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神と自然と人間の共生
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武士道『葉隠』の精神・・・・・毎日死を心に当てることは、毎日生を心に当てることと、いわば同じである。

2015年12月03日 22時29分35秒 | コラム・人文
武士道『葉隠』の精神・・・・・一念、一念とかさねて一生


長い築地塀風の塀の中には県立諫早高等学校があります。
諫早高等学校は明治の頃、茶室の御書院と共に諫早家より寄進がありました。
この付近は全て龍造寺氏一族の諫早家の地所でありました。
向かい側には高城と云われている山城があり、此処は激戦地でありました。
広大な山等の地所を諫早市に寄付をされて、藤原一族の出身地である宇治へ往かれました。
先祖供養等は施餓鬼会時に菩提寺の慶巌寺、天祐寺に毎年お越しになられます。
裏門より鬱そうとした山道を抜けて通学していました。
今は整備されて明るくなりましたが、当時はクラブ活動で遅くなり薄暗い山の夜道を帰っていました。
学生の時は何とも思っていませんでした。








水辺に映る紅葉に栄枯盛衰が煌き、唯ひたすらに、兵達の歩んだ葉隠れの御心を尊び安らかなれと祈る。





武士道『葉隠』の精神
毎日死を心に当てることは、毎日生を心に当てることと、いわば同じことだということを
『葉隠』は主張している。
われわれはきょう死ぬと思って仕事するときに、その仕事が急にいきいきした光を放ちだすのを認めざるをえない。

一念、一念とかさねて一生
けっきょくのところ重要なのは、現在の一念、
つまりひたすらな思いよりほかにはなにもないということである。

                                        三島由紀夫・・・ 葉隠入門



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