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映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

嵐を呼ぶ男 石原裕次郎

2012-05-30 07:41:05 | 映画(日本 昭和34年以前)
映画「嵐を呼ぶ男」は石原裕次郎主演の昭和32年の作品だ。

「おいらはドラマー、やくざなドラマー。。。」で始まる主題歌はあまりにも有名だ。
映画自体は稚拙な部分が目立ち、演技も今一つで荒削りであるが、初期の石原裕次郎から発せられるオーラは凄い。
彼の初期の代表作である「狂った果実」や「太陽の季節」はいずれも白黒であるが、この映画はカラー(総天然色)、いきなり映されるシーンは日劇横日比谷側から不二家や森永のキャラメルの広告塔をカラーで映す。白黒はあってもカラー映像は意外に少ないかもしれない。
昭和32年は映画「三丁目の夕日」の一作目の設定と同じだ。昭和30年代初期の東京をカラーで見るということでも価値が大きい気がする。

銀座でクラブを経営する女支配人(北原三枝)の店では日夜人気バンドによるジャズが演奏されていた。人気のドラマーチャーリー(笈田敏夫)はギャラのアップを要求していた。元々支配人とドラマーは付き合っていたが、ドラマーはダンサー(白木マリ)に手を出していた。ある夜ドラマーは出演を拒否する。すでに別のところで契約が決まっていたらしい。ドラマーがいなくなって困る支配人であるが、兄貴を弟が売り込みに来ていたドラマーのことを思い出す。
そのドラマー正一(石原裕次郎)は銀座を流していた男だ。ケンカに明け暮れる毎日を送っていて、その日も留置場にはいっていた。支配人は身元引受人になり、ドラマーは留置場を出て、店でドラマーの穴埋めをした。自由奔放で、腕の立つ彼はバンドとの息もあい、人気が上昇する。
人気が上昇したのには元のレギュラードラマーは面白くない。ドラム合戦を提案して、正一もそれを受ける。ところが、ドラム合戦の前夜銀座の夜の顔役にからまれて、ケンカしてしまった正一は腕をけがしてしまうのである。当日手が負傷のまま臨むのであるが。。。。


ストーリー自体はどうでもいい話だ。ただ、ここで映る映像は取り上げたいことが盛りだくさんにある。
女支配人の家を映す。居候している石原裕次郎が朝食を食べようとする時、トースターやジューサーが映像に映し出される。昭和32年であれば、ほとんどの家庭にはいずれもなかったはずだ。特にジューサーの中のオレンジジュースは総天然色映画であることを意識してか、鮮明な色で映し出している。石原が住むアパートとの対比を通じてあこがれの世界を映し出すのも大事な映画の役割だ。


石原裕次郎はまだまだ荒削りで、演技もうまくない。それでも強烈なオーラを出す。「嵐を呼ぶ男」を歌うシーンは圧倒的かっこよさだ。歌い始めるシーンは背筋がぞくっとする。
何より驚くのは彼の足の長さだ。この映画から50年たった最近では決して珍しくないが、チビで短足の日本人男性の中でひときわ足が長い。他の出演者とのコントラストに驚く。

北原三枝は割と普通、むしろ白木マリの色気あふれる振る舞いが印象に残る。
豹柄のビキニもどきの姿でストリップのような情熱的なフロアダンスを踊る。後ろでドラムスをたたく石原裕次郎に対して、強く挑発するような視線を送る。控室でダンスを踊る服装を脱ぐシーンがある。当然バストを見せないが、当時としてはぎりぎりのエロチックな表現だ。

音楽の基調は正統派エイトビートのジャズが中心だ。でもこの映画入ってすぐ平尾昌晃がいきなりロックンロールを歌う。出演者としてのクレジットではない。まだデビュー前でジャズクラブで歌っていたリアルな姿だ。有名な「ウェスタンカーニバル」はこの翌年からはじまる。これもずいぶんと荒削りだ。紅白歌合戦でラストの「蛍の光」を指揮する姿を誰が想像できたであろうか。

