wakuwakuな生活

徒然なるままに、楽しいことをわくわくするようなことを載せていきたいです。

富士山5合目にドライブ

2024-05-18 16:46:33 | 近県・県内の名所
令和6年5月18日(土)、久しぶりに何の予定もない土曜日。
以前富士山の3合目辺りにある新屋山神社の奥宮まで行って金運アップを願って拝んできたが、その時に富士山5合目までは車で行けるんだねと、地図を見て確認していた。
それで今回その時に食べられなかった静岡限定の「さわやか」のハンバーグを一緒に食すことを目的に、天気も良いので富士山5合目までドライブしてきた。

結果的にはこの「さわやか」、整理券を発行するくらいの無茶苦茶お客さんが来るお店であった。10:30に開店するというので、その時刻に着いた。運転しながら先に富士山に行くかハンバーグを食べるか迷っていたが、人気店らしいので食べられなかったら残念だということで、少し早いが「さわやか」に行くことにした。
その選択がラッキーだった。着いたら誘導員の方が整理券を取って予約をしないとダメなんですよと教えてくれた。取りに行ったら、何と98番で14時ごろにまた来てくださいと言われた。
えー、10時30分の予約で、14時である。でもQRコードを読み取ると、あとどのくらいかかるかが分かるようになっているので、その点は安心感はある。
すごい人気である。お店の人に聞いたら、早い人は9時ころ来ていて、9時30分から予約ができるということであった。
余談であるが、静岡の東側の端にある御殿場店、アウトレット店は私たちみたいに関東各地からも来ているので、とりわけ混んでいるということだ。最大9時間待ちがあったと、スマホに書いてあったらしい。。

それで、14時までは時間があるので、富士山5合目まで行き、その近くにある胎内神社に行ってから、早めに「さわやか」に行って、その時間ではもう270分待ちになっていた。げんこつハンバーグを食べて帰ってきた。9時に出て16時帰宅である。
この胎内神社というのは、胎内信仰を祀っている神社である。いろいろな考えがあるらしいが、一つには昔の人はお天道様は東から上り西に沈み、富士山の下の隧道のような道をくぐっで、また東から上ると考えていたらしい。また、一つには、人間は死んでもその霊は人の胎内を通ってまたよみがえってくることを信仰とする考え方がある。ここの胎内神社は後の方の考えのようである。それを祀っている神社である。

それでは順を追って写真を載せておこう。
まずは厚木から東名に入る。今回も富士山がくっきりはっきり雄大な勇姿を見せてくれた。
     


舗装されていて走りやすい道を抜けると、5合目である。駐車場に車を止めて、散策。まだ登山道は閉鎖されているので、登山者はいなかったが、ハイキングコースは若干開放されていたので、ウオーキングやジョギングをしている人たちはいた。
自動販売機があり、下では130円くらいの飲み物が、260円で売っていた。
          


少し奥の方へ歩いていくと、木々が減り、丸い小石(溶岩)やごつごつした細かい石の道が広がっている。
     

富士山とは反対側の景色、こんなに上ってきたんだなと分かる。
 


そこから車で20分くらいの胎内神社へ行く。公園になっていて、その中にあった。隧道が祀られていて、中に入ってその中にある本殿で拝めるらしいが、少し入ってみたが、明かりがなく携帯のライトでは辺りが見えず、それに道が狭く、かがめないと歩けないので、私たちでは無理と判断。拝んで写真を撮ってきた。
              


どこでも富士山は拝める。
 


最後にさわやかハンバーグである。牛肉100パーセントであるのでほとんど中は生の状態である。100度以上で熱してあるので殺菌は大丈夫だということだ。それが本来の味であるのか美味しかった。
     


こんなに予約してまでみんなが食べたいと思うところもあるんだなあ~と感心した日でもあった。
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新屋山神社奥宮

2024-05-04 14:42:29 | 近県・県内の名所
令和6年5月4日(土)、連休後半の2日目。五月晴れというよりも真夏を思わせるような暑い日の中、新屋山神社の奥宮に行ってきた。3月末に経営コンサルタントの船井幸雄氏が言ったとされる「お金に困ったら富士山のこの新屋山神社に行け。金運が上昇し、商売繁盛するスポットだ」ということでお参りをしたが、そこから車で30分ほど行ったところに奥宮があり、そこは雪が積もっている間(4月末まで)は入れないところなのだが、そこはもっとご利益があるということで、行ってみた。
では、順に書いていこう。
家を出たのは午前7時。果たして連休中であるので、空いていれば1時間半くらいで行ける道が、何と相模湖に辺りまで1時間もかかってしまった。でも天気が良く、富士山がとてもきれいに鮮やかにそびえたっていたので、心が少しは和むことができた。また、大月当たりでは岩殿山城の絶壁が見え、いつ見てもこんなところによく建ったものだと感心する。


