僕の感性

詩、映画、古書、薀蓄などを感性の赴くまま紹介します。

明日は天童温泉!

2017-01-20 12:53:43 | ドライブ
明日、天童温泉に行きます。

高校の仲間5人で集まるんです。
ハイスクール!奇面組と一緒ですね

お天気はいかがなものでしょうか。

食べ過ぎ飲みすぎには注意しなければなりません。

そして明日の分も頑張って仕事をしております。

いい写真が撮れたらアップしますね

崎陽軒のシウマイ弁当

2017-01-17 17:48:28 | 食べ物
横浜、横須賀に遊びに行った娘が崎陽軒のシウマイ弁当
4つ買ってきてくれましたヽ(^o^)丿




シューマイが5個、鶏唐揚げ、卵焼き、蒲鉾、鮪の照り焼き、筍煮などがおかずとして入っています。

どれも美味しくてパクパクと瞬く間に平らげてしまいました。


このお弁当には、崎陽軒社長の野並直文氏直伝の食べ方があるそうです。

まず鮪の照り焼きをほぐして、ご飯の上にまぶす


次によく味の染みた筍煮をまぶす


最後に切り昆布と千切り生姜をまぶして


それらのまぶされた飯を、しうまいをおかずに食べるのがベターなのだそう

こんな食べ方があるとは・・・

でも、俵型のご飯を一口食べ、そのあとシューマイを一緒に食べるの好きいう人も多いのではないでしょうか。


朋あり遠方より来たる

2017-01-16 17:52:42 | 感動
1月14日、うちを巣立ったS君が立ち寄ってくれた。

スマホの液晶とか水族館の水槽の原料などを作っている化学系の会社に勤めているそうだ。

周りの同期などは阪大、京大、東大などの旧帝大出身者が数多いて
結構圧倒されるそうである。

夕方5時半ごろ、今度は米沢で学んでいるE君も見えた。
なんと自分でバイトして買ったマーチでやってきたのだ。
親には税金・保険の類をお世話になったそうだが
ほぼ自分の力で車を購入するとは

「君は偉い!」とちょっと褒めたのだった。

友とはちょっと違うのだが・・・

論語にある有名な一節、朋あり遠方より来たる また楽しからずや
の心境だった。


ところが、「南山壽(なんざんす)」や「禁客寺」など、人を食ったタイトルの著書で有名な内田百閒は、
生前、玄関先に次の面会謝絶風の札をかけていたそうだ。

世の中に人の来るこそ嬉しけれ、とはいふもののお前ではなし


温野菜サラダ

2017-01-15 09:36:05 | 食べ物
娘が温野菜サラダを作ってくれました。


オリーブとかレンコン、トマト、パプリカなど入っていて、アンチョビなどで味付けしたそうです。


つや姫のご飯とともに御馳走になりました。


美味しかったぞ~娘よ 
またブロッコリースプラウトを豚肉で巻いた料理も食べたいぞよ

7日の晩飯~

2017-01-09 08:05:36 | 食べ物
ほぼいつもカテゴリーが食べ物の食欲旺盛な私です。

7日コンサートの後、「こちら丸特漁業部」で夕食をとりました。


空腹だったので丼物を食べました。

ウニいくら丼


アワビを加えた三色丼


なんの魚だったかな?黒酢あんかけ


みそ汁は「黒ソイ」と「鯛」のアラを使ったもの


ブログを作成していてまたお腹がすいてきました!


8日日曜日は、餅と肉そばを食べに「葵」にドライブ

それぞれ おもいおもいのメニューに舌鼓を打ちながら








完食いたしました!