笈田敏夫は元々ジャズシンガーだ。このころの彼はやくざと思しき眼の鋭さで、晩年の枯れ切ったロマンスグレーのキザじいさんの面影が少ない。渡辺プロの社長の渡辺晋さんがドラム合戦のとき、ウッドベースを演奏しているのも印象的だ。当時の日活映画常連岡田真澄も裕次郎の後ろで演奏する役柄だ。
銀座の顔役を演じる安部徹、高品格の渋さはここでも光る。高品が演じるチンピラを麻雀放浪記の出目徳役や晩年のテレビに映る姿と対比するとおもしろい。金子信雄はここでもせこい役だ。仁義なき戦いの親分役と大して変わらない。この辺りからキャラが確立していたのかもしれない。

生まれ育った五反田では日活の映画館は今の東興ホテルの裏側あたりにあった。大映や東映に比べると父や母と行く回数は少なかった。演奏の映像と音楽があっていない。格闘シーンにリアルな感じがない。今の映画の進化を知っているので稚拙と感じるが、初めてこの映画を見た若者たちは強烈な衝撃を受けたんだろうなあ。
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祇園の姉妹  溝口健二

2009-08-12 20:56:20 | 映画(日本 昭和34年以前)
1936年の溝口健二監督の作品。京都祇園を舞台に美人姉妹が男を操り、操られる様子を描く。「騙す女」は戦後にかけて溝口のライフワークとなるテーマである。芸鼓の妹役を演じる山田五十鈴が若く美しい。戦前の京都の町が見られるのも価値がある。

京都祇園の芸鼓である山田五十鈴姉妹のところに、元姉のごひいきの男が破産して居候してくる。妹の山田は嫌がり、追い出そうとする。そこで姉を追いかける骨董屋の主人に山田がせびって、姉に内緒で男に金を渡し追い出す。山田は自分に好意を寄せていたのをいいことに呉服屋の若い衆をだまして、高価な着物をせびりだす。それがわかって呉服屋の旦那進藤英太郎に若い衆はお説教を受ける。しかし、山田の処に訪れた進藤に色目を使い、自分のいい人にしてしまおうとするが。。。

夜の男と女の世界はだましだまされというのは、昔も今も同じ。今もキャバクラの美女にいいようにやられている男たちがごまんといる。戦前戦後を通じて、溝口健二はこういう世界をずっと描き続けた。ただここで言いたいのは、「だまし続けるとろくなことがないよ。」ということなのであろう。祇園だからこういう騙しは当たり前と主人公はいう。でもそれが通じないことが出てくる。うそがうそを呼んで結局つじつまが合わなくなる。アメリカ映画「ニュースの天才」というのがあった。この映画の主人公は、報道の世界でうそにうそを重ねてつじつまが合わなくなった。同じことである。
山田五十鈴はこのときまだ19歳。彼女はこのころ嵯峨三智子を生んでいる。現代で見ても通用する美しさだ。数年前まで現役で舞台に出ていた。いまだ生きていらっしゃると思うとすごいとしか言いようがない。
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東京物語  小津安二郎

2009-07-08 19:49:06 | 映画(日本 昭和34年以前)
穏やかな気持ちになれる映画が見たかった。
ちょっと疲れ気味なので、しっとりと「東京物語」を見た。

世間では小津安二郎監督の最高傑作といわれる。年老いた笠智衆、東山千栄子夫婦の東京見物のときに、東京在住の実の息子、娘がそっけないのに、戦死した次男の嫁原節子が心を込めてお相手する。血のつながらない嫁との特別な感情のやりとりを淡々と描いていく。

昭和28年、尾道に住む笠智衆は役所勤めを定年で終え、今は妻の東山千栄子と娘で小学校の教員をしている香川京子と暮らしている。その老夫婦二人が東京に住む開業医の長男山村聡、美容院を経営する杉村春子が相手をする。開業医の山村宅に泊まるが、休みも往診でなかなか東京見物もできない。そこで戦死した次男の嫁原節子がお相手をさせられる。その後忙しい山村、杉村は老夫婦を熱海の温泉に滞在してもらおうとする。しかし、泊まった旅館は宿泊客の騒がしい声が部屋に響いて寝られない。熱海から早々に帰ってくるが、杉村は迷惑そう。。。。

