフィシャルブログ

「蹴撃」

2012-06-03 15:17:26 | 私の意見・交流・日常

 私は平成3年商学部卒の在日3世貴裁(ちょうきじぇ)といいます。
本学在学中からサッカーに明け暮れながら将来の自分探しをしていた時代がもう20年も前になるなんて。本当に時が過ぎるのは早いものです。
学生時代に本名で生きている仲間に出会え、かつサッカーを通じてたくさんの仲間、先輩、後輩ができ、国を超え、世代を超えた自分の周りにいるひとたちが今も変わらず自分を支えてくれていることにこの場をお借りして心から感謝の言葉を申し上げたいと思います。

 さて皆様もうご存知のかたもいらっしゃると思いますが、私は今年からJリーグ2部の湘南ベルマーレの監督をさせていただくことになりました。
現役を引退して、その後ドイツで指導者の勉強を始めて以来指導歴ははや12年近くとなりましたが、今回クラブからこのような名誉あるオファーをいただき身が引き締まる思いで毎日を過ごしています。Jで公式に監督をする在日韓国人はおそらく私が初めてのケースです。
 私が現役時代に在日枠というものがサッカー界に生まれ、在日も日本人と同様の扱いでプレーできるようになってからまだ20年くらいしか経っていない現在の日本サッカー界において、在日韓国人が実際に1つのプロチームの監督として、タスクを振るうことは当事者ながら世の中のある意味の変遷と変化を強く感じています。

 監督になったら大変だといわれることは多いですが私自身は今まで大切にしてきたポイント、「選手のために」ということはぶらさずにやっていきたいと思います。
 1人の監督としてサッカーの試合を通じて、観ている人にたくさんの感動を与えられるように頑張っていきたいと思います。また1人の在日韓国人として、変な気負いで仕事するのではなく、自然体という姿勢を失わず、自分なりに仕事を楽しんでいきたいと思います。サッカーに興味のある人もない人も今年は是非スタジアムに足を運んでベルマーレを応援してください。1試合1試合全力で戦います。

湘南ベルマーレ
監督 貴裁


 新年会から2週間後、3月4日のJ2開幕戦、貴裁学兄率いる湘南ベルマーレは、本拠地Shonan BMW スタジアム平塚にJ2優勝を争うことになろう京都パープルサンガを迎えました。前半に先制されたもののすぐに追いつき、1-1同点のまま突入した後半ロスタイム、劇的な決勝ゴールを叩き込んで初戦を見事な逆転勝利で飾りました。(京都パープルサンガをサポートする学兄には申し訳ない)続く3月11日第2節、アウェーに乗り込んだザスパ草津戦も3-1で完全勝利!(ザスパ草津をサポートする学兄には申し訳ない)ホームに帰った第3節3月17日、京都同様ライバルに違いない強敵アビスパ福岡をまたしても3−1で葬り去り(アビスパ福岡をサポートする学兄には申し訳ない)、そして湘南に居座った3月20日の第4節は、FC岐阜を2−1で振り切って開幕4連勝!(FC岐阜をサポートする学兄には申し訳ない)3月25日の第5節は熊本遠征、ロアッソ熊本に苦しみながらも3−3の引き分けに持ち込みました。ただいま首位快走中です!(3月25日現在)
 
 サッカーを愛することにおいては人後に落ちないと自負しております私は、13年くらい前になりましょうか、確か7月のナイトゲーム、湘南ベルマーレが本拠地とする平塚競技場に行ったことがあります。ネーミングライツを BMW が取得したことで本年3月から件のスタジアム名となっておりますが、以前は牧歌的にも「平塚競技場」。海風が吹き抜ける気持ちのいいスタジアムでした。平塚に住む友人を訪ね、そのついでに「あ、サッカー見よう」とふらっと寄ったものですから、相手チームや試合結果等の詳細を思い出すことは出来ませんが、とにかく楽しかったことだけは鮮明に憶えています。
 スタジアムで見るとサッカーはまるで違うスポーツです。11人がチーム戦術に合わせ、フィールド上を一個体の生物のように連動する様は、TVではうかがい知れません。山と海に囲まれた湘南でその様を見るのは「快感」です。初夏から夏にかけての夕暮れ時は、他のスタジアム観戦では味わえない魅力に富んでいます。
 ただ、雨の日は気をつけてくださいね。Shonan BMW スタジアム平塚は屋根がありません。だから気持ちいいんですけど・・・。(編集部 朴魯善)

Shonan BMW スタジアム平塚:神奈川県平塚市大原1-1 平塚市総合公園内(JR平塚駅からバスで7分、小田急線伊勢原駅からバスで20分)
湘南ベルマーレHP:http://www.bellmare.co.jp/