そこから近い「真下慶治美術館」へ  そうそう名称が変わって「最上川美術館」になったのでした。




有り難いことに入館料が無料でございました。

記念に真下慶治氏の複製画と絵葉書を購入いたしました。




チェリーランドに立ち寄って、嶋の八文字やで書籍を買って帰りました。


最後におまけです 娘が作った三品をご披露します(o^―^o)ニコ


オールナイトニッポンコンサート 伊勢正三/イルカ

2017-01-07 22:19:44 | 音楽

本日やまぎんホールに伊勢正三とイルカを聴きに行きました。超満員でございました。


入場するやいなや伊勢正三の45周年記念の4枚組ALL TIME BESUT~Then & Nowを購入しました。

ポスターとステッカーが附いておりました。



イルカは還暦を過ぎているのに、いつまでも可愛い乙女という風貌でしたね。

正やんは昔からニヒルで今が年相応かなー 小室等から「君は僕に似てるね~」と言われていたそうです。

曲はやっぱり僕にとっても

昔の懐かしい曲が好ましく思いました。イルカの曲では「雨の物語」、「サラダの国から来た娘」、「海岸通」そしてもちろん
「なごり雪」が素敵でした。

正やんの曲では、「あいつ」、「あの唄はもう唄わないのですか」、「ささやかなこの人生」、そして「22才の別れ」が、いかしてましたね。

イルカは20代のころオールナイトニッポンのパーソナリティをやっていて
ある中学生から何枚もの便せんに書かれた手紙をもらったそうです。

その手紙にはこう書かれていました。

「僕は自分が大嫌いです。学校もさぼって休むし万引きしたことがあるし、友達も一人もいません。だから自分などいなければと思うのです。」


そうしたためられた手紙の返事にイルカはなんて書いたらよいか迷いました。

でもおもいきって歌にしたのです。

風にのせて

見知らぬ街の

あの少年に、とどけておくれ

この言葉を・・・・。

風にゆれる花を

「きれいな」とあの人は言った。

ぼくは、今まで何も気づかなかった

風にゆれている花が

君には、見えますか?

見ようとしなければ、何も見えはしないのです


急ぎ足で通り過ぎて

行くなんて
君にも知って欲しいな

心のとびらをあけて


君に聞こえますか?

ぼくのこの声が

いつまでも、うつむいていないで

顔を上げてごらん

風にゆれている花が

そこに見えるはず


今すぐ届けてあげたいな

あの人からもらったほほえみを君にも

風にのせて


とても悲しいことがあった時、つらい時

誰でも他の人からほほえみをもらうものです

そして自分もほほえむことが出来るようになるのです

だから今度は君にも、ほほえみをあげたい




イルカはこんな歌を作って、その歌詞を少年に贈りました。

その中学生の少年は、しばらくしてイルカに返事を送ったそうです。

「僕は最近サッカーのクラブに入りました。そうしたら友達が一人できました!お返事ありがとうございました。」


このエピソードをイルカから聞いて、そのあと歌った「風にのせて」の曲を聴きながら
不覚にも涙が頬をつたっていきました。

我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか

2017-01-05 16:15:02 | 人生論
明けましておめでとうございます

タイトルは、ポール・ゴーギャンの有名な絵画の一つです。


ゴーギャンは1871年、23歳でパリのベルタン商会で株式仲買人として働き、年収は三万フランもありました。
19世紀の3万フランは日本円では1800万円~4500万円ぐらいです。

けれど1883年の金融恐慌が原因で、ゴーギャンは職を失ってしまいます。収入がなくなり食べるのも困る生活、そうした中で
ゴーギャンが生きるために選んだ仕事が画家だったのです。

ゴーギャンはマルチニーク島、ブルターニュ、ゴッホの住むアルルと放浪した後、1891年南国タヒチへと旅立ちます。
二年後タヒチで描いた絵をもってパリに帰り個展を開きましたが、絵は全く売れませんでした。

失意のまま再びタヒチに戻り、このときの生活の中で描いた大作が表題の絵でした。

この作品は誕生と死の間に繰り広げられる人生の流転を描いたものとされています。

右端の赤ん坊が生命の起源を表す「眠る赤子」、赤い服を着た二人は「知恵の木」について論じあっているといいます。
中央で禁断の果実をもぎとっているしぐさをしている人物が青年期を表し、左端の老婆は避けることができない「死」を象徴しています。

青年期と死・晩年の間に立つ青い像は「超越者(The Beyond)」を表し、偶像のモデルは月の女神ヒナと言われます。

ゴーギャンはこの作品を描き上げた後自殺を図っています。


サマセット・モームの作品に「月と六ペンス」という傑作があります。この作品の主人公・ストリックランドのモデルがゴーギャンといわれています。
現実のゴーギャンは失職と共に絵を職業としますが、作品の中のストリックランドは突然失踪します。普通の日常に飽き足らず、狂気に導かんとする
芸術的情熱を持ち続けます。ストルーヴという画家の助けを受けながらも彼の妻を奪ってしまうという倫理にもとる生き方をするのです。

そしてなお一か所にとどまらず、一人の女性に執着せず、ただただ絵筆を持ち続けました。

話し手は、ストリックランドが死んだあと、彼の絵をたまたま手に入れたコーエンというユダヤ系商人の話しを聞きました。

一週間何も食べていないという彼に乞われて200フラン貸したといいます。それから一年後ストリックランドから農園の絵を受け取ったそうです。

コーエンには何の価値も見いだせなかったその絵に3万フランの値がつきました。
奇しくもその数字はゴーギャンがかつて貰っていた年収と同額でした。

モームの出世作である「月と六ペンス」、「月」は限りない夢を表し、「六ペンス」はありきたりの日常を示しています。