個人的にはこれよりもいい小津作品はあると思う。しかし、笠智衆、原節子の演技がいちばんさえているのは「東京物語」だと思う。
笠智衆は元市役所勤務という設定である。今の役所よりもかなりのんびりしていたと思われる田舎役人OBっていう役の性格を笠はよくつかんでいる。何を言われても「柳に風」の会話で、変にあくせくしていない。自分が自分がという匂いをまったく出さない。東山千栄子もいかにもその奥さんという役を上手にこなしている。
原節子の役は、戦争未亡人。このときはありえても、いまどきはありえない設定である。お上品で、育ちのよさを芯からにおわせる言葉遣いが上手な俳優はもう日本では現れないのではないか?小津自身が言っている。「娼婦を演じる方が良家のお嬢さんを演じるよりもやりやすい。」確かにそうだ。

この映画は海外で評価されているといわれる。美しさ、表情はともかく、原節子の使う言葉遣いの素晴らしさは伝わるのであろうか?例えば「お姉さま」という言葉一つをとっても、原節子の話す「お姉さま」のニュアンスは英訳できないと思う。他の国の言葉で適切な訳語があるであろうか?それだけは疑問を感じる。
銀座の松屋?か松坂屋?のデパートに老夫婦を原節子が案内するシーンがある。屋上から国会議事堂がくっきり見える。昭和40年代はともかく今は見えないだろうなあ?小津の前作「お茶漬の味」よりは東京ロケは少ないが、ノスタルジックな場面も多い。尾道の和瓦屋根の町並みと海を走る船のロケも素敵だ。
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彼岸花  小津安二郎

2009-06-10 21:02:00 | 映画(日本 昭和34年以前)
人間ドックの結果を見て、あまり血圧が高くならないような映画を見た方が身のためかと思った。
小津作品をみる。彼にとって最初のカラー作品。ストーリーはいつもどおり結婚に伴う親と子の心のふれあいの話。ワンパターンで何も感動がないが血圧も高くはならない。

商事会社の常務佐分利信は、田中絹代を妻に持ち二人の娘と暮らしている。ところがある日一人の青年佐田啓二の訪問を受ける。どうやら長女有馬稲子と同じ会社の青年のようだ。彼はいきなり自分の転勤もあり、娘さんを一緒に連れて行きたいので結婚したいと言われ戸惑う。。。。
ここに京都の親戚浪花千栄子、山本富士子の親子、佐分利の学生時代の友人笠智衆とその娘久我美子が絡んでいく。新幹線ができる前の時代で今と時代背景が大きく違う。田中絹代はほとんど着物を着ている。京都の親子もずっと着物を着ている。このころはまだ着物を着ていた人が多かったのであろう。でもこれはこれでいい気がする。今の時代着物で通したら、さぞかしかっこいいんじゃなかろうか?

小津のストーリーはワンパターンに見えるが、少しづつ組み合わせを変えている。結婚に対して娘が積極的なパターンと親が積極的な2パターンに分かれる。しかし、どれもこれも似たり寄ったりである。最近は聞かれなくなった重役と言う言葉がある。死語になった気もする。でもその役には佐分利信ほど似合う役者もいないであろう。ここでもいい味を見せる。あとはどうってことないなあ。
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近松物語  溝口健二

2009-05-17 20:53:45 | 映画(日本 昭和34年以前)
溝口健二監督が近松門左衛門の戯曲を題材に作った傑作。天下の二枚目長谷川一夫がダメ男を演じる。香川京子は京都の老舗の奥様。その二人が駆け落ちをする。みっちり演出したのを十分感じる情感あふれる作品

京都の老舗にお嫁にいった香川には、親類筋からの金のせびりが絶えない。困った香川は番頭の長谷川一夫に相談する。長谷川は主人の進藤英太郎から発注依頼の印鑑を預かる際に、白紙の印鑑を使って余分に発注書を作り、金の工面をしようとする。それがばれて長谷川はお仕置きを受ける。納屋で謹慎させられているが、飛び出し長谷川は香川がいる部屋に向かう。。。。

元々、主人の奥様と番頭の関係で香川と長谷川に色っぽい関係があったわけではない。長谷川に思いを寄せる下働きの南田洋子。南田は、長谷川と結婚するといって、夜な夜な南田のもとに言い寄る主人進藤英太郎の関係から逃れようとする。謹慎中の納屋から飛び出して長谷川が向かった南田の部屋にいたのは香川であった。その4人の関係がいつの間にか香川と長谷川の関係に変わってしまう。偶然と誤解の世界である。

