早稲田大学ウリ稲門会

在日コリアンOB・OGのためのオフィシャルブログ

羅鍾一駐日韓国大使のご挨拶  〔於2007年3月総会〕

2007-04-29 00:08:35 | 総会来賓のご挨拶

 私は日本語があまり堪能ではありませんので、韓国語でご挨拶することをお許し願いたいと思います。実のところ、韓国人の集まりで韓国語の使用許可を得るなんて、おかしな話ですが。(爆笑)

 ともあれ今日はとても感動しております。日本での三年間の勤務を終えてただ今帰国準備中ですが、今日のような感動的な体験は初めてです。早稲田大学に韓国人同窓会があると、前から聞いておりましたので、一度覗いてみたいとは思っていたのですが、このように素晴らしい集まりだとは予想だにしておりませんでした。

 この早稲田大学には遥か昔、私の父も学生として学びに来ておりました。残念ながら三年生の途中でやめておりますので卒業はしておりません。父の日本での記録を探し当てたところ、1917年に予科に入学し、1919年本科で学んでいた時に退学処分を受けておりました。皆さんもよくご存知の“1919年の2.8独立宣言”に関与した咎で学籍を奪われた父は、上海に行ったのです。私は早稲田が韓国の近代化に深くかかわって来たことをよく知っております。そして今なお影響を及ぼし続けていることも。

 この三年の間、私は何度か早稲田を訪れました。講演したこともありますし、学生たちの行事に参加したこともあります。つい二日前にも国際学部の学生たちと懇談会を持ちました。当校の諸施設を見学する機会も得ました。また政経学部を訪問した時などは、ひょっとすると父もここで勉強したのかもしれないという想いにとらわれ、感慨もひとしおでした。あるいはまた演劇博物館では、シェークスピアのハムレットが日本で初めて公演されたのが1905年だったことも知りました。学校側の暖かいご配慮で、教育施設をはじめ、諸々の施設をくまなく参観し、打ち上げはキャンパス近くの居酒屋でした。教授の方々と酒を酌み交わし、ざっくばらんなひとときを過ごしました。日本に来て飲み屋に行ったのは、後にも先にもこれが初めてでした。

 早稲田大学には韓国人留学生が多いのも印象的でした。韓国人教授もけっこう居るんですね。のみならず、韓国に関心を抱き、研究している学生も多く、韓国語を学んでいる学生も2,300人いると聞きました。それ故でしょうか、昨年講演依頼を受けた時、不得意な日本語でするより英語?それとも通訳を介して?等と迷っていた私に、そのまま韓国語でどうぞと言ってくださいました。約1,000人の学生を対象にお話したのですが、多くの学生たちが、講演内容を含めた感想文を送ってくれました。それらの一つひとつを読みながら、私はしみしじみと時代の変遷を感じました。ほぼ一世紀前の昔、同じ早稲田で学んだ父が、これを見たら、どのように感じただろうか、と父の時代に想いを馳せたものでした。

 父の生存中、留学生活についての詳しい話は聞いておりませんでしたが、当時、漢文しか学んだことのない父が、日本に渡り、受験勉強を経て早稲田に入ったのは、二つの国の間でしなければならないことがある、という使命感ゆえだったとか。そして、日本での現実的な困難、苦悩、苦痛、無力感等を断片的に聞いた記憶があります。

 そういえば現在、一ツ橋大学の博士課程で学んでいるある学生、と言っても歴史学者ですが、彼が1910年から1920年迄の韓国人留学生を主題にした博士論文を書いているといいます。その中で私の父も含まれていると聞きました。

 時代の移ろいには激しいものがあります。韓国が独立した、つまり解放を迎えた1945年当時の我がの国のゼロ歳児の死亡率が、どの位かご存知ですか?1,000人中107人が一年も生きられずに死んでいったのです。現在では死亡児数も5人に減り、米国の7人を抜き、大幅に改善されました。また識字率も低く、文字の読める人が全国民の22%しか居ませんでした。経済はどうだったかと言いますと、植民地政府・総督府の戦時支出があまりにも多く、経済と呼べるものがありませんでした。実に驚くべきことです。それでは当時の国民一人当たりの所得は?と調べてみましたが、どこを捜しても見つかりませんでした。1984年は82ドルという統計がありました。今年の我が国の国民所得は2万ドル、昨年の輸出総額は3,000億ドルでした。

