早稲田大学ウリ稲門会

在日コリアンOB・OGのためのオフィシャルブログ

母校で一日講師

2009-07-15 20:34:50 | 私の意見・交流・日常

「地方参政権の獲得についてどう思われますか?」「本国に帰属意識はありますか?」母校の教室で在学生たちから受けた質問の一部です。
たまたまウリ稲門会のホームページを見つけて同窓会の存在を知った在学生の尹世羅君から、履修しているゼミで誰か一日講師を務めてほしいという要望が同窓会に寄せられてきたことに応え、母校を訪ねることとなりました。

梅雨晴れの7月7日。私が訪ねたのは岡村遼司教育学部教授がご担当されている「在日コリアンから学ぶ(歴史から考える)」と題されたゼミ。各学部の二十名ほどの学生たちが履修しており、何人かの同胞学生も含まれています。
岡村教授は演習の概要として「在日コリアン問題をわたしたちが考えることは、この国の歴史や文化といったものを再発見することになるだろう、ひいてはわが内なる「日本国・日本人」を直視することにもなるはずだ。」と述べられ、さらには「このクラスでは、なによりも近・現代史における日本と朝鮮半島の関係を学ぶことによって参加者が在日問題の所在を共有することが必要になります。それはまた、他者(コリアン)をとおして自己(日本人)を発見することになるはずです。」と記していらっしゃいます。
在日同胞の歴史を通じて私たちの立場や思いを理解する、それはとりもなおさず日本と日本人を再発見する契機になるはずだとの認識に基づき、今母校ではこうしたゼミが展開されているのです。まずはこの事実に感銘をうけました。私が在学した1970年代には勿論こうしたゼミがあるはずもなく、隔世の感ありと言うほかありません。 
教室では初めに、このゼミを履修することになった動機を一学生に尋ねたところ、「在日コリアンの友人がいるので、在日のことをもっと知りたくて取りました。」との答えを返してくれて大変好感を持ちました。
私からは、高校時代まで自分の民族性を肯定的に受け入れることができず、日本人に生まれてこなかったことを悔いながらルーツをひた隠しにして生きてきたこと、早稲田大学に入学して同胞学生との劇的な出会いをきっかけに民族的に覚醒して初めて本名を名のり、さながら新しく生まれ変わったような精神的解放感を感じたことなど、私たちの世代の在日同胞ならば誰しもが辿ってきた内面の遍歴を、体験を交えつつ学生たちに語りかけました。
私たち在日同胞がしばしば「民族」という言葉を使うのは、排外的なナショナリズムに根ざすものではなく、民族性の回復が即ち私たちにとっては人間性の回復なのだという見地からで、決して日本社会と対立する指向性はないということも述べました。
ゼミでは、本国で制作されたドキュメント映画「ウリハッキョ」(金明俊監督)を鑑賞したことがあるそうです。困難な環境の中、しばしば心ない人々から脅迫をうけたりしながらも脈々と民族教育が継承されていることに学生たちは何かを感じとったようです。学生たちの問題意識に沿って、在日諸団体の経緯や現状についても言及をしました。
最後に「数十年前に比べれば、私たちを見る日本人の眼差しが穏やかになったことを感じる一方で、日本人の深層心理に深く刻印されている排外意識や差別感情が、時に応じて暴力的に噴出してくる。この相反する感情が矛盾なく混在している日本社会が、これから果たしてどのような方向に向かっていくのか、私たち在日同胞は絶えず注視しながら日本で生活しています。」という言葉で授業を締めくくりました。
敢えてこのようなテーマのゼミを選択し、私の話に真剣に耳を傾けてくれた母校の学生たちに感謝したいと思います。
尹世羅君から早速嬉しいメールが届きました。「本を読むだけでは知ることのできない、いろいろな話が聞けてとてもうれしく思っています。特に鄭先輩の子どもの頃の体験は、僕の親とも似たところがあって非常に共感できました。」と。
在日同胞の問題に真摯に向き合おうとしている岡村ゼミの学生たちには、これからも早稲田大学で充実した学生生活を送ってほしいと願わずにはおれません。そして、ゼミ「在日コリアンから学ぶ(歴史から考える)」を熱心に受け持っていらっしゃる岡村遼司先生のご見識とご尽力に心から敬意を表し、先生の今後のご活躍をお祈り申し上げます。

