早稲田大学ウリ稲門会

在日コリアンOB・OGのためのオフィシャルブログ

2017年度総会開催 新会長に河相淳学兄

2017-08-28 21:48:41 | 総会のご報告

 韓国で新大統領が誕生した直後の2017年5月14日、春と初夏の合間の穏やかな日曜日に早稲田大学ウリ稲門会もリーガロイヤルホテル東京で総会を迎えることとなりました。

 総会の冒頭、奨学金事業を立ち上げ、それをスムーズに制度化するため、二期にわたって会長職を務めた金君夫学兄が最後の会長挨拶に立ちました。金会長はその中で、「奨学金」に込められた各会員の熱い想いにあらためて感謝を表し、この制度を今後の当会発展の起爆剤にして欲しいと後進にタスキを託しました。文一陳・呉世一両顧問が議長選出されて議事はスタート活動報告と会計報告の承認を経て金会長を始めとする幹事団が退任、新会長が選出される運びとなりました。そして、前執行部から推薦を受けた河相淳前副会長が満場の拍手に包まれ選任され、登壇して所信を披露しました。

 総会終了後の懇親会は河新会長のあらためての挨拶で幕を開け、続いて母校からの来賓、ダイバーシティー担当の畑惠子理事にご登壇いただき祝辞を頂戴しました。さすがダイバーシティー担当理事だけあって、畑先生のお話に参加者の多くが聴き入り、感銘を受けていたようですいささか固かった雰囲気も金博夫監査の乾杯のご発声のすっかり和らぎ、世代をまたがる同窓会の本領が充満します。お酒とともに久しぶりに顔を合わせる学兄の会話も進み、すっかり心持ち良くなった頃合いに李政美さんのミニコンサート。「イムジン河」も「京成線」も沁みる名演でした慶應の同窓会であるコリア三田会、高麗大学校日本校友会それぞれの来賓からユーモアたっぷりの祝辞をいただき、恒例となった母校学生部 関口八州男学生生活課長のエール交換で懇親会は締められました。

 しかし、5月の日は長く外はまだまだ明るい。当然のごとくに2次会となるわけですが、会場は変わらない昔なつかしい金城庵。座敷で盃を交わし、順番に一人ずつ立ち上がって思うところを開陳する、「いやぁこれが早稲田だよなぁ」と微笑を禁じ得ない1日となりました。


納涼会・奨学生証授与式のご案内

2017-08-28 21:44:17 | 私の意見・交流・日常
   
2017年早稲田大学ウリ稲門会
納涼会・奨学生証授与式のご案内
 
 気まぐれな天候が続く今夏、学兄のみなさん、いかがお過ごしですか?
 既報の第3期奨学生証授与式を兼ねた納涼会について詳細をご案内いたします。今年は、それぞれに飲食が供される二部構成で開催することにしました。旧交を温め新メンバーを迎える第一部、そして老若が肩肘張らずに座敷で車座になる第二部です。ふるってご参加下さい。
 
                                                   2017年8月 ウリ稲門会会長 河 相淳
(TEL=080-7078-0419
第一部:大隈会館301/302号室
   午後4時開始(受付3時30分から
会費:4000(同伴2000)
第二部:金城庵(西早稲田1-18-15
午後6開始  会費:3000円程度
在校生はすべて無料ご招待
以上
 

「Life in Venice」 ヴェネツィア紀行 留学中の後輩を訪ねて

2017-08-28 21:33:56 | 私の意見・交流・日常

 漆黒の夜に浮かび上がるサン・マルコ大聖堂、抑制されたライトアップに荘厳さもや増す。未踏の地に立ち、未知の光景を前にして、感情は昂るしかし、その高揚は言葉になることもなく、私はただ笑うばかりだった。 

 海を越えて日本の外に出るのは8年ぶりのことだった。2009年にロンドンを訪れてからというもの、韓国にすら渡っていなかったのだ。

 2010年の9月に母が倒れ、それから1年を過ぎた初冬に90年に及んだ天寿を全うし、またしてもそこから3年と少しがたった2015年の1月、もうそろそろ96歳になろうかという父が、体調を崩したかと思いきや、せっかちな性格そのままにそそくさと旅立っていった。このおおよそ5年半にいたる月日の間、私たち夫婦は二人で両親を「看取って」いた。旅行好きにかけては人後に落ちないと自負する私たちであるが、この間の目的地は自ずと「連絡がつき何かあったらすぐに東京に戻れるところ」となり、それを積み重ねた結果、ストレスも少ないけれど刺激も想像の範囲、そんな適度な旅にいつしか充足するようになっていた。ヴェネツィアにたどり着くには、ささやかな「飛躍」必要だった

