早稲田大学ウリ稲門会

在日コリアンOB・OGのためのオフィシャルブログ

焼き肉屋の写真を・・・。

2009-01-25 22:00:49 | 連載コラム

李  宇 海
 
 在日一世の写真集やオーラルヒストリーを集めた本が出版されているが,古い焼き肉屋の写真もだれかが撮っておかないと,全部なくなってしまうことが心配である。古い焼き肉屋の佇まいは,同胞の生活史の象徴のように見える。
 世田谷の三軒茶屋付近で,築50年ほどの,小さな木造2階建ての焼き肉屋を見たことがある。表通りではなく,裏の住宅街の一隅にあって,外に向けてちゃんとメニューも貼り出してあったから,まだ営業していたのだろう。三河島や枝川ではなく世田谷なので余計に珍しく,入ろうかと思ったが,食事時でもなく仕事の途中でもあったので,やめておいた。
 もう建て替えられたが,学生時代に早稲田にあった木造時代の「D苑」も懐かしい佇まいだった。
 上野の,ちかごろは「キムチ横町」などと変な名前で呼ばれている同胞密集地にも,いうまでもないが年代物の建物がある。たしか「T園」という店名だったと思うが,間口は割に大きいものの,正面から見ると木造2階建ての建物全体が傾(かし)いでいて,中にトイレもない(裏口に回ったところに,共同の公衆トイレのようなものがある。)。ここは壁もタタミも油でテカテカだが,ハラミなどは大変に旨い。
 もっというまでもないが,大阪・鶴橋駅のそばにも,シブイ店がたくさんある。ここらの古い店のなかには,メニューが60年代のままで,クッパもビビンバもなく,主食は白飯のみで,ホルモンをはじめとした肉類(しかしタン塩なんかない。)と,ほかには玉子スープとかもやしスープ,キムチしかない(キムチでなく「漬け物」と称されているところがまたいい。)ところがまだある。私の,ごく年少の頃の記憶にもこういう店があって,客は同胞とヘルメット・ニッカボッカ関係の人々だけだった。しかし,猪飼野周辺で私が好きなのは,鶴橋駅のそばよりも御幸森商店街の何件かの焼き肉屋だ。いずれもさほど古い建物ではないのだが,ここにしかない佇まいというのか,同胞が過半を占めるような地域でしか「成立しない」風情がある。
 これら以上に,写真に撮っておきたい,と思ったのは,広島出張に行ったときである。仕事が終わって広島駅から東に向かうJR呉線というのに乗り,呉駅の少し手前の安芸阿賀という駅で降りた(なんでこんなところに行ったかというと,名画「仁義なき戦い」の登場人物たちの,そのモデルになった人々の多くが阿賀の出身と言われており,いっぺん見てみたかったのである。腹巻きをした菅原文太が,雨の中でくわえタバコを投げ捨てるや,「土居!」と叫んでピストルを乱射する,有名なシークエンスがあるが,この土居組のモデルもこの阿賀にあった。)。駅から海に向かっていく広い道路があるのだが,ダンプカーが行き交っているのに歩道も設けられていない。道の左右は,軒の低い家々が並んでいる。歩いているのは私だけだ。
 海水浴場があるような海辺とも違い,漁港と言ってもそんな明るさやのどかさはない。考えてみれば,いまここに来ても「仁義なき戦い」を彷彿させるようなものが見られるはずもない。オノレのバカさ加減に,もう戻ろうか,それにしてもこのダンプはいったい何を運んでいるのか,と後悔していたら,赤提灯に「焼肉」と黒字で抜いたのがぶら下がっている店があった。さきの三軒茶屋の店と同じくらい古く小さい。左右の建物との距離が近すぎて,上野の「T園」のように傾ぐこともできない(ように見える。)。どこにも店名が書いてない。営業はしているように見えるが,周りを見てもうどん屋ひとつないところだ。店が成り立つほど客が来るのだろうか。ここでもよほど入ってみようかと迷ったが,入る決断ができなかった。三軒茶屋でもそうだったのだが,正直に言うと,せっかくの建物の風情なのに,あまり旨くなかったら失望するだろうから,入れなかったのである。
 蛇足だが,この安芸阿賀駅のホームから見た風景は美しかった。降りたときには「土居!」の場面などを思い出していたので気づかなかったが,帰りの列車に乗るためにホームに上がると,右側に見える高い岸壁に陽が落ち掛かっていて,油を流したような瀬戸内海の上をたくさんのカモメが飛んでいた。しかし,そのホームに,どこをとっても勉強した帰りのようには見えない男女の高校生の一団がドヤドヤ上がってきて,地言葉で,風景を根底的に破壊するようないろいろなことを喋り始めるのだった。風景は良くても,高校生の人品は良くなかった。
数年後に,たまたま呉に住む同胞と話す機会があって訊いてみたら,ちゃんとこの店のことを知っており,いまも営業しているそうである。広島に行く機会があれば,こんどは入ってみよう。