そびえ立つ大隈講堂。緑溢れる懐かしいキャンパス。木漏れ日の中を笑いさざめきながら行き交う学生たち。学生街の喧噪。久しぶりの母校に、あの頃のこころざしや気持ちが胸の中にありありとよみがえり、「我が母校早稲田」との思いを新たにしました。

鄭剛憲(77年一文卒)

 岡村遼司教授のウエッブサイト
http://okamuraryoji.org/koreanhistory.aspx


私の実存的な宝物

2009-07-15 20:10:46 | 私の意見・交流・日常

皆さん、アンニョンハシムニカ。
私は、法学部2000年卒業の秦東主(チンドンジュ)と申します。
現在は、東京で弁護士をしております。

この度幹事長に就任された、弁護士の大先輩でもある李宇海先生より、「お前、何か書け」という光栄なお言葉(命令?)を頂きましたので、学生時代の思い出等について述べさせていただきたいと思います。

私の両親は済州島出身の1世であり、私も本名だけで生活してきましたので、小さいころから韓国人であるという認識はそれなりに持っていました。
しかし、民族学校に通ったりすることもなかったので、大学に入るまで、在日コリアンの友人はいませんでした。

そんな状況の中、大学に入学してしばらくしたころ、在日コリアンサークル「ウリパラム」の部室に顔を出し、私の人生は大きな転換期を迎えました(良い方向、悪い方向、いずれへの転換だったのかは不明ですが、前者であったと信じています・・・)。
それ以来、韓哲さんや朴昭熙さんをはじめとして、多くの在日コリアンの先輩・友人と出会いました。そして、時間がいっぱいあるという学生の特権を活かして、みんなと数えきれないほど色々な話をして、数えきれないほどたくさんのお酒を飲みました。私にとっては、かけがえのない思い出であり、宝物です。

私は昨年結婚したのですが、妻は私と出会う直前に帰化をしていました。帰化した直後に出会うなんて、妙な縁ですよね。そんな妻にウリパラムで出会ったメンバーを紹介したところ、「私も学生時代にこんな仲間たちと出会いたかった」と言ってくれ、改めて良い仲間と巡り会えたということを実感しました。

しかし、そんな仲間たちとも、ここ数年は、みんな仕事や家庭の事情で時間に余裕がなくなってきてしまったため、なかなか集まれていません。
卒業後も、2002年のワールドカップなど、何かイベントがあると、それを口実にして集まる機会を作っていたので、新たな口実として、ウリ稲門会を活用させていただきたいと思っています。

最近、私は本当に人に恵まれた人生を送ってきたと思うようになりました。
自由気ままな司法試験受験生活を支えてくれたオモニや家族(残念ながら、オモニは私が合格する前年に亡くなりました)、あいかわらずの自由気ままな生活を支えてくれている妻、在日コリアンの弁護士として生きていく道を切り開いてくださった金敬得先生や李宇海先生をはじめとする諸先輩方など。こういった素晴らしい人達との縁に恵まれたことを感謝しています。

ウリ稲門会が、これからもそんな良い縁を提供する場であり続けることを期待していますし、私も可能な範囲でそのお手伝いをしていきたいと思っています。
未熟者の私ですが、これからもよろしくお願いいたします。

秦 東主


収支報告

2009-07-12 13:08:04 | 会計報告

  ● 収支表 ● (2007年2月~2009年5月)
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収入の部 (A) 6,494,083 (円)
   前期繰越金1,938,333
   イベント会費1,635,000
   年会費790,000
   協賛金1,514,750
   広告費616,000
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支出の部 (B) 4,849,491
   会議費0
   会報費1,078,541
   慶弔費192,750
   イベント補助費3,109,887
   交通費0
   通信事務費468,313
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収支 (A-B)      1,644,592

