早稲田大学ウリ稲門会

在日コリアンOB・OGのためのオフィシャルブログ

解雇規制緩和論とか~

2013-05-29 19:32:59 | 私の意見・交流・日常

労働経済学を知らない勤め人が云うのもナンですが解雇規制緩和、宜しいのではないでしょうか、君子は淡交・小人は濃交。絆ブームが醒めるや否や、自分の面倒は自分で見てね、ということのようです。本来会社にも配偶者にも国にも過度に頼っちゃいけないのですね。思えばもう20年近く前から会社と社員との関係は微妙に変化し始めていたと記憶しています。それでも就職という現代日本の、いや世界中の弱き個人の切実な関心事は肥大化する一方です。専門家は口を開けばイノベーションというけれども、技術革新というのは大抵失業を生み出すものだと思います。大企業の追い出し部屋は解雇が困難な国で、あからさまに違法なことはできないが内部留保確保か株主の期待を優先したいという会社のブラックな策でしょう。「報酬分しか仕事をしない者は、その仕事分しか報酬をもらえない」と云われていますが、正規社員の場合報酬分以上の仕事を一定期間するとその成果・能力以上の報酬と安定をもらえることが多々あります。右肩下がりの市場の中で知らず知らずのうちに “守られすぎ”状態に変容。解雇規制緩和というのは、手切れ金を確実に渡すから別れさせてあげましょうという内容らしく、そうであれば何のことはない婚姻破綻主義採用の日本司法行政が既にノウハウを持っている。ところで中小企業では予告手当以外は無償で簡単に縁切りされているのでここでは遍く“確実に手切れ金を渡す”というのが肝なのでしょうか。この点弱小企業で働く労働者と、(似非でも一応)組合を有する“一流企業”で働く労働者との間に格差を垣間見るのですがこの事実上の格差を問題にするひとはあまりいません。結婚と同じパーソナルな問題私的自治。ところが正規社員と非正規との格差となると途端に“差別”という語が説得力を持ってくる。アメリカでは非正規という身分制度は無きに等しいらしいですがこれはジョブ制を採っていることと相俟ってやはり解雇の自由度が高いことと関係がありそうです。やはり同じコミュニティー内では「同一労働同一賃金」は守られるべきでしょう。実力本位の共和制的世界帝国アメリカ万歳!僕は幼いころから「いい人になりなさい、いい人というのは立場上自分に逆らえない人をどう扱うか・どう向き合うかで試される」と教わったものですが(いや実は最近ですけど)、僕はこれに「正規社員を過度に守りながら非正規という身分制度を支持する人かどうか」という尺度も付け加えることにしています。万歳三唱といえば。物議を醸した天皇陛下万歳!先日の「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」。非正規の定義は定まっていないなどと云えばきょうびネット言論では即座に“あんた情弱なの?バカなの?変態なの?氏ぬの?”と突っ込まれてしまいそうですが侵略の厳格な定義は必要なのだそうです。ところで先日の朝日新聞に「「俺たちは日本人」連帯感くすぐる安上がりな仕掛け」を寄せた片山杜秀氏によれば自民党の改憲草案には新設条項として「家族は互いに助け合わなければならない」が書かれていることも援用して「もう国は国民の面倒はみない、でも文句を言わせないための安上がりな仕掛け(国防軍、日の丸、君が代等)をたくさん作っておこう」というのが安倍政権の目論見だという。家族相互扶助は確かに既に民法親族編に規定されていますよ。被治者が治者に向けた規範である憲法になぜ?ちゅうことです。“ニッポンをとりもろそう”(舌が長すぎるのか短かすぎるのか)という右翼的美学スローガンにはカネ勘定が符丁的に密輸入されているというのが論旨と読めます。同氏の結論は「国民国家が崩壊の過程にあるからこその、主権の強調」。確かに3.11を見るまでもなく、つらい時ほど“連帯したい”感は強く、君子も淡交ではいられない。陛下万歳を三唱すればお経を唱えるという程度の最低価格で連帯感が持てるかもしれません。国家もコスパか。赤紙とか想定しにくい現代では収税機関として設定された国家こそが国家たる所以。そのカネをどう使うかも国が決める。財政立憲主義なんて飾りなんですね。使い道をあれこれ詮索する奴は中国の手先か在日朝鮮人だというデマを流通させればよいという佇まい。いや政権自身はそんなマネはせず、国防軍とか英霊とか言って焚き付けるとその気になってくれる輩を利用すればよい。ブランディングもシンボルも上手に使う。しかし“家族は互いに助け合う”で連想するのが地元主義・アゲアゲ精神主義を核とするヤンキー文化。僕はあながちヤンキーが嫌いじゃないですが、反知性主義的階級文化のエートスと偏狭なローカリズムとの親和性は否定しきれないところがあります。振り返ると80年代頃オシャレで裕福な層をして“日本人にしておくのは勿体ない俺さま”という文脈のギャグが流行っていたけどそれは余裕の証、昨今では海外からヒかれても親会社アメリカからヒンシュク買ってもあくまで“世界に稀にみる優秀な日本人”“英霊を称える正統派日本人”“在日殺せ”という挑発的言辞がアップアップな趣で痛々しく、同時に吐き気を催す。炎が消える前の蝋燭なのか掉尾の一振りなのか国を挙げての株価操縦ミクス(私人がやると金商法違反で逮捕起訴)とブラック企業リストアップ、ナマポ(←ネット空間言語ってホント下品ですね、眼が腐ります。)がどうのこうの。しかしブラック企業だとレッテルを張る側は大丈夫なのか、かつてのブラック国家に逆戻りなさいませんように。しかし我ら同胞の“祖国”はどうだ?ベトナム戦争でやらかした悪行(被害者の最低二世代先ぐらいまでは贖罪を続けよ)、高すぎる自殺率・非正規就労者率、地域差別、女性蔑視、財閥支配、世界最低評価の現行ブラック王朝等々。六なものではないですね、ホント目眩がします。僕たちの場合「俺たちは在日」と連呼しても別に気分は盛り上がらないし、だからと言って「俺たちは誇り高きコリアン」と連帯感を鼓舞するのも、うすら寒く見苦しい。要するに僕たちのような部族はアンチナショナリストであるのが政治的に正しい。元々国民国家に属していないし。じゃぁ、いつ「俺たちは在日」という連帯感を鋳造しますか?今じゃないでしょう、君子淡交・小人濃交。我らが安住の地たる日本の貧困が止まらず“安酒の悪酔い”(村上春樹)度合を一層強めた時でしょう。じゃぁ、その時の連帯のシンボル・通奏低音って何ですか?キムチでしょう。キムチの政治利用なし。本旨から逸れましたが、要は元来僕らの多くは過剰にカイシャにもクニにも頼っていないから解雇規制緩和だって国民国家崩壊の過程だって今更怖くない、どうってことはないという独り言でした。(2013年5/7記 富男)



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