 現在の早稲田大学には、学部での共通言語を英語とし、さらに日本語を母語とする学生には1年間の留学を必修とする国際教養学部という学部がある。昨年の5月くらいのことだろうか、当会奨学生で国際教養学部2年(当時。現在は3年生)に通う二人に軽い世間話のつもりで「どこに留学するのか」と尋ねた。一人は“北京”と答え、もう一人は“ヴェネツィア”と返した。

  “それは旅へのいざないだった。それ以外のものではなかった。しかしそれが発作的に現われて、情熱に、いや錯覚にまで高められたのだ。

 “それとわかってみれば至極当然だったとはいうものの、その時はわれ知らず驚きつつ、自分が本来どこへ行くべきであったかを悟ったのである。一夜にして、比類なき幻想的な異国情緒に浸ろうと思うならば、一体どこへ行くべきだったか。それはいわずと知れているではないか。自分は実はあそこへ旅行しようと思っていたのだ。

 トーマス・マンの小説「ヴェニスに死す」(イタリアの名匠ルキノ・ヴィスコンティ監督が1971年に映画化Death in Venice」主人公アッシェンバッハ旅への憧憬をかきたてられたあげく彼の地が脳裏に浮かび、いても立ってもいられなくなった心情を語る一節である。そういうことなのだ。

 予期せず現われた「ヴェネツィア」という地名に、「発作的に」旅への「情熱」は呼び覚まされ、アート・ビエンナーレ開催年にあたることを口実にしながら、後戻りできない「錯覚」にまで発展する。イタリアに行かなければならない!ヴェネツィアが呼んでいる!私は「冒険」を渇望していたのだ!ここまで頭に血が昇ってしまったら、もう手は施せない。「冒険」といっても、実のところは30歳以上離れた女子学生に頼りきることを前提にした、著しく虫のいい「冒険」であるのだが、そんなことに気づきはしない。

 とはいえ、自宅からサン・マルコ大聖堂までに要した時間はおよそ21時間、「冒険」と呼ぶにふさわしい長旅だった。羽田からパリのシャルル・ド・ゴール空港へ、ドキドキしながら飛行機を乗り継ぎ、ヴェネツィアのマルコ・ポーロ空港で現地時間20時くらいに迎えに来てくれた後輩と落ち合う。そこから一緒にバスに乗り、車の乗り入れが禁じられている水の都に達してからは水上バス・ヴァポレットに乗り換える。水上から暮れなずむ宵闇の向こうに世界遺産を垣間見つつ、ようやくのことホテルに荷物をおろし、夕食をとるために出る。「合図するまで絶対に振り向かないでください」と若い後輩に厳命されるがまま、きょろきょろすることなく従順にサン・マルコ広場を横切り、「はい!」と号令されて微笑ましく回れ右をする。真正面には煌めくサン・マルコ大聖堂。立ち止まったのは広場の中心で、つまりはヴェネツィアの中心。その名の通り広々とした広場の真ん中で、見渡す限り歴史的建造物に囲まれ、感情の昂りを抑えることができないまま、私はただただ笑みを浮かべて「比類なき幻想的な異国情緒に」包まれていた。

ヴェネツィアは、陸地から4キロほど離れたアドリア海のラグーナ(潟)に浮かぶ118の小さな島からなっている。島々の間を道のように運河が縦横に走り、400もの橋がこれをつないでいる。2000年近く前に、無数の杭をラグーナに打ち込んで作った人工的な都市が今にいたるまで存続し、しかも1100年にわたってアドリア海の女王として繁栄を謳歌した都市国家であったということも驚異であり、蜃気楼のように海に浮かぶ都市運河に映える建築群といった幻想的な景観は誰をも惹きつけてやまない

