早稲田大学ウリ稲門会

在日コリアンOB・OGのためのオフィシャルブログ

ウリ稲門会ニュース第18号 編集後記

2010-03-31 20:39:35 | 新聞編集後記

今年の受験シーズンも終わりましたが、ちょっとショックな記事がありました。我らが母校早稲田大学が志願者数NO.1の座を明治大学に明け渡してしまったというのです。

不況のせいで、記念受験が大幅に減ってしまったのでしょうか。 ダブル合格ならライバル校に入学という話も随分前から耳にします。学校当局もいろいろ対策を講じられているようですが、そろそろ我々卒業生もこの流れを真剣に受け止めるべきでしょう。

かっこいい芸能人とクラスメートになれそうとか、OBの結束が強くて就職に有利そうとか、国立は学費が安いとかいう事で、まわりの高校生が他大学を受験される傾向を皆さんも感じておられることでしょう。そういう利点は早稲田には無いのかもしれませんが、早稲田にはそこで過ごした者にしか味わえない滋味があるのではないでしょうか。

一生噛んでも噛んでも味わいつくすことの出来ない摩訶不思議な滋味が。

この時代、滋味なんて代物に金かけてられるかという声も聞こえてきそうですが、ウリ稲門会の皆さんにはよくわかっていただけるお話だと思います。来年は周りに受験生、なかんずく同胞受験生がいたら是非母校の受験を勧めましょう。(朱茂編集長 記)


2009年度早稲田韓国校友奨学財団奨学金・奨学生証授与式に出席して

2010-03-16 21:23:36 | 各会員の近況・会の活動日誌

金 亨培

 去る2010年2月24日に早稲田韓国校友奨学財団による奨学生の証授与式に出席してまいりました。ウリ稲門会からは文一陳会長、梁徳守副会長と私の計3名で来賓(オブザーバー)としての参加でした。
会場はリーガロイヤルホテル東京のサファイヤ・ホール、午後7時からの開始でした。

 早稲田韓国校友奨学財団は、�早稲田大学に留学中の韓国人学生に対する奨学金支給事業と�早稲田大学への施設支援事業とを事業目的として、早稲田大学韓国同窓会(校友会)を母体として2004年に設立され、これまでに109名が奨学生として採用されているとのことでした。

 当日は、同財団から常任理事の李賢儀・早稲田大学韓国校友会常任副会長、早稲田大学からは、福田秋秀・校友会代表幹事、島田陽一学生部長(奨学生審査委員長)のほか大学側事務局関係者5名が出席しました。2009年度採用された奨学生は、大学院生7名、学部生14名の合計21名が正装して授与式に臨んでいました。
 なお、同財団の奨学金には、とくに早稲田大学韓国校友会会長である趙錫来氏がCEOを務められている暁星グループの寄付からなる奨学金制度も含まれており、併せての授与式となりました。

 もとより、ウリ稲門会が直接的にも間接的にも寄与している事業でもないこともあって、事前に用意された会場最前列の、奨学生を眼前にして授与者側の来賓席に着席した私などは、何とも落ち着かない気分でした。
印象的だったのは、緊張した面持ちの留学生たちの様子でした。一見すれば日本人学生と区別がつかない世代の若者たちなのですが、その真摯な表情と輝いている視線とが、今でも私の目に焼きついています。
懇親会の場では、最近の韓国のスポーツ、ビジネスの世界での大躍進が話題となり、「草食系」となったと言われる日本の若者とは一味違うかもしれないなと感じました。
終了予定時刻の9時を過ぎても、李賢儀常任理事が奨学生全員をテーブルに集め、熱心に「訓話」されていたことも印象に残りました。

 留学生たちは、ちょうど私の娘とも同世代なので何とも微笑ましく、早稲田に連なる在日同胞学生のみならず、この日本で多くの日本人たちとも出会い、これからのアジア、世界できっと大きな活躍をされていくのだろうなとの確信を胸に、三人で会場を後にしました。はからずも、かけがえのない時間を学生たちと共有でき、本当に感謝です。                                      


新入生の頃の思い出

2010-03-15 20:49:34 | 私の意見・交流・日常

李誠       1979年政経学部経済学科卒業
 
「やばい!」とつぶやいたのは、下宿に戻ってみるとドアの隙間に「朝文研」からの置き手紙がはさまつていたからでした。早稲田への合格がきまり希望に満ちた東京での一人暮らしについてあれこれ思いを巡らしていたころ、自宅に「朝鮮文化研究会」(略して「朝文研」)からオルグの電話がかかってきました。電話にでた父が「息子を宜しく」と下宿の住所をおしえてしまったのでした。