 このような数字をみると、日本支配政策の影が深かったのは経済、あるいは教育関係と思われるかもしれませんが、実際は軍事的な思考方式なのです。残された軍事政権的な発想のため、韓国は長い間悶え苦しみ続けて来ました。それが全て日本のせいだとは言いません。

 近年の韓国の社会的発展にはめざましいものがあり、軍国主義的な発想をもつ人は非常に減りました。権威主義的な残滓もほとんど残っていませんし、それ以上に素晴らしいのは女性の社会的進出のめざましさです。今や司法試験や外交官試験の合格者の半分以上を女性が占めております。酒席であれ、冗談にも女性を卑下するような言論を発すれば罰せられます。

 また、韓国ではこの10年間、死刑を1人も執行していません。先の日本の法務大臣の杉浦さんが、韓国の司法制度の実情を是非見たいとおっしゃるので韓国に紹介しました。彼は警察の量刑が緩やかであり、受刑者の人格を尊重している韓国の司法制度は素晴らしいし、先進的だとおっしゃってました。また、服役中に5年間も職業訓練を受けることができ、家族との面会もテレビを通じて行えるシステムが完備されているのに驚嘆して、案内してくれた現場の職員に「これ程充実した設備を整えるには、厖大な額が国家予算に計上されたのではないですか」と質問したそうです。すると「そうでしょうね、でも国会議員たちは、いつ自分がここに入れられるかもしれないと思い、すんなり予算を通過させたんだと思います」と答えたそうです。(爆笑)

 韓国はめざましい発展を遂げていますが、それだけで満足したり、自慢しているわけではありません。盧政権は過去の過ちにも目を向け、過去史の是正、清算に取り組んでもいます。

 祖国が一日も早く統一されることが大事です。これは政府だけの問題ではなく、全民族の課題です。韓国では北と和解し、理解し合うことが大変幸せなことだと考えています。誰が悪くて、誰が良いと言うのではなく自らが謙虚になりましょう。

 早稲田マンは考えや所属、立場等々の違いを乗り越え、ひとつになろうと努力しています。さすが早稲田大学で学んだ人たちは違うなあ、と思いました。これもひとえに、開かれた校風を作りあげてきた総長をはじめとする先生方のご指導の賜物ではないかと思います。


「継承したいこと」

2007-04-25 21:37:28 | 連載コラム

                                                                     李 宇 海
 
 四方田犬彦が近著「大好きな韓国」の中で,インスタントラーメンの作り方について,韓国人と日本人の違いを書いている。日本人は包装に書かれた作り方を読み,ネギと卵を入れろと書いてあれば用意してそれらを入れ,3分待てとあれば3分待つ。韓国人はそんなものは読まず,いきなり袋を破り捨てて,そこらにあるものを投入し,あるいは麺も粉末スープも別の料理に放り込んで,新たな食べ物を創作してします(プデチゲがそうですね)。日本人は計画を立てて実行することは優れているが,突発事態に対応できず,韓国人は無計画にいきなり始めるから突発事態の連続になるが,(日本人には)思いもよらない方法でそれらを解決していく,というのが四方田説である。
 これ以上に肩入れする必要もないが,韓国人のこのような振る舞いは,別に無思慮というのではなく,「計画を立てても客観的条件が持続するとは限らない」,つまりは「社会は身勝手に変動するものだ」という観念と関係があると思われる。これも激動の韓国近現代史の所産ではなかろうか。
 そういえば思い出すのだが,明洞の食堂の外壁にある料理(ポッサム)の写真に「不意にれかにさられねること」という日本語訳が付いているのを見たことがある。この類の日本語訳はいい加減なのが多く,特に「ン」と「ソ」が混同されていて「テンジャソチゲ」「コムタソ」などと書いてあるのはしょっちゅうである。それにしてもこのポッサムの訳はワケが分からないので,日本に帰って韓日辞典で「ポッサム」の項をひくと,「不意にだれかにさらわれること」と書いてあるのだった。
 件(くだん)の食堂の人は,このひらがなのうち「だ」を書き忘れ,「さらわれ」を「さられね」と写し間違えて,ああなったのである。日本人向けに,とりあえず分かればいい(と言っても,この場合分からないのだが),委細は気にしない,という気質の結果だ。もちろん,ポッサムは,白菜に豚肉やキムチを包んで食べるあの料理のことだが,私の持っている辞書には,なぜかその意味は書かれていなかった。
 こういういい加減さは,在日同胞の間で自嘲気味に語られることが多い。好みの話をすると,こういう気質は(人に迷惑を掛けない限りで),私が是非受け継いで行きたいと思うところである。