 そこかしこで見かける傾いた建造物を横目に、乳母車と車椅子以外の車が禁止された(商品の輸送はもちろん船だし、急病人ももちろん船)入り組んだ迷路のような路地を歩いていると、歴史の重みは唐突に姿を現わす。ヴェネツィアは東西約4.5キロ、南北0.5〜2キロと広くはないのだが、教会や同信会館(信徒たちの集まりである同信会の社交場。同信会は名の通ったものだけでも50を超えていたそうだ)が、その小さな町のいたるところに存在する。15世紀から16世紀の名画・名作を擁するそれら歴史的な建造物に流れる空気は、華々しくも厳かで、信者ではない私にとっても「神聖」なものであった。その最たるものがサンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ教会であったし、それと並ぶサンタ・マリア・グロリオーサ・デイ・フラーリ教会の主祭壇画、天才ティツィアーノの「聖母被昇天」はヴェネツィアを代表する名画だ。信心深さは美術の母体となり、常に美術制作を促す。都市の繁栄とともに同信会(スクオーラ)が競い合い、町には美術品が溢れかえる。一方で、交易都市であるこの町は、繰り返し何度もペストに襲われ、その度に多くの人口を失ってきた。それをやり過ごすための信心と、低く垂れ込めた闇が去った後の絢爛を必要としたのだろう、その記憶が町の隅々に沈潜して今日に至っている。世界に先駆け、アート・ビエンナーレ(2年に一度の国際美術展。現代美術の祭典)を1895年に始めたのも、祝祭空間を必要とするヴェネツィアの特質によるものと思う。

 私たちは連れ立ってビエンナーレに2日出向いた。私たちとは、もちろん私たち夫婦と、この夫婦が宿泊していたスキアヴォーニ河岸のホテルからたまたま歩いて20秒のところに住んでいた後輩、そしてビエンナーレを観るために、たまたまこの時ヴェネツィアにやって来たロンドン留学中の彼女の同級生、この4人だ。学生は驚くほどの低料金でEU内を移動でき(その金額を聞いて本当に驚いた)、同級生が各地に散らばる彼らは、その特権を謳歌してお互いを頼りながら行き来し、見聞と交流を蓄積している。もちろん、彼らばかりが学生なのではないから、現地の学生は概ねそうしているのだろうヨーロッパで排外主義が結局は蔓延するに至らない理由に触れた気がした。東海道線の鈍行で、一晩かけて東京から大阪に行ったことをなつかしい思い出として語る我が学生時代と比較するとき、「隔世の感」という言葉ひとつで片づけてはならない深慮がそこにはある。兎にも角にも、観光地ゆえに物価が高いヴェネツィアで、厳しい留学生活を送りながらも、様々な国の友人たちと苦楽を共にしながら成長している後輩の様子は、眩しく喜ばしいものだった。

 ビエンナーレに話を戻そう。会場はヴェネツィアの東のはずれにある市立公園(ジャルディーニ)と国営造船所(アルセナーレ)の2箇所。国ごとのパビリオンや展示場が立ち並び、金獅子賞をかけて競う形式を維持しているため、国の財力や政治力が介入する余地を残すあり方に今日では批判も多く、歴史的使命は終わったという人もいる。だが、私たちは「優劣」に興味はなかったし(金獅子賞受賞作品も、それとも気づかずチラっと見ただけだった)、刺激的な作品に出会いたいだけだったし、2日もかけているのに全てを見きれなかったその規模に満足した。せっかくだから例をあげると、当時の印刷物と自身の家族の写真を並べただけで、近現代史を雄弁に俯瞰した韓国館の展示はパワフルだったし、野蛮な人間存在を隠すことなく荒々しいパフォーマンスで提示したドイツ館の作品にはかき乱されたし(しかも作者はクラブの用心棒をしていたこともある女性だという)、「価値観」を変えられずにいまだ混乱したまま前にのめる国の光景を、暑苦しい労力で表現していたロシア館もおもしろかった。つまり、とても楽しかったのだ。