正直「在日同胞」=「日本社会の底辺」と思っていたそれまでの私にとっていかなる民族という名のつく物とも、一切関わり合いたく無いと思っていました。自身の絶対的属性を否定して、問題から逃げようとする幼い考えの持ち主でした。

断りを言う為に、法学部の地下にあった部室に出かけていきました。参加したくないと話しにいったつもりが、「朝文研」の先輩と会話してるうちに何か打ち解けてくるものを感じました。それまでの私は、身内以外の人と「同胞である」と胸襟を開き話した事がありませんでした。それ故同世代の同胞の人が何を考えているか気懸かりだったのです。諸般の事情により本名の「李」を大学入学から名乗らざるを得なくなり、精神的に動揺していたので同じ立場で気持ちを理解してくれる人がいてくれる事がうれしかったのでしょう。

「朝文研」にしばらく出入りしてるうちに一年先輩の女子学生から、「韓国文化研究会」というサークルがあるのでいってみたらとアドバイスをもらいました。
祖国が北と南に分断されている為、在日同胞も「総連・民団」と分裂している事は理解していました。まさか真理と自由を追求する大学のキャンパスの中まで、目に見えざる壁が存在しているとは驚きでした。好奇心から「韓文研」の部室を訪ねてみる事にしました。

韓文研の部室は、西門の近くに位置した政経学部の建物の二階にありました。二階部分はもともと研究室用に作られていたので、渡り廊下に面し個室が整然と並んでいました。
各個室は空手、ロックバンド、演劇といったサークルによって部室として利用され、文研(韓国文化研究会)の部室もその一角をしめあたかも学生サークルの長屋の趣でした。

手書きで「韓国文化研究会」と書かれたポスターが貼られたドァーを意を決して恐る恐る開くと、パッと窓が目に入り明るい採光が部屋全体にいきわたっていました。部屋の中心をしめる様に会議用の長い机が二つ並列に置かれ、周りを取り囲む様に折りたたみの椅子がおかれていました。右側の壁には祖国の地図が掛けられ、反対側の壁際の奥まった所に書棚が置かれスクラップやパンフなどが雑然と置かれていました。立看板やデモのとき使ったプラカードが壁にところ狭しと立て掛けられていました。

白い壁に黒のマジックで大きく「二十歳が青春の中で一番美しいなんて誰にも言わせないぞ!」(ポール・ニザン著「アデンアラビア」より)という言葉が書かれ、二十歳の春を迎えた私にとって脳裏に焼きつく意味深長な言葉でした。活動家のたまり場といった雑然とした雰囲気でしたが、昼間数万人もの人間で溢れ返る早稲田のキャンパスで畳6畳位の空間から何かを自己主張したいという若者の欲求がほとばしっていました。

奥まった場所に窓を背にして座っていたのが幹事長の李鐘権先輩でした。頭をデビューした頃の石原裕次郎のように裾を刈り上げジャケットを着、黒の書類鞄を携え学生というより職業活動家といった印象がしました。初対面の私に笑顔で「よく来たね!」と話しかけてくれました。李鐘権先輩は商学部の4年生で、理工学部の裏にあった当時はまだアニメの「トトロ」の様な情景だった再開発前の戸塚町の小高い丘の上の下宿に住んでいました。一度お邪魔した事がありましたが、当時高校生が体育の際着用していた白の木綿のウェストにゴムがはいったヨレヨレの長ズボンをはき、裸足で先輩の好きなジャズを聴きくつろいでいたのが印象的でした。
喜怒哀楽が少なく寡黙な方でしたが愛知県出身という事で、三河弁なまりで話され人柄どうり実直さと朴訥さが全てに漂っていました。正に地方出身者のルツボ早稲田を代表し「よき昭和」の香りを感じさせる先輩でした。

文研に行きはじめて、最初にお世話になったのは理工学部建築学科4年の李永根先輩でした。東京出身で全体としてスマートな方で、最初少し冷めた印象を感じました。時間がたつうち李永根先輩はとても親切で思いやりのある方だと判り自分の誤解を恥じました。

私が一年生の春休みの時、先輩と同じ研究室で韓国から留学に来た金さんという年配で苦学してらっしゃった方の卒業論文造りに協力した事がありました。私は先輩に頼まれ一緒にお手伝いし金さんから感謝された事を覚えています。ご自分の卒論作りもありいそがしい時間をさいてまで困っている同胞を手助けするのをみてこの人は本当に同胞を愛し思いやりの気持ちを持っていると思いました。

大学入学を契機に本名を名乗り始めた私でしたが、在日同胞としての内実がともなっていませんでした。北も南もなく大学で出会った同胞の人達のおかげで民族についての問題意識を持てるようになり、今までの否定的な民族への考え方を改めるきっかけになりました。1億2千万人もの人が住む日本の中で孤立して生きているわけじゃないと考える様になりました。