富士山の斜面で登山道の三合目あたりにあり、背の高い木々に囲まれた静かなところに奥宮はあった。3つの祠があり、それぞれにお参りをした。お参りをするのに、並んで順番を待つほどにたくさんの人が来ていた。磁気あふれる空気を吸ってご利益を感じるのがいいといわれていたので、たくさん空気を吸ってきた。

その後、3月末に行った荒倉山神社の富士山と五重塔の絶景を見たいと思い、そちらの方へ行ったら、みんな思う所は一緒で、車が動かないほどの渋滞で、思わず引き返してきた。また、テレビで静岡にだけしか出店しない美味しいハンバーグ屋さんがあり、御殿場にあるというので、行ってみようかなと思ったが、この分じゃあ行列だろうなと推測し、そちらも後日ということにした。
ということで帰路に。談合坂サービスエリアで食事をして帰ってきた。ここも混んでいた。有名かどうかわからないが、田所商店という店のラーメンを食す。北海道味噌ラーメン、一見スープが濃厚で濃すぎるかなと思ったが、食べているうちにそれがうま味に変わってきて、まあまあ美味しく食べられました。
     


果たしてほんとに金運上昇になるか、乞うご期待である。
でも実は私はお金よりも叶ってほしいことがあるので、それをお願いしてきた。
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国立競技場と神田明神と両国にある回向院

2024-04-28 16:54:43 | 近県・県内の名所
令和6年4月28日(日)、連休中日、本来は習い事があったのだが、急遽先生の具合が悪くなったので中止に。
そこで、以前読んでいたく感動した井上靖氏の「おろしや国酔夢譚」(こくすいむたん)で、両国の回向院に神昌丸の積み荷の荷主が施主となり大黒屋光太夫らの供養塔があるというのが気になっていたので行ってきた。ついでに、国立競技場の東京オリンピックのオブジェを見て、神田明神にも行ってきた。
では順に書いていこう。
まずは国立競技場へ。ADOのコンサートが夕方からあるからか、ずいぶん中若男女がいた。今まで日本で開かれたオリンピックのトーチが展示されていた。もちろん2020のもあった。

近くのラーメン屋さんへ。2階席から国立競技場が見られるというのが売りの背油ぎっとリで、2回目はいいかな~
      

次に神田明神へ。ここでお祭りには神輿がひしめき合うそうだ。
      

両国駅構内では餃子を自分で焼いて食べる催しがされていた。3番線ホームは今は使われていないそうだ。
 

最後は行きたかった両国にある回向院である。ここは江戸時代、明暦の大火で被害にあった人たちを供養していることが有名なんだそうだ。探していた供養碑が他の石碑と共に一回り小さかったが建てられていた。
石碑には船に乗っていた16人とはいかないまでも、光大夫や長次郎ら3,4人の名前が刻まれていた。
三重県の鈴鹿市白子港から江戸に向けて出港した神昌丸が、暴風雨に巻き込まれてアリューシャン列島の方まで流されてしまった。光太夫たちは厳寒に耐えながらも、飢餓に苦しみながらも、仲間を失いながらも、その土地土地の生活に適応し、新しいことに興味を持ちながら、言葉を覚えながら、生き抜いた。特に船を作って海を渡ったり、シベリアを横断してエカチェリーナ2世に謁見したことが「すごい!」と感動した。ほんとたくさんの困難を乗り越えて日本に戻ってこられたと思う。結局4人生き残ったが、そのうちの2人はロシア正教に入信したため日本には帰らずロシアに残り、光太夫と磯吉2人は日本に戻ってきた。最後まであきらめずに生き抜いた光太夫たちに日本人の気概を感じていたく感動した。
荷主はそんな光太夫たちを崇め奉ったのかもしれない。
      

4月下旬だというのに真夏のような暑さで、参った。
でもまた知らなかった歴史の一部を知ることができてうれしかった。


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小諸・上田・高田・斑尾・高遠

2024-04-06 09:22:17 | 旅行記
令和6年3月30・31日(土・日) 以前から高遠へ行きたいと思っていて、桜と絡めた丁度いいツアーがあったので、申し込んでおいた。桜はどうかなと懸念していたが、見事桜は全く咲いてなくて残念だったが、これが咲いていたらほんと見事だろうなと想像できたので、行った価値はあったのかなと思う。