大ベテラン長谷川一夫は、ダメ男の役を演じるに当たって、溝口監督からは宇野重吉のような気持ちで演じてくれといわれたそうだ。それでも、長谷川一夫はやっぱり天下の二枚目から抜けきれない。香川京子との絡みはいかにも情感あふれる熱演だと思う。

香川京子は23歳、まさに熱演である。彼女は成瀬巳喜男監督「稲妻」に出ていた。これはこの映画の2年前である。このときの彼女の演技は大根役者の域を超えない。しかし、溝口監督のかなり厳しい演出指導で、ものすごいレベルの芝居をしている。老舗の奥様としての気品あふれる話し方。突如長谷川との情熱的な恋に狂う女心の表し方。彼女にとってはベストの演技であろう。

溝口映画の常連、進藤英太郎、浪花千栄子はいつもどおりの活躍。しかし、この作品では主役の二人の演技がすさまじいので他の作品ほどの存在感はない。宮川一夫のカメラにせよ、他の作品ほどはその活躍に凄みは感じない。

何よりこの水準の演技にまで主役の二人を仕込んだ溝口監督の手腕に脱帽である。
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夜の女たち  田中絹代

2009-05-12 18:48:23 | 映画(日本 昭和34年以前)
戦後街娼がさまよう大阪を舞台にした溝口健二監督の作品。田中絹代が普通の主婦から娼婦に転落する役を演じる。溝口健二は「女を売ること」を映すのにひたすらこだわる。
この映画が映す焼け跡の大阪には、瓦礫の山がいたるところに残っている。梅田駅近くの闇市、西成の暗い世界。女たちがさまよう夜の街。
野良犬や猫が保健所にさらわれるように、取り締まり警官によって街娼たちがトラックに運び込まれるシーンからは、リアル感が伝わる。

カメラは大阪の焼け跡の街並みを映す。田中絹代は、夫を亡くし、中小企業の社長秘書兼恋人となっている。彼女は金に困って質屋に出入りする。質屋からお金になる仕事をやればといわれるが、断っている。そこに朝鮮からダンサーの妹が帰国する。彼女は田中の家に居候する。
田中が仕える社長は妹に会い、付き合いを迫る。それを知った田中は家を出て行くが。。。。

溝口健二の実姉は、金持ちの妾になってその貧しい家庭を支えていたという話がある。
そういう育ちのこともあってか、街娼、芸者、赤線の女と「女を売る」女性たちの物語が多い。
だからといって、濡れ場らしきものは直接は映さない。エロのにおいがない。
あるのは悲惨な女性の姿だけだ。

この映画ができたとき、どん底から先が誰も見えていない時代である。
昭和から平成になり、今でも「女を売る」人たちはいるが、戦後まもなくのような悲惨さはない。
この映画には先がないつらさがある。
今その気になれば、身体を売らなくても仕事はいくらでもある。
しかし、この時代の女たちには、男に頼るしか生きる道はなかったのである。

山のようにいたといわれる街娼たちは、その後どうやって人生をしのいでいったのであろうか
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噂の女  田中絹代

2009-05-09 07:32:48 | 映画(日本 昭和34年以前)
溝口健二が、京都島原遊郭のお茶屋を舞台に描く男と女の物語。
田中絹代と久我美子が同じ男性を好きになる設定。スタジオの撮影が中心で溝口健二がきっちり演技指導をしたというのがわかるしっかりとした劇仕立てである。

田中絹代は、京都島原にある大夫の置屋兼お茶屋の女将である。娘の久我美子は、東京の音楽大学に学んでいた。彼女はある男性との恋が実らずに自殺未遂をして、田中が京都へつれて帰ってきた。しかし、久我は御茶屋の仕事が気に入らない。毎日のように店で男たちが遊んで、それを女郎たちが接待する姿を見て、不快な顔をしている。田中は茶屋の組合の侍医をしている年下の医者に気があり、彼を開業させてあげたいと思っている。娘の久我は地元に知り合いがいないので、出入りしている医者と仲良くなるが。。。

