夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

人間は霊的実在である・・・・・その ⑧ 死後の消息 (先祖の崇拝)

2016年01月16日 16時01分55秒 | コラム・人文
人間は霊的実在である・・・・・その ⑧ 死後の消息(先祖の崇拝

          神祀りと自然の崇拝と先祖の崇拝(供養)

日本では古代より豊かな山、川などの自然を神として崇め、豊かな山の幸、里の幸、海の幸を神様の尊い恵みとして大切に取り扱い大自然と共に生きて来ました。
自然と人間は一つの生命の繫がりとして認識し、親しみを持ち、山里のなどを通して豊かに関わって来ました。
奈良の三輪神社(大神神社)のように三輪山を御神体として祀っています。
本殿を持たない古神道の形を今に残しています。
日本人は古代より自然の山川草木をはじめ生きとし生けるものを神として祀ってきました。
日本は外国の宗教のように教義、経典などはありません。
神の御心と大自然の峻厳なる気高さのように生きる道を惟神(かんながら)の道と云います。
日本では人間を神としてお祀りします。
明治神宮の明治天皇、八幡神社の応神天皇、安部清明神社の安部清明など各地に様々の形で祀られています。
これは神と人間が一つで有ることを直感的に日本人が自覚していたからであります。
神道では幽界へ他界するとただ幽界へ隠れただけであるとして幽世(かくりよ)として扱い、
男性は某(俗名)比古命之(ひこのみことの)霊位。
女性は某比女命之(ひめのみことの)霊位と尊称してお祀りします。
生きていても亡くなってもただ世界が変わるだけであり、生命は生き通しであると云う認識から亡くなっても俗名でお祀りします。




神道では亡骸(肉体)を忌み嫌い、これを穢れとして祝詞、紙垂(しで)などで祓い浄めます。
亡骸も元は自然と人間は一つであると云う考えから火葬にしないで土葬することにより自然に還したのであります。
また荼毘にするよりも土に還す土葬の方が御霊にしては快くにして、再度生まれ変わるのにも、生まれ変わり安いのであります。
住吉大神の禊の後に天照大御神が顕れた如く、肉体を祝詞の言霊、清浄な水等で禊(みそぎ)ますと、
この禊によって肉体人間の罪、穢れは祓い浄められ、新しい聖なるものとして実相の御霊、直日霊(なおひるのみたま)として生まれかわります。
古事記で天照大御神が黄泉の世界の天岩戸隠れなられた為に、世界が暗黒になり、八百万の神々が天岩戸より
天照大御神を連れ出したことにより、世界が明るくなったことと同じようなことでもあります。
このようなことからも穢れの象徴である肉体が無くなりますと最終的に清浄な聖なるものだけが残るとして神として日本人は祀るようになりました。
先立つ人は、もう肉体が無くなりその肉体の罪、穢れは既に無くなったと考え、その人の御霊(霊魂)を幸魂(さちみたま)として丁重にお祀りしたのであります。


このようにしてお祀りするのが先立つ霊魂のための先祖の供養であります。

『注』
幽界(ゆうかい)―・・・あの世。死後の世界。
幽世(かくりよ)―・・・死後の世界。現世(うつしょ)に対することば
安部清明―・・・九二一~一〇〇五年、平安時代の陰陽師。
祝詞(のりと)―・・・天津祝詞(あまつのりと)、大祓詞(おおはらいのことばなどで諸々の穢れを祓い浄める言葉。
           祝賀を述べる寿詞(よごと)がある。言葉には霊的な力がある。
古事記―・・・神々の神話から始まる日本最古の歴史書であり、美しい文学書、哲学書でもあります。
紙垂(しで)―・・・紙、絹などで作った神の依代。
荼毘―・・・死骸を火葬すること。
天照大御神―・・・伊勢神宮に祀られている、天皇家の先祖神。
幸魂(さちみたま)―・・遺族が家庭で祭祀する御霊。



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