夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

月、常に生じて、固(もと)より、性出没すること無きなり。(涅槃経) ・・・それ故に吾々は肉体の死を、悲しむにはあたらないのである。

2018年02月01日 19時51分52秒 | コラム・人文
次女の誕生日であります。

生まれた当時は南国にしては稀にみる大雪であり、

早朝に産気づいて慌ててタイヤチエーンを取り付けましたが、

確りと装着出来ていなかった為に新車のタイヤの周辺が傷だらけになりました。

若い時であり焦りました!

明治五年12月までは太陰暦であり、

それまでは『月』は現在より身近な存在であり生活にも定着していました。

また『月』の存在は日本人特有の詫び寂びの繊細な心に通じていて、

ロマンチックでもあり万葉集などの歌にもよく取り上げられています。

科学が発達して月のイメージがメカニックな見方で捉えられようになりましても、

やはり宇宙の神秘である月の存在は人々には魅力的であり感銘を与えるようであります。


天の海に 雲の波立ち 月の舟 星の林に 漕ぎ隠る見ゆ

                              万葉集7-1068 柿本人麻呂

久方の 月夜を清み 梅の花心開けて 我が思える君

                                万葉集8-1661紀小鹿女郎(きのをしかのいらつめ)
 
人間は理念であるが故に常に死滅することはない。

機縁に触れてより一層その『理念』の内容を完全に表現し、

機縁に触れて病み、かつ傷づけるが如く現われる。

釈迦は仏性に滅不滅なきこと、『其の月常に生じて、固(もと)より、性出没すること無きなり』と言っている。

                                        涅槃経 月喩品第15
それ故に吾々は肉体の死を悲しみにはあたらないのである。








最新の画像もっと見る

コメントを投稿