映画「青べか物語」を映画館で観てきました。
映画「青べか物語」は1962年(昭和37年)の森繁久彌主演の東宝映画だ。山本周五郎の原作を脚本新藤兼人で川島雄三監督が演出している。架空の町浦粕が舞台となっているが、山本周五郎が若き日に東京を離れて浦安に住んだ時に見聞きした話が中心である。青べかとは現地の飲んだくれオヤジから無理やり買わされた海苔をとる1人乗りの小舟のことである。
これは観てよかった。
周囲に「先生」と呼ばれている森繁久彌演じるもの書きの主人公が、浦粕の町で下宿して文筆活動に入っている。現地の人情味ある町の人たちとの触れ合いを中心にいくつもの逸話をつづる。
何より、1962年当時浦安上空を江戸川沿いから俯瞰する映像が貴重だ。おそらく、戦前とこの映画が撮られた時と大きく変わっていない。まだまだ、周囲は畑だらけで葦だらけの湿地帯もある。浦安市民には必見の映画だけど、観るチャンスはないだろうなあ。
⒈川島雄三
川島雄三監督作品はかなり観ている方だ。この映画の公開翌年1963年に若くして亡くなっている。本当に残念だ。九段富士見の芸者にスポットを当てた「女は二度生まれる」などでもわかるように、現地ロケの配分をわりと混ぜていく。今となっては別世界になった漁師町としての浦安の原風景がよくわかる。
なぜかWikipediaの川島雄三の欄にこの作品の記載だけが空白のように抜けている。よくできた作品だけに不思議だ。前作「雁の寺」のようなドロドロした人間関係を描いた作品もいいが、コメディの要素が強い作品に本領を発揮する。「暖簾」で組んだ森繁久彌とのコンビも絶妙だ。水商売女の描写がいつも巧みな川島も、今回は左幸子を場末の小料理屋の女給に起用する。カネを持っていると自慢する関西人の客からぼったくる。この女給役が適役でうまい。
⒉森繁久彌とフランキー堺
社長シリーズや駅前シリーズ全盛時代の森繁久彌やフランキー堺が登場している。この時代の森繁久彌はダメ男の方がうまい。ここでは、少し違う。言いよる女性の誘惑に負けない。社長シリーズでは新珠三千代あたりと浮気しようとしていつも失敗して、久慈あさみの奥さんが登場する。そんなシーンは見られない。喜劇俳優としてはおとなしい。
川島雄三作品では常連のフランキー堺は、地元商店のうだつの上がらないセガレで最初の奥さんの中村メイコには逃げられるし、甲斐性もない役柄だ。名脇役千石規子のお母さんの言いなりだ。でも、次が池内淳子なら役得かも、まあいいか。それぞれにいつものキャラとは違う。
⒊人情味あふれる共演陣
むしろ、地元民を演じる東野英治郎や桂小金治の方が快調だ。その後に水戸黄門で主役を張る東野英治郎は、俳優座に所属しながら映画会社を超えて脇を固める。同じ年の1962年には「キューポラのある町」で吉永小百合の飲んだくれオヤジを演じている。大酒飲みということではこの作品も同じだ。「青べか」の舟を売り付けたのは東野英治郎だ。消防署長の加藤武といいコンビだ。
桂小金治は天ぷら屋の亭主だけど、市原悦子の奥さんといつも夫婦ケンカばかりしている。しかも、奥さんの方が背が高い。取っ組み合いしてもやられてしまう。配役もあってか、浦安なのに東京の下町の匂いをぷんぷんさせる。
船長役の左卜全と森繁久彌のかけ合いもいい味だしている。左卜全の初恋の相手役は初代ウルトラマンのフジアキコ隊員桜井浩子だ。自分もTVはリアルで観ていた。東宝映画の青春ものには欠かせない存在だった。あとは、東宝映画だけに山茶花究や脚本の新藤兼人の連れ合い乙羽信子も下宿先の大家だ。
⒊浦安の今と昔
浦安はこの映画ができた後に千葉エリアの東京湾埋立が進み、ディズニーランドや住宅地ができて大きく変わった。この映画に映る浦安の面影はかなり消えたといってもいいくらいだ。川や土手は変わっていないけど、それくらいだ。もともとの浦安原住民は今もそれなりにはいるけど、大規模開発の後にきた人たちがほとんどだ。
漁船というより、小舟がたくさん川に停泊している。それが漁師の手でゆったりと川を下るシーンは趣ある。また、森繁久彌が無理やり買わされた「青べか」に乗って、晴れた日に海に向かい、昼寝したら潮が引いて砂の上に直接舟がのっているシーンも優雅だ。貝を密漁しようとする人を取り締まるシーンもある。
東日本大震災をはさんで5年間千葉で仕事をした。浦安もエリア内でよく行ったものだ。震災後は液状化現象で住んでいる方々はたいへんだった。浦安市民の所得は高く、東京23区を含めてもいつも全国上位10番台だ。神奈川、千葉、埼玉で浦安市より上のところはない。会社役員などが住んでいることもあるのであろう。
映画の最後に、森繁久彌がこれから湾岸の鉄道や道路が開発されていく浦安の将来の話をしている。そのセリフ以上に発展した。そんな浦安市の原風景をこの映画で観るのがうれしい。