三菱東京UFJ銀行残高 630,662

ゆうちょ銀行残高 1,013,930


韓国映画-極私的好み-

2009-07-03 22:07:23 | 連載コラム

私の連載コラムもこれが最後となりました。
 趣味を開陳しても迷惑だと思っていままで書かなかった,好みの韓国映画を羅列します。

「誤発弾」
60年代初頭のソウルで生活するサラリーマンの話。ハコバン,と呼ばれたバラックに暮らしている(場所は,往十里などの当時の細民街か?)。
病床の母親が呻くように繰り返す「帰ろう。」との台詞が,北の地域への帰郷心の表現とも解釈できることから,当時の政権の検閲を受けて一時上映禁止となった。
つい最近,NHKで韓国映画を取り上げた特集が組まれていたが,この映画を撮ったユ・ヒョンモク監督がインタビュー出演しており,イタリアのネオリアリズムの影響を受けた,と語っていた。
当時の,貧寒としか形容できないソウルの街頭風景が観られる。こんな街だったのか,と驚く。

「森浦への道」
 若い労働者,刑務所を出てきた中年男,居酒屋から逃げ出した若い女性,という3人のロードム-ビー。
中年男の故郷である,森浦(架空の町)を目指すが,男の記憶にある町からは大きく変容している。
 70年代の,まだ発展しきっていない韓国の,田舎町や小さな駅の風景がもの哀しい。
この哀しい話はどうなるのだろうと思って観ていても,結局哀しいまま救いなく終わるというのは,イム・ゴンテク監督の「風の丘を越えて 西便制」などもそうで,韓国映画にはままある。

「グリーンフィッシュ」
 名匠イ・チャンドン監督の4部作(残りは,「ペパーミントキャンディ」「オアシス」「シークレットサンシャイン」)の内では最も有名ではないが,名優ハン・ソッキュが自ら“演技に目覚めた”と言う社会派映画。
ソウル近郊の田園地帯がベッドタウンとして開発されていく陰で,障害者の兄を持つ主人公がギャングの手下として破滅していく話。ギャングの親玉を演じるのは,かの文益煥牧師の息子さんである。
敵方の親玉を暗殺しに向かうハン・ソッキュが着けたオイルライターの火が,サングラスに大きく映る場面が興趣に満ちている。

「ペパーミントキャンディ」
 原題は,「薄荷砂糖」。しかし甘い映画ではなく,労働運動,警察の拷問,光州民主化抗争,バブル経済の破綻等々を,自殺した40歳の男の境涯を通して描く,極めて社会的な趣の映画である。主役はソル・ギョング。
 四方田犬彦氏によると,韓国人なら,おしなべて目を背けたくなる様な現代韓国史の陰画であるとされる(岩波新書「ソウルの風景」)。
相手役の女優はムン・ソリ。この二人が犯歴保有者と重度脳性麻痺の女性を各々演じたのが「オアシス」で,こちらは韓国社会の少数弱者に対する冷酷さを描いている。
いずれも,ビールを飲みながら気楽に観られる映画ではない。

「チング」
 有名な映画であるが,ジェンダーの立場からは,身勝手でアホな不良男達の姿に過ぎないとの論難もある。
 以前,ソウルでタクシーに乗った際,運転手がこの映画のチラシを車内に貼り付けていたので,主人公達と同じ「386」と呼ばれた世代には特別の感懐をもたらすのだと思う。
 この映画も,70年代の釜山の様子が描かれているところが良い。
あとは,ローラースケート場で,主人公が跳び蹴りの一発で敵の不良を倒すシーンも良い。
男ばかりの,ホモソーシャルな話の典型であるが,ほぼ実話であり,上映された時期に獄中にいた主人公の一人が「アレはオレのことだ」と,えばったらしい。