田中絹代の演技は非常にすばらしい。このころのいくつかの作品と比べても、一番力が入っている気がする。溝口健二との名コンビで非常に冴えている。
久我美子は、もう少し年をとってからのテレビの母親役のイメージが強い。ここでは花魁たちの中に入っていかにもモダンな姿である。彼女は源氏時代からの華族の家系であのころの学習院を中退して女優になっただけに、気品を感じさせる洋装は他の俳優たちとは違う匂いを持っている。顔が他の俳優と比べて一回り小さいのも特徴
相手役の大谷友右衛門はそののち中村雀右衛門となり、文化勲章までとる歌舞伎界の大御所女役。育ちの良い彼の医者役は非常に合っている。医者にもタイプいろいろいるけれど、私が付き合っている若き30代の医者って彼のような顔をしている人が多い。

浪花千栄子は「祇園囃子」と比較するとおとなしい。女将役と女年寄役の違いか
進藤英太郎は御茶屋の大御所役、「祇園囃子」では貧相な役であったが、ここでは
貫禄を見せる。二人とも溝口作品に欠かせない人たちである。

思うにこの時代、まだまだ女性の地位が低く、なかなか普通の仕事にありつけない。男に頼って生きていくか、女を売って生きていくしかない。溝口健二はこのテーマが大好きなようである。現代劇と古典を題材にした時代劇を交互に演出しているが、個人的には現代劇の方が好きだ。
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お遊さま  田中絹代

2009-04-30 06:34:13 | 映画(日本 昭和34年以前)
溝口健二、田中絹代の名コンビである。谷崎潤一郎の原作だけに耽美的な微妙な作品
京都の美しい風景、建物のたたずまいを宮川一夫のカメラが素晴らしいアングルでとらえる傑作

京都のお嬢さん乙羽信子の見合いに、姉のお遊さま田中絹代が同席する。田中はお金持ちに嫁いだが、子供が生まれた後に夫を亡くした後家さんである。見合いのお相手は京都の老舗の若旦那さん。若旦那は若い乙羽でなく、お遊さまを見初めてしまう。お遊さまは相手を気に入らず、見合いをつぶしてしまうことが多かった。しかし、若旦那が気に入り妹の縁談を進めようとする。結局二人は結婚することになるが、田中と若旦那の気持ちの通じていることを知り、乙羽は夫に偽装結婚の申し出をして、微妙な三角関係がはじまる。。。。

ここのところ昭和20年代から30年代にかけての京都舞台の映画を見ることが多くなってきた。
映画はストーリーや俳優だけで見るものでなく、風景や建物からにじみ出るものを感じたいというのが自分の姿勢。
この映画でも、格子が多い昔からの日本家屋の特徴がくっきりでており伝統的な美しさを感じる。
こういう格子は経師屋の職人技の仕事である。現代では職人がかなり減っている。
この当時の映画を見ると、どの建物も美しい木の格子がこれでもかというように出てくる。すばらしい。

京都の風流のある女性を演じる田中絹代、宝塚女役の匂いがまだ残る若き日の乙羽信子の優雅さに加えて、乙羽の相手役堀雄二の振る舞いがいかにも京都の旦那衆の振る舞いで言葉づかい、着物の着こなしを含め実に見事。戦災を受けていない京都は、戦後間もないこの時期、明治やそれ以前の優雅さがそのまま残っていて格調高雅なる映画になっている。
また、旦那さんと使用人の区別が実にはっきりしている。同じ溝口監督の「祇園囃子」同様、その他大勢の使用人がいかにも江戸、明治から流れている特有の表情と仕える人への尊敬のまなざしを見せる。
今の俳優では絶対に演じられない表情である。

一部セットが稚拙になるのは、この時代だけに仕方ないと思う。全部ロケでやってもらったほうが良かったのかもしれない。いずれにしても宮川一夫のカメラの美しさはとてつもない美的センスを感じる。溝口と選び出す映像コンテを見ると、きっと彼は画家であっても成功したであろうと思う。
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祇園囃子  若尾文子

2009-04-22 21:08:10 | 映画(日本 昭和34年以前)
溝口健二監督の傑作、宮川一夫のカメラワークも素晴らしく京都の芸者たちの人間模様を鮮やかに描く。女を売って生きている姿を社会派的に捉えている部分もある。京都の町の町屋の映像もすばらしい