 が高い時間帯、国際的観光地ヴェネツィアは人でごった返している。おしなべてTシャツに短パンのアメリカ人、大きな帽子をかぶって笑い声絶えない韓国のおばさんたち、一族郎党でがなりたてる中国人、考えうる限りの団体さんがひしめく。とりわけ人気スポットであるサン・マルコ広場やリアルト橋周辺は、それぞれ京都の清水寺や浅草の仲見世通りに倍の輪をかけた人口密度。それにひきかえビエンナーレ会場は広くてゆったりしている。そもそも興味を共有する人達しかいない。イタリアらしくスタッフも大らかで、楽しそうにおしゃべりに興じていたり、大声を発することに躊躇なく携帯電話に出て歩き回っていたり、我関せずとゆっくり本を読む人もいた。なのに、一線を超えそうな鑑賞者がいると、「NO!」とすごい剣幕で仕事をする。私たち夫婦は、日中はこうしたところに身を置き、早朝やが陰ってから人気スポット足を向けていた。つまり、とても快適でもあったのだ

 また、ビエンナーレ開催期間中は会場だけではなく、町中各所で連動した企画が催される。中でも英国人ダミアン・ハーストの個展Treasures from the WRECK of the Unbelievableは圧巻で、バジェットも含めたその規模たるや想像を絶していた。かつての「海の税関」を安藤忠雄が改装した美術館プンタ・デッラ・ドッガーナと18世紀のバロック建築グラッシ宮、この離れた2会場を占拠した作品はタイトル通り「難破船アンビリーバブル号から引き揚げられた財宝」。それはあまりにも巨大で、驚くほどの物量で、そしてあからさまに「虚構」だった。風化しているように作られた新品で語られる「ニセ」物語そのものこそが「作品」で、そこからは“常識を疑え、「歴史」だって怪しいぜと下品にほくそ笑む彼の声が聞こえてくる。ヴェネツィアは、過去の栄光を物語る歴史遺産、そして最先端の現代美術、それらすべてを融合させて町の魅力としてきた。溢れかえる美術品と、杭の上に乗っているという町の成り立ちとがあいまって、現実でありながら虚構に身を置いているテーマパークのような世界を作り上げてきた。賛否渦巻くスターアーティストの個展は、この町でしか成立しなかった。 

 この旅行中、片道2時間ほど電車に揺られ、ルネサンスの聖地メディチの都フィレンツェにも1泊2日で行ってきている。当たり前のことだが、同じ古都とはいえ両者はまるで違う。ミケランジェロも観たし、ダヴィンチの前にも立った。これまた心躍る旅だったが、長くなるのでフィレンツェについてはまたの機会があればということにしたい。ただ、わかりやすく違いを際立てるために、食事について触れておこう。乱暴に言ってしまえば、ヴェネツィアは海鮮で、内陸のフィレンツェは肉なのだ。ヴェネツィアは魚やカンピ(手長エビ)のグリルおよびフリットが売りだが、フィレンツェはビステッカと呼ぶ牛肉のステーキやトリッパ(ハチノス)の煮込みが名物、フリットもうさぎ。すべからく美味しい。マンマが仕切る食堂で食べたヴェネツィアの海鮮スパゲッティは忘れられない。ぶっきらぼうな親父に供されたフィレンツェのポルチーニ茸のパスタも同様だ。明日は日本に帰るという晩にヴェネツィアで恐る恐る注文した謎の料理「カニと黒人の麺」も絶品だった。その店の日本語メニューにそう記載されていたのだが、実態は「蟹肉とイカ墨のスパゲッティ」だった。自動翻訳ソフトまだまだである。

 妻への賞賛を込めて「食」にまつわるエピソードをもうひとつ。「必ずやジェラートを食べる。しかもイタリア語で注文して。」この旅に臨む妻の野望のひとつだった。たくさんあるジェラートの中からどれをチョイスするのか、それをカップにいれてもらうのかコーンに載せてもらうのか、コーンを選ぶとしたらプレーンなのかチョココーティングにするのか、日本で画一的なソフトクリームを買うのとはわけが違い、イタリアでジェラートを注文するには自身の「選択」を細密に表明しなければならない。国際教養学部4年で、昨年までヴェネツィアに留学していたもう一人の後輩に、美味しいジェラート屋さんリアルト橋近くの人気店「SUSO」を教えてもらっていた。狭い路地にあるSUSOは観光客で溢れている。私たちの前に並んでいた人たちは戸惑ったり、指差したりしながら時間がかかっていた店員が肩をすくめながら妻に目で語りかける。「決まっているなら言ってみたら」と。妻は堂々と彼女に返した、ウン コーノ ピスタチオ(ピスタチオのジェラートをプレーンのコーンに載っけてちょうだい)意志的できっぱりとした発語に、店員「このシニョーラはイタリア語で注文したわよ!」と喝采し、狭い店内歓喜に包まれ。すぐ後ろに並んでいた関西から若いお父さんに多大なプレッシャーをかけてしまったのは申し訳なかった(奥さんが「あんた、この子たちの分まで大丈夫やろなぁ」と詰めていたのが聞こえた)ジェラートは青臭くて、とても爽やかだった。 

