夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
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山道をあるく・・・自己破壊からの救い(攻撃性』)其の②

2018年10月13日 22時46分28秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
朝靄の 谷間にけむる 初穂かな

小さな沢を登りました。

考えていた以上に、変化に溢れた坂道を登るのは息があがり、

バランスを保つのが大変でした。

年月を感じさせられました。




攻撃性と対抗して闘う手段



攻撃性を食い止めるには攻撃性の直接的表現に対抗するには

ただ拘束(restrsin)あるのみと考えてはならない。

自己破壊(攻撃性)の手段は容易に別のものに取り換えるることができる。

当人自身が攻撃を認識しなければならない。

一旦攻撃性に含まれている自己破壊性が認識されると、

それを自分向けたり、また無害な攻撃をしかけてこない(ionffensive)対象物に向けたりせず、

別の方向に向け直し、攻撃しても差し支えのないもに振り返ることである。

悪口三昧などの攻撃性を周りの者や近親者に向けることは、

はた迷惑なものであるがこれは喜ぶべきことなのである。

このような攻撃性の傾向が差し支えの無い対象に吐き出されさえすれば

その攻撃性は癒されるのである。

攻撃性エネルギーを応用して、ゴルフで歩いたり、隣人の悪口を言ったり、

妻の平和を乱したり、畑を耕したり、討論会で意見を述べたり、工場で働いたりすることが

攻撃性の昇華(sublimation)を意味していて、はるかに賢明なことである。

われわれの憎悪のうち、もっとも深刻なものは子供時代に形成されたものであり、

攻撃性を処理する手段のなかでもっとも効果的なものは

本質的には子供じみたものであるという事実を忘れてはならない。

これこそは遊びの主な機能なのである。

ヴァン・ゴッホは芸術に自己を傾注して、

情熱をカンパスにぶつまけた為に自殺を延期することが出来たのである。


入院中のある婦人が糞便を壁になすりつけて、

医者や看護婦の悪口を書き散らしたる

ある婦人が回復をするにつけて、ペンとインクで美しい詩句が書けるようになった。

このことはわれわれの原始的な攻撃手段が、

初歩的であるが社会的に是認される形態の様々な活動に置き換えられいく有様を見ることが出来る。