京都の芸者木暮実千代のもとに昔の知り合いの娘若尾文子が芸者になりたいと訪れる。
芸者になるための支度金も要るが木暮は茶屋の女将浪花千栄子に30万円を借りる。
芸者になるための踊りや囃子の稽古に精を出し若尾は木暮とともに座敷に出るようになる。
しかし、浪花の30万は祇園の上得意の専務さんが用立てたもの
上得意の専務はあるプロジェクトの受注をとるために懸命に役所の課長を接待している。
接待相手の課長は木暮の色気に参ってしまい、専務たちは木暮に課長の相手をするように説得するが。。。。。

若尾文子はまだ若い、舞妓の匂いをさせている。これから5年後には手馴れた芸者役も演じるが
ここでは幼さを残している。木暮実千代の色気はなかなかのもの、いわゆる旦那を作らず身の硬い
芸者役である。この2年後に同じ溝口監督「赤線地帯」で2人とも娼婦を演じる。その雰囲気とはちがう。
宮川一夫のカメラワークが魔の窟のような京都の街の景色と二人の美しさをうまくマッチさせる。
浪花千栄子も抜群だ。茶屋の上得意の男たちと芸者たちの微妙な関係を取り仕切る役
ここまでのやり手女将を演じられる人はそうはいない。浪花千栄子というと大塚製薬「オロナイン軟膏」のCMイメージが強い。テレビ「巨人の星」の提供が大塚製薬でボンカレーの松山容子やオロナミンの大村昆と一緒に出ていて、やさしい関西のおばあちゃんという記憶がある。

「サユリ」でチャンツィイーとミッシェルヨー、コンリーが京都の芸者を演じた。桃井かおりが芸者置屋のママ役。それ自体悪くはないのであるが、この映画のリアル感には到底及ばない。
「祇園囃子」にリアル感があるのは、脇役の巧みさである。
芸者置屋にいる下働きのおじさん、おばさんの身のこなしはいずれも明治生まれの人がもつ職人的な身動きを感じさせる。これは現代の俳優では演じられないし、いかにも日本らしいものだ。
そういった意味でも明治の女浪花千栄子のように祇園の女将を演じるのも現代では不可能

キャスティング、映像とも溝口健二の最高作といっていい傑作だ
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稲妻  高峰秀子

2009-04-05 20:12:18 | 映画(日本 昭和34年以前)
成瀬巳喜男監督の作品、高峰秀子にとっては昭和26年というと日本初カラー作品の「カルメン故郷へ帰る」と同じころである。実はこの10年後の成瀬作品「娘妻母」というのをこの間見た。残念ながら期待を大きく下回った。
「稲妻」は「めし」「流れる」と同じでその当時の風景をバックに混ぜながら、成瀬監督らしい素敵な映画に仕上げている。

高峰秀子は、東京都内を案内してまわるはとバスのバスガイド。すぐ上の姉上洋品店を営む三浦光子とは仲がいい。兄が二人いるが兄弟4人は皆父親がちがう。ちなみに母親は浦辺粂子である。兄弟から10歳上の小沢栄との縁談を勧められるが気乗りしない。そんな時姉三浦の亭主が突然亡くなってしまう。
戦後まもなく生活がそれぞれ安定しない中、家族全員が三浦へ入る夫の生命保険を当てにする。三浦は悲しみにくれているが、そんな時亡き夫の情婦中北千枝子が突然訪ねてくる。。。。。

ロケでは銀座通り、神田の街並み、世田谷の住宅などが出てくる。
また下町の長屋や隅田川沿いの家の街並みも出てくる。20年代のリアルの映像が見れるだけでも価値がある。

高峰もいいが、姉役の三浦光子が素敵である。きれいな方で、言葉遣いもよく非常に魅力的である。中北千枝子は同じ成瀬の「浮雲」では浮気される役であるが、正反対の亡き夫の情婦である。子供が生まれたばかりで金をせびる役であるが、意外に悪くない。成瀬とは相当相性がいいのか死ぬまでずっと付き合うことになる。