映画「青べか物語」は1962年(昭和37年)の森繁久彌主演の東宝映画だ。山本周五郎の原作を脚本新藤兼人で川島雄三監督が演出している。架空の町浦粕が舞台となっているが、山本周五郎が若き日に東京を離れて浦安に住んだ時に見聞きした話が中心である。青べかとは現地の飲んだくれオヤジから無理やり買わされた海苔をとる1人乗りの小舟のことである。
これは観てよかった。
周囲に「先生」と呼ばれている森繁久彌演じるもの書きの主人公が、浦粕の町で下宿して文筆活動に入っている。現地の人情味ある町の人たちとの触れ合いを中心にいくつもの逸話をつづる。
何より、1962年当時浦安上空を江戸川沿いから俯瞰する映像が貴重だ。おそらく、戦前とこの映画が撮られた時と大きく変わっていない。まだまだ、周囲は畑だらけで葦だらけの湿地帯もある。浦安市民には必見の映画だけど、観るチャンスはないだろうなあ。
⒈川島雄三
川島雄三監督作品はかなり観ている方だ。この映画の公開翌年1963年に若くして亡くなっている。本当に残念だ。九段富士見の芸者にスポットを当てた「女は二度生まれる」などでもわかるように、現地ロケの配分をわりと混ぜていく。今となっては別世界になった漁師町としての浦安の原風景がよくわかる。
なぜかWikipediaの川島雄三の欄にこの作品の記載だけが空白のように抜けている。よくできた作品だけに不思議だ。前作「雁の寺」のようなドロドロした人間関係を描いた作品もいいが、コメディの要素が強い作品に本領を発揮する。「暖簾」で組んだ森繁久彌とのコンビも絶妙だ。水商売女の描写がいつも巧みな川島も、今回は左幸子を場末の小料理屋の女給に起用する。カネを持っていると自慢する関西人の客からぼったくる。この女給役が適役でうまい。
⒉森繁久彌とフランキー堺
社長シリーズや駅前シリーズ全盛時代の森繁久彌やフランキー堺が登場している。この時代の森繁久彌はダメ男の方がうまい。ここでは、少し違う。言いよる女性の誘惑に負けない。社長シリーズでは新珠三千代あたりと浮気しようとしていつも失敗して、久慈あさみの奥さんが登場する。そんなシーンは見られない。喜劇俳優としてはおとなしい。
川島雄三作品では常連のフランキー堺は、地元商店のうだつの上がらないセガレで最初の奥さんの中村メイコには逃げられるし、甲斐性もない役柄だ。名脇役千石規子のお母さんの言いなりだ。でも、次が池内淳子なら役得かも、まあいいか。それぞれにいつものキャラとは違う。
⒊人情味あふれる共演陣
むしろ、地元民を演じる東野英治郎や桂小金治の方が快調だ。その後に水戸黄門で主役を張る東野英治郎は、俳優座に所属しながら映画会社を超えて脇を固める。同じ年の1962年には「キューポラのある町」で吉永小百合の飲んだくれオヤジを演じている。大酒飲みということではこの作品も同じだ。「青べか」の舟を売り付けたのは東野英治郎だ。消防署長の加藤武といいコンビだ。
桂小金治は天ぷら屋の亭主だけど、市原悦子の奥さんといつも夫婦ケンカばかりしている。しかも、奥さんの方が背が高い。取っ組み合いしてもやられてしまう。配役もあってか、浦安なのに東京の下町の匂いをぷんぷんさせる。
船長役の左卜全と森繁久彌のかけ合いもいい味だしている。左卜全の初恋の相手役は初代ウルトラマンのフジアキコ隊員桜井浩子だ。自分もTVはリアルで観ていた。東宝映画の青春ものには欠かせない存在だった。あとは、東宝映画だけに山茶花究や脚本の新藤兼人の連れ合い乙羽信子も下宿先の大家だ。
⒊浦安の今と昔
浦安はこの映画ができた後に千葉エリアの東京湾埋立が進み、ディズニーランドや住宅地ができて大きく変わった。この映画に映る浦安の面影はかなり消えたといってもいいくらいだ。川や土手は変わっていないけど、それくらいだ。もともとの浦安原住民は今もそれなりにはいるけど、大規模開発の後にきた人たちがほとんどだ。
漁船というより、小舟がたくさん川に停泊している。それが漁師の手でゆったりと川を下るシーンは趣ある。また、森繁久彌が無理やり買わされた「青べか」に乗って、晴れた日に海に向かい、昼寝したら潮が引いて砂の上に直接舟がのっているシーンも優雅だ。貝を密漁しようとする人を取り締まるシーンもある。
東日本大震災をはさんで5年間千葉で仕事をした。浦安もエリア内でよく行ったものだ。震災後は液状化現象で住んでいる方々はたいへんだった。浦安市民の所得は高く、東京23区を含めてもいつも全国上位10番台だ。神奈川、千葉、埼玉で浦安市より上のところはない。会社役員などが住んでいることもあるのであろう。
映画の最後に、森繁久彌がこれから湾岸の鉄道や道路が開発されていく浦安の将来の話をしている。そのセリフ以上に発展した。そんな浦安市の原風景をこの映画で観るのがうれしい。