「受取人不明」
 米軍基地近郊の村で,アフリカ系アメリカ人兵士を父に持つ少年を主人公にしている。
「春夏秋冬,そして春」「悪い男」などの奇才,キム・ギドク監督の作品。
 これも,いったいこの暗い話はどうなっていくのかと心配していると,どうにもならずに終わっていく。
主人公の家族とは別の家族についてだが,父親が6.25で名誉の戦死をしたはずだったのに実は北の国家に去っていたことが分かって,急に警察の監視対象にされる挿話があり,「赤の家族」とされた人々が惨い迫害を受けてきたことが分かる。
さきほどのイム・ゴンテク監督は自身がその迫害を受けてきた人物であり,「シルミド」でソル・ギョングが演じた主人公もそういう設定下の男だった。
連座制と呼ばれた国家ぐるみの差別については,つい最近まで詳しいことを知らなかった。
平凡社から日本語の翻訳本が出ている「朝鮮戦争の社会史」(金東椿/原題「戦争と社会」)という本に,その当たりの事が触れてある。

「マルチュク青春通り」
 原題は「マルチュク通り残酷史」というもので先の「386」世代等が70年代後半に過ごした,軍隊並みの高校生活が描かれる。
1979年の,開発が始まった頃のソウル江南地域が舞台。学校に常駐する軍人,えこひいきされる高級軍人の息子,体罰と喧嘩に荒れ果てる高校生の心象,などが描かれる。
 最後にクォン・サンウ演じる主人公が「韓国の学校,クソ食らえ」と叫ぶ。
こうした高校生活を強いられた彼らが,大学進学後に6月民衆抗争で民主化運動の前面に立った,のだという向きの解説もある。

 もちろん,その他にも数多く名画がありますが,極私的には「グリーンフィッシュ」が最も素晴らしいと感じます。
                                 以上


ウリ稲門会活動日誌(2007年3月~2009年6月)

2009-07-01 21:47:54 | 各会員の近況・会の活動日誌

当稲門会の標記期間中の活動をご報告申し上げます。
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2007年
3月3日   総会 主婦会館(四谷)
3月15日  朴容震学兄 IEEEアジア太平洋地域次期会長選出祝賀会 
       明月館(新宿)
 
4月中旬   125周年記念事業協賛
4月下旬   ウリ稲門会インターネットブログ運営開始

5月1~3日 羅前駐日大使 又石大学総長就任祝い(全州)
5月16日  春のゴルフ会 美浦ゴルフ倶楽部(茨城)
5月18日  第2回関西支部総会 関西文化サロン(梅田)
5月25日  第12号ウリ稲門会ニュース発刊
5月31日  グルメ四季の会 韓式レストラン五味(六本木)
 
7月26日  早稲田大学対高麗大学サッカー定期戦観戦 
国立競技場(千駄ヶ谷)

8月25日  納涼会 シンフォニー号(日の出桟橋 東京湾)

9月27日  第13号ウリ稲門会ニュース発刊

10月3日  秋のゴルフ会 筑波東急ゴルフクラブ(茨城) 
10月19日 拡大幹事会 明月館(新宿)
10月21日 韓国校友会正副会長会食 明月館(新宿)
10月28日 グルメ四季の会 豆腐屋 うかい (芝)

11月4日  第35回中部支部総会 嘉門次小屋(長野県上高地)

12月 7日 韓国校友会60周年定期総会出席 ロッテホテル(ソウル) 
12月14日 拡大幹事会―忘年会 明月館(新宿)


2008年
2月2日   新年会 ANAインターコンチネンタルホテル(赤坂)
3月10日  第14号ウリ稲門会ニュース発刊     

6月7日   拡大幹事会  明月館(新宿)
6月14日  第3回関西支部総会  関西文化サロン(梅田)

8月23日  納涼会 パストラルホテル (虎の門)

9月24日  第15号ウリ稲門会ニュース発刊

10月11日 秋のゴルフ会 都賀カンツリー倶楽部 (栃木)

11月19日 第36回中部支部総会  食事処池野 (修善寺) 

12月3日  韓国校友会61周年定期総会出席 ロッテホテル(ソウル)
12月10日 拡大幹事会―忘年会  明月館(新宿)


2009年
2月27日  韓国奨学財団授与式出席 リーガロイヤルホテル(早稲田)

3月31日  第16号ウリ稲門会ニュース発刊

4月10日~ ウリ稲門会案内文校内イントラネット掲載

5月15日  現役学生交流会 明月館(新宿)

6月10日  春のゴルフ会 太平洋クラブ美野里コース(茨城)


以上