商学部2年生 姜 裕史

2007-04-23 00:00:00 | 現役学生の一言

 早稲田大学に入学して早一年が過ぎました。入学当初は、高校時代に抱いていた大学生活のイメージとのギャップに多少の戸惑いも感じましたが、二年生となった今では、授業やクラス、サークルにバイトと毎日充実した大学生活を送っています。

 高校三年の三月、早稲田大学入学が決まり、手続きをしている中で、私は第二外国語に朝鮮語があることを見つけました。小学校・中学・高校の18年間、通名を使い、周りの友人に対しては在日であることを隠すわけでもなく、かといって在日であることを強く意識し、誇りに思うわけでもなく生きてきました。大学という新たなフィールドに立つのに際し、母国である韓国のこと、さらには自分自身のことをもう一度見直して根本的に理解するための良い機会になるのではないかと考え、私は朝鮮語を選択することにしました。また両親から、早稲田には昔から多くの在日が在籍しているので、朝鮮語のクラスにも何人かいるのではないかとの助言もあり、在日の友人を作れるかもという期待も抱いていました。

 今では朝鮮語を学び始めて二年目に入り、ハングルの読み書きや挨拶、簡単な会話や文法まではできるようになりました。時折担当の先生が話してくれる韓国の文化や歴史はとても勉強になり、朝鮮語を選択してよかったと思えることが多いです。ただ、一つだけ心に引っかかるものがあります。それは、クラスに在日の仲間が一人もいないことです。周りの友人は皆日本人で、彼らは韓国に興味があったり、韓国の映画やドラマが好きだったりといった理由で朝鮮語を選択したらしく、それはそれで嬉しいことなのですが、私には在日の友人を大学で作りたかったという気持ちがありました。

 そんな気持ちから先日、この記事を書くきっかけとなったウリ稲門会の会合に参加させていただきました。残念ながら現役の学生は私だけで、ご一緒していた時間も少ないものでしたが、同窓会ならではの温かい雰囲気と学生の頃から続いているのであろうメンバー同士の絆の深さを感じることができました。

 そして今、私はクラスや現在参加しているサークルとはまた別に、ウリ稲門会のような同年代の在日の仲間が集まり、時間を共有する、そんな場にもっと積極的に参加したいと思っています。よく「大学生は四年間、何をするのも自由」といった言葉を耳にしますが、その言葉は裏を返せば、「何もしなくても四年間、惰性で過ごすのも自由」になってしまうわけで、高校までとは違い、大学はやはり自分から動かなければ何も変わりません。これからの三年間、私はウリ稲門会やその他の在日の学生が集まる場へと自ら足を運び、在日の仲間を増やして、その中で自分の意見や考え、時には夢を語ったり、また逆に聞いたりして価値観を広げ、社会に出る前の大事な残りの大学生活を悔いの残らない、実のあるものにしたいと思っています。


2006年秋のゴルフコンペ

2007-04-23 00:00:00 | 各支部・分科会の近況

2006年秋のウリ稲門会ゴルフコンペが10月19日、ザ・ゴルフクラブ竜ケ崎にて開催されました。すっきりと晴れた秋空のもと、琴栄吉ゴルフ会会長をはじめ、遠くは長野から参加した李誠学兄を含む9名の会員が、自慢の腕を競い合いました。当日は趣向を凝らした団体戦。名ショット、信じられない迷ショットの果てに、優勝は韓煕相学兄・沈広燮学兄・金君夫学兄の組が飾りました。

次回2007年春のウリ稲門会ゴルフコンペは5月16 日、茨城県美浦ゴルフ倶楽部で開催予定です。上手い人もそうでもない人も是非奮って参加してください。




第12号新聞の編集後記

2007-04-23 00:00:00 | 新聞編集後記

年が改まるのは正月と決まってるわけですが、5月生まれのせいもあってか,
眩い新緑を目にしてはじめて、新しい年のあたらしい命が生まれて来たことを実感します。

さて稲門会ニュースも安王錫新執行部の船出とともに、この度かなり大幅なイメージチェンジを図りました。

読みやすく親しみやすくまた保存もしやすいようにと、従来の新聞形式からA4版横書に変更いたしましたが、如何でしたか。

また新たな試みとして、ウリ稲門会公式ウェブサイトを立ち上げました。

http://blog.goo.ne.jp/wasedauritoumonkai

ブログ形式でのスタートとなりますが、今後充実を図って参りますので、会員各位のご協力よろしくお願い申し上げます。(朱茂)