落陽
岡本おさみ作詞、吉田拓郎作曲
しぼったばかりの夕陽の赤が 水平線からもれている
苫小牧発・仙台行きフェリー
あのじいさんときたら わざわざ見送ってくれたよ
おまけにテープをひろってね 女の子みたいにさ
みやげにもらったサイコロふたつ 手の中でふれば
また振り出しに戻る旅に 陽が沈んでゆく
女や酒よりサイコロ好きで すってんてんのあのじいさん あんたこそが正直者さ
この国ときたら 賭けるものなどないさ
だからこうして 漂うだけ
みやげにもらったサイコロふたつ 手の中でふれば
また振り出しに戻る旅に 陽が沈んでゆく
サイコロころがしあり金なくしフーテン暮らしのあのじいさん どこかで会おう 生きていて くれ
ろくでなしの男たち 身を持ちくずしちまった男の話を聞かせてよ サイコロころがして
みやげにもらったサイコロふたつ 手の中でふれば
また振り出しに戻る旅に 陽が沈んでゆく
戻る旅に 陽が沈んでゆく
岡本おさみ氏と言えば、放浪の詩人として有名なのですが
ある時、苫小牧から仙台に向かうフェリーの船上で
チンチロリンというサイコロ博打に興じる老人と出会い
仲良くなりました。
そして別れ際に、老人からサイコロふたつを土産に貰いました。
チンチロリンはサイコロ三つで行う博打です。
「若いのに放浪なんかして、決してワシみたいな男になるなよ」
と老人は言いたかったのではないでしょうか。
岡本おさみ作詞、吉田拓郎作曲
しぼったばかりの夕陽の赤が 水平線からもれている
苫小牧発・仙台行きフェリー
あのじいさんときたら わざわざ見送ってくれたよ
おまけにテープをひろってね 女の子みたいにさ
みやげにもらったサイコロふたつ 手の中でふれば
また振り出しに戻る旅に 陽が沈んでゆく
女や酒よりサイコロ好きで すってんてんのあのじいさん あんたこそが正直者さ
この国ときたら 賭けるものなどないさ
だからこうして 漂うだけ
みやげにもらったサイコロふたつ 手の中でふれば
また振り出しに戻る旅に 陽が沈んでゆく
サイコロころがしあり金なくしフーテン暮らしのあのじいさん どこかで会おう 生きていて くれ
ろくでなしの男たち 身を持ちくずしちまった男の話を聞かせてよ サイコロころがして
みやげにもらったサイコロふたつ 手の中でふれば
また振り出しに戻る旅に 陽が沈んでゆく
戻る旅に 陽が沈んでゆく
岡本おさみ氏と言えば、放浪の詩人として有名なのですが
ある時、苫小牧から仙台に向かうフェリーの船上で
チンチロリンというサイコロ博打に興じる老人と出会い
仲良くなりました。
そして別れ際に、老人からサイコロふたつを土産に貰いました。
チンチロリンはサイコロ三つで行う博打です。
「若いのに放浪なんかして、決してワシみたいな男になるなよ」
と老人は言いたかったのではないでしょうか。
お酒に関する隠語に「左党」あるいは「左きき」というのがあります。
俗に言う酒飲みのことですが、お酒の好きな人には左ききが多いのかな(?)なんて思ってしまいます。実はこれもシャレから出た言葉なのです。
江戸時代、大工や鉱夫は、右手に槌、左手にノミを持つことから、右手の事を槌手、左手の事をノミ手といいました。
ノミ手が飲み手にゴロ合わせされ、飲むことが得意の人を左きき、という事になったというものです。
あんまり酒の飲めない人を下戸、反対に飲める人を上戸ともいいます。
上戸は裕福な家の事で、下戸は貧しい家の事です。
古代の婚礼では使うお酒の量が貧富で違っていて、上戸は八瓶、下戸は二瓶となっていました。
それで、酒の飲める事を上戸、飲めない人を下戸と言うようになったのが有力な説になります。
俗に言う酒飲みのことですが、お酒の好きな人には左ききが多いのかな(?)なんて思ってしまいます。実はこれもシャレから出た言葉なのです。
江戸時代、大工や鉱夫は、右手に槌、左手にノミを持つことから、右手の事を槌手、左手の事をノミ手といいました。
