映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

韃靼の馬2

2011-10-10 09:15:16 | 
ブログにコメントして何かいい残しているなあと思った。
朝鮮通信使と対馬の話を書いているけど、肝心な韃靼の馬について触れていない。

韃靼の言葉の定義は難しい。モンゴルから中央アジアにかけてのことを指すといったらよいのであろうか?日本では朝鮮から中国を北に向かった方のエリアを総称していたらしい。もともと中国で韃靼という言葉をモンゴル方面で使っていた時期もあるが、今は蒙古に戻っているらしい。
いずれにしてもそのあたりらしい。

でも鎖国の日本人が何でそんなところまで行くの?というわけである。
前のコラムで新井白石の話を書いた。綱吉以降若い将軍が政治の中心を占めていたが、紀州より吉宗が来て将軍職に就くことになった。前任の否定というのは今の世の中も昔も変わらない。
新井白石は追放される。同時に将軍徳川吉宗が強い色を出す。これはいろんな時代劇で見られる話である。江戸幕府が出来て100年、武士が武士らしくなくなっている気運に吉宗が疑問を持っていたわけである。鷹狩りも復活させた。中国の王朝が周辺の騎馬民族に攻められて苦慮していたのは歴史が証明している。特に劉邦が天下統一した漢王朝において、騎馬民族匈奴にいきなりコテンパンにやられた。それをしばらくたって武帝が馬には馬をとばかりに復讐するのである。そして中央アジアから天馬というべき堂々とした馬を連れてくるという話が語られる。
中国史を学んだ吉宗はその天馬を幕府に連れて来いと対馬藩に命令を出す。そんなことできるかい?ということだが、またまた朝鮮にいる主人公阿比留克人に命が下されるわけである。
馬が欲しいのは江戸幕府だけではない。朝鮮馬というのは比較的貧弱だ。大陸でも堂々とした馬が求められているのである。高く取引される。昔も今の商社のような存在がいたが、金を出せばうまくいくというわけではない。馬によって国の命運が左右されるのだ。天馬はそう簡単に異邦人に提供されるものではない。

この第2部はその話だ。
そんなに単純にはいかない。第1部の朝鮮通信使の来日で様々なトラブルが起きている。その中でいろんな人物が死んで、死んでいるようで死んでいず生き延びている人物もいる。今の世の中であれば、すべてがわかってしまうが、当時は形を変えて生きていくということが可能であったかもしれない。この例をあげるのには少々ためらうが、北朝鮮に拉致された人たちが朝鮮語の教育を受け、向こうの国で堂々と生きてきた事実もある。主人公やその他の人物存在自体と拉致されてきた人たちの生きざまの世界を作者がオーバーラップさせた可能性もあるかもしれない。

そんな無理難題を受け主人公は走る。仲間が加わる。旅の途中で予想もしないことが次々と起こる。ロシア、すでに清となった中国そして中央アジアの騎馬民族の民族が入り乱れた中ストーリーが展開される。ネルチンスク条約、キャフタ条約、ジョーンモドの戦いなんて実在の世界史にも強くかかわる。
ロシアのピョートル一世、清の康熙帝といえば名君として名高い。言葉も違う両国が17世紀後半広大な中央アジアを舞台に交渉して国境条約を結ぶということに妙に関心を昔から持っていた。西欧史と異なる響きがしてなんか素敵な匂いがする。もちろん現場は荒れ狂う連中たちの先陣争いがあったとは思うけど。
これらの歴史の事実とフィクションとの交錯で、登場人物たちのふるまいにリアリティを感じさせる。

映画化を望むといったが、この作品は大河ドラマ向きかもしれない。映像にしたらどんなに素晴らしいと思うシーンが実に多い。朝鮮通信使が日本を縦断する様子もあでやかに映るだろう。大坂のお堀の上を朝鮮の衣装で船を走らせる映像コンテなんてなんて美しいのであろう。中央アジアの壮大さも見モノだ。
そういう日が実現することを祈りたい。

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