大学は卒業をもって終了しましたが、早稲田韓文研の同窓生としての私は半永久的に続きます。改めて先輩諸兄、同級生、後輩達に民族について覚醒させてくれた事を感謝します。
みなさん!あの時に戻る事はできませんがあの時を振り返る事はできます!
再会した際は一杯やりながら楽しく歓談しましよう!
信州より愛を込めて♡


当会会長のご挨拶

2010-03-11 23:43:12 | 会長のご挨拶

早稲田大学ウリ稲門会の諸先輩並びに学兄の皆様方に於かれましては益々御健勝の事と存じ上げ御喜び申し上げる次第です。

昨年6月の総会で急遽、前会長の安王錫学兄より会長の任を引き継いで早や10ヶ月が過ぎようとして居ります。当初本心を申し上げますと責任の重大さに憂鬱さや不安感でいっぱいで御座居ました。然しながら、副会長団、幹事長を始めとする有能な執行部の皆様方の熱い応援と支えにより何とか無事に今迄務めさせていただきました。

総会直後に14名の財務委員を選定させていただき全員に心よりご協力いただき、それが本会活動の主たる原資として会を円滑に運営する多大な原動力となっており、この場を借りて深く感謝申し上げる次第です。

思えば6月に初拡大幹事会を開催して以降、8月には第17号稲門会ニュースの発行、9月には3名の若手会員それぞれの母校助手昇任・司法試験合格・イギリス留学の祝賀歓送を兼ねた会合、長野県駒の湯温泉にて行われた中部支部総会への出席、10月には神宮球場での初めての早慶戦観戦会、11月には慶應大学コリア三田会の総会に招かれ早慶両校の親睦を図り、12月上旬にはソウルにて母校韓国校友会の総会に総勢10名が参加し大歓迎のなか親睦を一層深め、年末には拡大幹事会兼忘年会を開催。年が明けて2月には渋谷エクセルホテル東急に於いて参加者80名の下 新年会を成功裏に開催、また早稲田のリーガロイヤルホテル東京に於いて韓国校友会奨学財団による奨学金授与式に出席し、大学当局、韓国校友会、奨学生達との親睦懇談会に参加。

以上わずかな期間にこんなにも多くの活動をこなせて来られたのは会員皆様方の執行部に対する厚い信頼とご協力があればこそ成し得たものと確信しております。

早稲田大学ウリ稲門会は諸先輩、皆様方の絶大な御努力と汗の結晶として在日の大学同窓会に相応しい理想のフィールドを作り上げました。
早大のキャンパスが早大に学んだ全てのOB、OG、学生たちの心のふるさとであるのと同様に、ウリ稲門会も在日早大OB、OG、学生たちのみが享受できる心のふるさとです。

現在当会は若い世代の会員が年々増加し、韓国校友会との交流も深まり、他大学同窓団体も我々の活動を注視し学ぼうとしています。
私達在日は政治を抜きにしては考えられない現実を背負って居るのは事実ですが、過去の経験を教訓に多くのことも学びました。当会は親睦を目的とした在日同窓全員のオアシス、心のふるさとで在り続けることが大切だと考えます。
私は執行部の皆様と共にこの原則を堅持し、オアシスの番人となり次世代に継承していく覚悟で有ります。

最後に去る2月28日バンクーバー冬季オリンピックが閉幕しました。私はフィギアスケートの金ヨナ選手の演技に久しぶりに興奮し涙を流さずには居られませんでした。
1日目のショートプログラムでは、さながら金剛山のいただきから天女が舞い降りてきたかのように007ボンドガールの現代音楽に合わせ力強くダイナミックに舞う姿は、まるで現在の韓国が、経済を中心にスポーツ、文化、あらゆる面で発展し続ける姿を世界にアピールしているように見え、2日目フリーのピアノ協奏曲に合わせ優雅にしなやかに舞う姿は韓半島悠久の歴史の中で脈々と伝わってきた伝統、芸術、文化の素晴らしさを誇らしげに表現しているように見えたのは私一人の思い上がりでしょうか。
奇しくも今年は1910年の韓国併合から100年の節目の年にあたります。若し当時の人がこの光景を見る事ができたらどんな思いをすることでしょうか。

21世紀はアジアの時代だと言われています。特に韓半島がその中心になるのはそう遠いものではないと思っております。早稲田大学は元来アジア、とりわけ韓国に理解が深く友好的です。私たちは大いなる民族の歴史の流れの中で、早大に学んだことの誇りと栄誉を感じざるを得ません。早大に学んだ学生達をより多く参集させる為にもウリ稲門会をより素晴らしいものにしましょう。(文一陳)