それに『城めぐり』アプリも、有名どころである「小諸城」「松代城」「高崎城」「高田城」「春日山城」「上田城」等々41城もゲット出来たし、大満足である。

では、順を追って書いていこう。
まずは、東京駅で集合し、あさま611号に乗って佐久平駅まで行った。

そこからバスで小諸城址へ。ここは日本桜名所100選に選ばれているそうである。明治時代の「廃城令」によって「懐古園」となっている。
ここの歴史的なことは武田信玄が拡張整備したお城であることと、島崎藤村の「小諸なる古城のほとり 雲白く 遊子悲しむ」で有名な「千曲川旅情の歌」の舞台であること,秀忠が上田合戦時にここを本陣にして座った石があった。
          

次に上田城へ。ここでは入口の城壁に直径3メートルの大石が「真田石」として使われていた。真田井戸や櫓が県宝として修復されていた。
            

この夜は春日山近くの高田城の「ぼんぼりにライトアップされた夜桜」を見に行った。4000本もあるらしい。ここでのガイドさんが「桜は老木になって40年くらいたつと、成長には力を注がずに、花を咲かせることだけに力を使う、人間も同じである。」と言っていた。なるほど。
   

高田城から斑尾高原にある「タングラム」というホテルに泊。スキー場が隣接してあって、家族連れが大勢来ていた。
周りにはまだまだ雪が残っていた。高遠城に向かうまでの車窓から中央アルプスや八ヶ岳、南アルプス等々の山脈がきれいに見えていた。
      

次の日にはいよいよ「天下第一の桜の名所」といわれる「高遠城」である。高田城の倍はありそうな桜の木々。でも想像だけで実際に桜は拝めなかった。でもここには、秀忠の子ども保科正之が幼少のときに住んでいたことがあり、また大奥の大事件で江島が流されたところでもある。
                

お昼は峠の釜めし。30年位前に義母がお土産に買ってきてくれて食べた以来である。
 

最後に「日本三大桜」のひとつ山高神代桜の実相寺に行く。ここでやっと桜が咲いていた。
     

帰りは甲府駅からかいじ48号で帰路につく。富士山がきれいだった。
   

今回はバスの席が1日目は一番前、2日目が一番後ろといういい席での乗車だった。ラッキー。全体的に、バスでの移動が多かったが、それでも名所を網羅したよく練れていた観光であった。まあ桜は次回ということで。
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富士山の有名な写真を追いかけて

2024-03-27 08:39:48 | 近県・県内の名所
令和6年3月24日(日) 今年は暖冬だったので桜が早く咲くかなと思っていたが、ここへきて足踏み状態で、なかなか咲かない。よく見かける富士山と桜と五重塔が写っている有名な写真があるが、そこへ行ってみたいと常日頃思っていて、今回桜は望めないが、行ってみようということで出かけてきた。朝は少し雲が出ていて、富士山は拝めるか心配だったが、西に向かって行ったが不思議とだんだん雲がなくなってきて、壮大な富士山が拝めたので、よかった。 

山梨県の富士吉田市にある「荒倉神社」正式には「新倉富士浅間神社」まで、高速を使ったら約2時間弱で行けるので、朝早く出たから、11時ごろにはもうこちらに戻ってこれた。

この神社は混んでいて、外国でもあの絵葉書(写真)は有名なのか、来ている人たちはほとんど外国の方で、中国や東南アジア系、欧米の方たちもたくさんいた。日本人はやっぱり桜が咲いてから来るんではないかしら。

やはり桜がないと少し物寂しい感じはするが、間近にあの絵葉書通りの光景が見られて大満足だ。写真にある五重塔は大阪の四天王寺や奈良の法隆寺にあるのとは一回りも二回りも小さくて、それにこれは忠霊塔で戦没者を慰霊しているそうだ。
          


次に、同じ富士吉田市にある、会社を興した有名が人が言っている、金運アップや商売繁盛のご利益があるといわれている神社「新屋山神社」(あらややまじんじゃ)へ行く。まず驚いたのは、鳥居が参道沿いに重なって立てられて奉納されていた。どこかで見たことがあるなと考えたら、伏見稲荷大社も同じように鳥居が連なっている。こういう所は意外と多いのかも。この場所は自然記念物の林で守られていた。

今回も好きな富士山が見られて、名所に行けて、金運がアップのお参りをして、なかなか楽しかった。
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