「流れる」と同じなのは男性に存在感が薄いことである。高峰の兄弟の二人はだらしがない役柄でどうもしっくり来ない。「流れる」が山田五十鈴、田中絹代、杉村春子、栗島すみ子、高峰秀子とこれでもかと女性大スターを並べていたのと同じようにこの映画も女性だけに存在感がある。
「浮雲」「乱れる」「めし」といった作品は男性も同じくらいの存在感があるのと比較すると、どうも成瀬の作品には二系統の流れがあるという感じがする。

この中に香川京子が高峰の世田谷の下宿先の隣の家のお嬢さんで出てくる。
まだ若いので存在感がないが、先月の私の履歴書はここでも紹介したが実に良くできたものであった。
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赤線地帯  溝口健二

2009-03-30 20:38:55 | 映画(日本 昭和34年以前)
溝口健二監督の最終作である。
色っぽい題名であるが、「売春防止法」成立施行前の最後の赤線の状況を描く
男と女の肉体の絡みというよりも、本意でなく吉原で働かざるを得なくなった女たちの悲しみを描く社会派の作品である。京マチコ、若尾文子、木暮美千代、三益愛子の主演級が娼婦を演じる。

まず最初に浅草の風景が出てくる。戦後10年たってすこしづつ復興しつつある中、焼け跡の残痕がまだ残る画像である。
吉原赤線の進藤英太郎、沢村貞子夫妻が経営する遊郭には神戸からの流れ不良娘京マチコ、父親が会社の疑獄で200万の借金をつくったまま小菅に入ったという若尾文子、結核の旦那と生まれたばかりの子供がいる木暮美千代、田舎に残してきた病人のために働きながら上京して工場で働く息子との同居を夢見る三益愛子などがいる。
神戸から父親が上京して連れ戻そうとされる京マチコ、結婚するよと男をだまして30万お金を巻き上げる若尾文子、家賃遅れて貧しさのどん底でさまよう木暮美千代、三益愛子は息子から絶縁を言い渡される。。。。

いずれもつらそうだ。精一杯生きている人たちが多かった時代なのであろう。職業安定所へ行っても安月給で5000円がいいとこ
そんな中、赤線では1回あたり1500円といっていた。現状との比較では10倍強で考えるとちょうどいいのか??
身体売らないと亭主養ったり、送金したり、借金返したり何もできないと世論が売春防止に動く中、溝口監督は娼婦たちをかばっているような気がする。結局彼は売春防止法成立以降の世界を知らないままなくなってしまう。

昭和30年といえばまだまだ日本は貧しくつらい状況である。
赤線に育っていない世代からすると、娼館の中も風情を感じさせる。
セット撮影だと思うが、当時の状況が良くわかっておもしろい。

女性陣では、京マチコの肉感的な身体は非常に魅力的だがからみはない。若尾文子は増村監督とのコンビの方がドキッとする場面がおおいかも?最近のキャバクラ嬢と同じのりで自分の不幸をいいながら男から金をせびりまくる
女が男をだます基本線はいつの時代も変わらないんだろうなあ。
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めし  原節子

2009-02-18 19:29:29 | 映画(日本 昭和34年以前)
成瀬巳喜男づいている。
昭和26年の大阪が舞台。成瀬らしくロケが実にうまい。ミナミの繁華街、阿倍野の住宅街、大阪城、北浜、中ノ島と大阪の風景がでてくる。
「くいだおれ」の人形まで出てくるのには驚いた。このころもあったのかと感心。リドリースコットの「ブラックレイン」と対比すると面白いのではないか?この映画の少し後に森繁の「夫婦善哉」があるが、映画の中身はともあれロケの巧みさはこの映画が大きく上回る。
昭和20年代半ばの大阪をこんなによく画像化したものは他にないのではないか

北浜の証券会社に勤める上原謙は東京出身の原節子を妻に迎えて、大阪市内南部付近に所帯を持つ。しかし、子供もいない二人は倦怠期に入っている。そんな時東京から上原謙のめい島崎雪子が家出してきたと訪ねてくる。自分勝手な島崎は、そのまま大阪の家に居候する。島崎は上原にすりより上原も彼女をかわいがり、原節子は嫉妬して、東京に戻ろうとする。。。。
原の嫉妬、上原の脳天気さの対照がおもしろい