編集後記

2012-06-03 15:10:51 | 新聞編集後記

それにしては長い編集後記

 あの日から1年が経ちました。2011年3月11日午後2時46分、あの日あの時、みなさんはどちらでどうされていましたか?
 私は妻とともに、山形蔵王に向かう新幹線の車中、栃木県の小山駅を過ぎたあたりにおりました。当然に新幹線は止まり、夕暮れ時までの3時間を高架上で激しく揺れ続ける車両に閉じ込められておりました。電話も一切つながらず、ただならないことが起きたようだと想像はするも、状況を把握できないまま度重なる余震にただただおののいておりました。
 送電が止まり、空調が利かなくなって異臭を漂わせ始めた新幹線からようやく解放されると、線路を歩いて小山駅に向かうようにうながされました。小山駅前は真っ暗、停電です。心底、寒かった。途方に暮れていると、少しやんちゃそうな青年が闇の中から味噌汁を差し出しました。「あったまってください」と。駅前の居酒屋がガスの明かりで炊き出しを始め、ロータリーで行き場を無くした人たちに振る舞い始めたのでした。私たち夫婦は小山第二中学校剣道場に避難するよう誘導され、そこに荷をおろすこととなりました。剣道場の天井に張られたワイヤーたちが、止まない余震で一晩中シャンシャンと音を立てていました。底冷えする避難所で流しっぱなしになっていたラジオから、初めて「壊滅的被害」という言葉を聞きました。
 避難民として一夜を過ごしたものの、鉄道が復旧する見込みはなし。大宮から北は電車が当分走らない、今日明日の話ではないというのです。ラチがあかないので、冒険に出発することにしました。荷物を背負って大宮を、そして自宅を目指しました。大宮までの距離は51.8km、自宅までは105km。情報はIPadがあるから大丈夫ということにして・・・。
 途上、東武線が動き出すだろうと目的地を少しは近い南栗橋に変更。18km歩き、疲れ果てていたところに地獄に仏、野木に住む小林さんという方が、休憩していた私達を見つけて車に乗せてくれた。本当に親切な人でした。映像を見ている小林さんから、あらゆるものを飲み込んだ津波の恐ろしさを車中で教えてもらいました。南栗橋駅に目論み通り東武線北千住行きがやって来る、電車に乗れました。隅田川に近づき、634mに達した東京スカイツリーに迎えられて、心から安堵した次第です。
 帰宅して、散乱する我が家を整理、アボジを呼び、こうしていられることに感謝し、一杯やって肩の力を抜きました。そして、アボジとはそのまま同居を始めました。昨年11月27日に90歳で大往生を遂げたオモニは、当時、病院に入院しておりましたので、ある意味もっとも安全だったのかもしれません。(葬儀に参列いただいた先輩のみなさん、本当にありがとうございました。)
 もちろん、今回の震災でも、阪神大震災でも、私の経験など取るに足らないはるかに過酷な被災をされた学兄がいらっしゃるでしょう。また、それぞれに言い尽くせない経験をされたでしょう。被災された方々に心よりお見舞いを申し上げます。そして、ご無事でしたか?(魯善)


2012年新年会レポート

2012-06-03 15:10:15 | 各会員の近況・会の活動日誌

記録的な寒さにすっぽりと包み込まれた今冬、新年会を開催した2月18日も東京には冷たい風が吹きすさびました
。幸い、その強い風にあおられ、雲ひとつない晴天となり、会場である母校大隈会館には学兄のみなさんが続々と駆けつけてくださいました。あまりの寒さに参加者が少なくなるのではないかという幹事達の不安は杞憂に終わり、活気に満ちた開会を迎えることができました。
 呉世一会長の“美声”が奏でる開会挨拶を皮切りに、早稲田大学総長室秘書課長 関口八洲男氏から来賓スピーチを頂戴し、そして梁直基顧問の乾杯の音頭で新年会はスタートしました。
今回は、あえてアトラクションを設けることはせず、学兄のみなさんにたっぷりとスピーチしていただくことを主眼としました。
中でも、在日同胞初のサッカーJリーグクラブチーム監督、開幕直前の多忙をぬって駆けつけてくれた貴裁学兄が、湘南ベルマーレを率いる本年の豊富を語ったスピーチには激励の声が飛び交いました。
そして、具末護学兄の麗水国際博覧会紹介、安昌煥学兄からのゴルフ会活動案内等、徐富男副幹事長司会のもと、多くの学兄のみなさんに次々にマイクを握ってもらいました。
 情熱あふれるスピーチの連続、そこはウリ稲門会、スピーチする人も、お酒を飲みながら聴く側にまわっている人も、一家言ある人ばかり。参加者の「人間的力」が交錯する、他の会では経験できない当会ならではの、外の寒さとは無縁の「熱い」光景がそこにはありました。
 楽しい夜は時間が過ぎるのも早い、名残惜しい気持ちを抑えながら、最後は恒例の関口八洲男氏リードによる校歌斉唱・エール交換。肩を組み、手拍子を打ち、エールに声を張り上げ、再会を約してお開きとなりました。(魯善)