 6月2日の昼下がり、カナル グランデ(大運河)のシンボル、リアルト橋からマルコ・ポーロ空港行きの船に乗り、私たちはヴェネツィア後にした暑かった6泊8日の旅も終わろうとしていた。後輩船着場まで見送ってくれた。彼女も留学を終え、9月には東京に帰ってくるヴェネツィア満ち干を繰り返すラグーナの潮とともに今日も日を送っている。じきに沈むから、早く観に行った方がいいという人もいる。ロシアの文豪ツルゲーネフは、「ヴェネツィアを訪れると、幸福な人はますます幸福になり、不幸な人はさらに不幸を感じる。」と書いそうだ。旅を終えしばらく経った。現地で撮った写真の整理は終えたが、友人たちと顔を合わすごとに、土産話の披露はまだまだ続きそうだ。この文章を綴ることもその一環ではあった。その度に、旅の愉悦が思い起こされ、行って帰ってきたばかりなのに「再訪」という情熱がじりじりと錯覚へと湧き返るそう感じることができるのは、私が「幸福な人」だからか?だとしたら、それは照れ臭くも嬉しいこだ。

朴魯善


ソウル支部便り

2017-08-28 21:30:53 | 各支部・分科会の近況

 初めてソウル支部便り送ります。と、言っても特にこちらに元々支部があって会員がいるというわけでもなく、私がこちらにいる為に出来た支部ではないかと思われますが、これから会員が増える事を期待します。私は韓国に暮らし初めて早くも10年になりますが、私が来た頃は、理工学部の先輩が居られて、数年間に亘りこちらの校友会との橋渡しをされていました。私がこちらに来た頃から、韓国校友会とウリ稲門会の交流が活発になり、当時ウリ稲門会会長であられた故安王錫元会長がウリ稲門会としては初めて韓国校友会の総会に参席されて、それ以来相互間の交流が活発になりました。その後、私は欠かさず校友会の総会に出席させてもらっています。

こちらに来て1年半経った頃、一度こちらでの生活をウリ稲門会の会報に報告しました。読み返してみましたが、その時の希望と情熱が昨日の如くに鮮明に思い出されます。実際、我々がこちらに来た2007年頃が韓国全体の頂期であり、景気も良く物価も日本に比べてとても安く、社会も活気に満ちており、1990年のバブルがはじけて停滞していた日本社会と比べて見ても、とても輝いていた時代でした。しかし、革新政権が保守政権に移行していくのと軌を一にして、徐々に輝きを失い始め、景気は悪くなり、物価も失業率も上昇し、現在では日本と比べても物価はほぼ同等な水準までに達しました。韓国は大手財閥が中心となって韓国経済を牽引しており、日本のように堅固とした中小企業の存在がとても脆弱で、よって韓国経済自身がそうした大手財閥系企業の業績に大きく左右されてしまう傾向があります。また、私がここで10年暮らしてとても問題であると思うのは、権威主義がとても強いことだということです。よく韓国で使われる言葉で、甲乙関係、即ち顧客が“甲”でそこと取引をする業者が“乙”という立場にあると、甲は乙に対して絶対的な立場にあると言うことです。それを“甲質(カップチル)”という言葉で表現されますが、まさにその関係が、韓国社会には蔓延していると感じます。そうした関係、及び大企業優遇の経済政策を改善すると言う意味で、第18代大統領選挙の時から各候補者が、選挙公約として掲げていた“経済民主化”というスローガンがありますが、残念ながら言葉のみが先行して、未だ実現には至っていないと言うのが、私の実感です。しかし、昨年暮れに発覚した崔順実ゲート事件に端を発した政権交代により第19代大統領に選出された革新系の文在寅政権に、この間の保守政権時代にもたらされ山積した社会矛盾を解決してもらうことを国民は大きく期待しています。また私事ではありますが、前回の報告にも記したのですが、私の父の故郷である咸鏡南道、興南が奇しくも、文大統領の父と同郷であり、近い将来、高齢の父と一緒に故郷に行く事ができるのではと期待している今日この頃です。  

