「盗人にも三分の理」とは、悪事を働くにも相応の理由がある、どんなことにでも理屈はつけられるということです。泥棒のも三分の道理ともいいます。
「一寸の虫にも5分の魂」とは、どんな弱小なものにも、それ相応の意地や考えがあって、ばかにしてはいけないということのたとえになります。
この2つを合体して「盗人にも五分の魂」と言ってしまいがちですが、こういうと、泥棒と言えどバカにできないという意味になってしまうのです。
「一寸の虫にも5分の魂」とは、どんな弱小なものにも、それ相応の意地や考えがあって、ばかにしてはいけないということのたとえになります。
この2つを合体して「盗人にも五分の魂」と言ってしまいがちですが、こういうと、泥棒と言えどバカにできないという意味になってしまうのです。
端は、はじめ、倪は終わりの意。
「端倪すべからざる~」と使い、~は容易に推測できないという風に使います。
「ものごとの始めと終わりが見えず、その全貌が測り知れない。」という意味に
なるのでしょうか。
「この子の才能には端倪すべからざるものがある」とか
「今後の成り行きは、端倪すべからざるものがある」などと使います。
少し古風な使い回しですね。
「端倪すべからざる~」と使い、~は容易に推測できないという風に使います。
「ものごとの始めと終わりが見えず、その全貌が測り知れない。」という意味に
なるのでしょうか。
「この子の才能には端倪すべからざるものがある」とか
「今後の成り行きは、端倪すべからざるものがある」などと使います。
少し古風な使い回しですね。