成瀬映画の常連小林桂樹、杉村春子、中北千枝子などの脇役に加えて、若き日の怪優大泉晃がでてくる。いかにも大阪らしい長屋の風景と脇役の好演が盛り上げる。

平成のはじめに大阪阿倍野区に住んだ。住みやすいいいところだった。そのときの家のまわりの板塀の門構えが続く風景と映画の風景はあまり変わらず、いかにも大阪市内の住宅地の風景である。なつかしい。

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お茶漬の味  小津安二郎

2009-01-28 17:31:51 | 映画(日本 昭和34年以前)
昭和27年というと朝鮮戦争特需が生まれだしたころか?
小津安二郎監督がその世相をリアルに映像にしている。

パチンコ、競輪、野球場、そして当時の銀座とロケがずいぶんとはいっている。
これが非常によい。パチンコは玉を一個づつ台の中に入れていき、当然手動。
競輪は12車立てである。レースぶりが映し出されるが、ライン戦の現代競輪と多少違うレースぶり。
後楽園野球場に木暮美千代が友人と観戦にいくシーンもある。黒澤映画の「野良犬」にも当時の後楽園が出てくる気がした。バッター4番別当だ、いかにもこれは古い。

木暮が神戸須磨の友人のところに遊びに行くシーンで当時の特急に乗るシーンが出てくる。最後尾がオープンになっているブルートレインのようなやつである。浜松に12時すぎについた後、名古屋に14時、大阪に17時に着くと列車の場内放送がいっている。映画「天国と地獄」に出てくる有名な鉄橋も映し出される。

そういう昭和20年代の映像を見るだけでも非常に価値のある作品である。

佐分利信木暮美千代が倦怠期に入りつつある夫婦。佐分利は商社の部長で、木暮はお嬢様育ちが抜け切れない奥さん。妻は昔の友人である淡島千景小桜葉子、そして姪の津島恵子と遊び歩いている。長野出身の佐分利に対して都会的お嬢さん育ちの木暮とはあわない。妻のほうがむしろ自分勝手である。その二人に佐分利のおい役の鶴田浩二、佐分利の軍隊時代の部下でありパチンコ屋となっている笠智衆が脇に回り、淡島千景加山雄三のお母さんの小桜葉子が木暮の友人役として出てくる。

小津得意のローアングル切り返しはこの作品でもさえを見せる。
淡島や津島が若く、鶴田浩二もその後のやくざ映画と違うアイドル的顔を見せる。
二枚目美女の競演でローアングルがより引き立てている気がする。

どちらかというと原節子三部作に比較すると、カゲに隠れるが個人的にはこの方が好感を持てた。ちなみに自分が小津で一番すきなのは「浮草」である。
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洲崎パラダイス 赤信号

2008-06-06 23:11:00 | 映画(日本 昭和34年以前)
出張は福島の白河であった。
何もないところだが、一緒の連れ2人と食事したあとまさしく場末のスナックへ行った。約3時間店にいて歌を歌いまくって女の子に好き放題飲ませて、一人7000円だった。

今日は「洲崎パラダイス 赤信号」を見た。これは傑作だ。
それに昭和31年の撮影、しかもロケ中心ということで、昔の東京の風俗が鮮明にでている。
ちんちん電車、遊郭独特の風景、昔の商店街など。。。
復古主義で昭和30年代の風景を再現しようとしたものがはやっているが、なんせりアルタイムでロケ撮影の描写は貴重である。よく本屋に行くと昔の東京の写真集がが売られているが、こちらは映像なだけにすごい。

洲崎遊郭のそばにある飲み屋が舞台、そこで女手一人で切り盛りしている轟由起子のところを新珠三千代ができの悪い亭主の三橋達也をつれて住み込みにしてくれとたずねてくる。水商売に長けている新珠三千代はあっという間に溶け込み、店に来る男に取り入るが、三橋達也は嫉妬深く二人の間はもつれる。
女手で切り盛りしている女主人の男関係、三橋達也が女主人の紹介で出前持ちをやることになった蕎麦屋のかわいい芦川いずみとの関係など、男女間の心情のもつれを巧みに描く。
高峰秀子の「浮雲」的腐れ縁のにおいもする。

飲み屋の焼酎が一杯40円、ビールは当時としては高級品なのか150円
蕎麦屋の料金表には100円以上の品はなくもりかけが25円など物価の違いにも注目
また、30年代前半の秋葉原が写っているのもなかなかいい。
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