金協一ソウル支部長


河相淳新会長の就任挨拶

2017-08-28 21:26:46 | 会長のご挨拶

新会長となりました 河相淳 です。宜しくお願い致します。

まずは、会長としての所信簡単に4点述べさせていただきます。

第1広く開かれた集まりにします

当会はさかのぼれば100年以上の歴史を持つ在日コリアンの同窓会です。国籍、大学の卒業有無や資格にとらわれることなく、また学部生、大学院生、各種研究所といった修学状況如何にかかわらず、原則、早稲田で学んだコリアンであれば、誰でも参加することができます。

風通しの良いにしたいと考えています

第2純然たる「親睦会」という大原則を堅持します。

私達在日コリアンは、本国が分断しているという状況や日本に住んでいるということから様々な意見や心情を持った方が集まっています。こうした状況認めつつも、当会思想、政治信条、宗教の違いを超えて親睦をはかる集まりです。日常生活で立場が異なる方でも、当会に集まった立場超えて仲良く親睦することだけ目的とします

当会は然たる「親睦会」であり、それ以上でも、それ以下でもありません。

第3当会の継続発展に努めます。

同窓会として有意義に、楽しく親睦を図ることは当然ですが、次に重要なことこの集まりを次世代に引き継いでいくことです。現在、発足3年目をむかえた奨学生制度や各種懇親会等、在校生への物心両面での援助・支援を心がけています。そして、在校生・新卒の皆さん!皆さんが社会人となったら、今度は後輩達のために何ができるか考えてあげて下さい。まずは、年会費の5000円からお願いします。また、可能ならば、ボランティアも是非お願いします。

当会の継続のためには、皆さんの年会費とボランティアが不可欠です。

第4集団運営体制をとります。

私は凡人で、特に秀でた存在ではありません。従いまして、顧問等の先輩方のご指導を得ることは勿論ですが、幹事長、副会長等の幹事会協議を尊重しながら、作業分担をして会の運営を行います。

最後に皆様方のご支援ご協力を切にお願いし、新会長の挨拶とさせて頂きます。

皆で楽しい会にして行きましょう!


2017年在日早慶親善ゴルフ大会実施要項

2017-08-27 21:39:13 | 私の意見・交流・日常

開催日  : 2017928日(           

会 場  : 茨城ゴルフ倶楽部 東コース OUTIN 各906 より

      〒300-2352 茨城県つくばみらい市小島新田     

      TEL: 0297-58-1216  FAX: 0297-581961  

      http://www.ibarakigc.jp/modules/tinyd0/index.php?id=9

定 員  : 32名(8組)

集 合  : コース クラブハウス、 832まで         

移動手段 : 「つくばエキスプレス」を推薦

       秋葉原駅 711分もしくは739分発 を利用

 

パーティ会場 : 計測器BARGAUGE」 秋葉原駅より約200m

https://tabelog.com/tokyo/A1310/A131001/13199532/

 

参加資格者: 早稲田大学ならびに慶応大学在校生、OB、OGに該当する方、  

       もしくは、その関係者、知人、友人、夫人、子弟、その他

協議方法 : チーム戦 - 各校上位4名のグロススコアにて決定

       個人戦  - ダブル リア方式 

賞位と賞品: チーム優勝杯(持ち回り)

       個人男性・性・シニア別優勝、他 順位別賞品

費 用  :  プレー費 18,000円/一人 (各自、フロントにて清算)

(含む:プレー代、キャディ代、カート代

賞品&パーティ費 : 6,000円/一人

キャンセル時 : 月末までに、その旨を通知ください。 その際、代理の方を

         指名されるますことも許可いたします

9月1日以降のキャンセルは、参加費(6,000円)を徴収させていただきます。 

注意事項  : 原則、全員が「つくばエキスプレス」利用とします。 

925日(月)までに、キャディバッグ、ボストンバッグ、

その他を宅配便で発送してください。 

協賛依頼  : 協賛品、協賛金を募っております。 金額上限(5万円/ 以下)