ノミ手が飲み手にゴロ合わせされ、飲むことが得意の人を左きき、という事になったというものです。
あんまり酒の飲めない人を下戸、反対に飲める人を上戸ともいいます。
上戸は裕福な家の事で、下戸は貧しい家の事です。
古代の婚礼では使うお酒の量が貧富で違っていて、上戸は八瓶、下戸は二瓶となっていました。
それで、酒の飲める事を上戸、飲めない人を下戸と言うようになったのが有力な説になります。
道元は「正法眼蔵」の中で「脚下照顧」という言葉を使っています。まず足元を照らせということです。とかく人間は他人のあら探しをよくするが、自分のことは見つめようとしない事が多いのです。わが身、わが心を振り返り自分の周りを見る事を怠ってはいけないのです。
時には慎重に石橋を叩いて渡り、傲慢不遜な態度は決してとらないことです。
常に謙虚な態度と心構えに努め、他人の話をよく聞いて、相手を敬い切磋琢磨し続けるのです。
時には慎重に石橋を叩いて渡り、傲慢不遜な態度は決してとらないことです。
常に謙虚な態度と心構えに努め、他人の話をよく聞いて、相手を敬い切磋琢磨し続けるのです。
むか~しむかし若かりし頃、受験勉強に旺文社のラジオ講座というものをやっておりました。今でもあるのか知りませんが、基本的なことを繰り返し勉強できてとても役に立ちました。
そして極めつけは明治大受験のとき、なんと古典の問題が、ラジオ講座で勉強した学習院大学の過去問が出題されたのです。
枕草子の鶏のお話でしたが、とてもラッキーだったと思います。
録音して何度もわかるまで聴いたのがよかったのかな~
受験も人生も多少の運に左右される事ってあるかもしれません。ただ運がよくめぐるか、悪しきにめぐるかは本人の行いしだい・・・かな?
そして極めつけは明治大受験のとき、なんと古典の問題が、ラジオ講座で勉強した学習院大学の過去問が出題されたのです。
枕草子の鶏のお話でしたが、とてもラッキーだったと思います。
録音して何度もわかるまで聴いたのがよかったのかな~
受験も人生も多少の運に左右される事ってあるかもしれません。ただ運がよくめぐるか、悪しきにめぐるかは本人の行いしだい・・・かな?
今日、義父が会合に参加するのに、コートを着ないでバイクに乗って出かけました。 そのときの台詞
「外套(がいとう)なんて着ねたていい」
“がいとう” なんていい響きいにしえの良き時代が行き来するような・・・
“外套”と聞いて「ふる~いことばだな~」と思ったあなた
はい! ごく普通です。
ゴーゴリの小説を思い浮かべた人、ちょっと文学通です
アカーキ・アカーキエヴィッチという小役人が、新調した外套を一夜にして追いはぎに奪われ、絶望して死に、彼の幽霊が奪われた外套を求めて市中に出没するという奇想天外なお話なのです。
虐げられた下層の人々、辱められた不幸な零落者に対するモラりスティックな同情、憐憫の情がその後のロシア文学の特徴的なテーマになりました。
「笑いの背後にある涙」とは、いち早くゴーゴリの天才を認めたプーシキンの言葉です。ドストエフスキーにさえ
「われわれはみな『外套』から生まれた」と語らせました。
是非一度読んでみてくださいね
「外套(がいとう)なんて着ねたていい」
“がいとう” なんていい響きいにしえの良き時代が行き来するような・・・
“外套”と聞いて「ふる~いことばだな~」と思ったあなた
はい! ごく普通です。
ゴーゴリの小説を思い浮かべた人、ちょっと文学通です
アカーキ・アカーキエヴィッチという小役人が、新調した外套を一夜にして追いはぎに奪われ、絶望して死に、彼の幽霊が奪われた外套を求めて市中に出没するという奇想天外なお話なのです。
虐げられた下層の人々、辱められた不幸な零落者に対するモラりスティックな同情、憐憫の情がその後のロシア文学の特徴的なテーマになりました。
「笑いの背後にある涙」とは、いち早くゴーゴリの天才を認めたプーシキンの言葉です。ドストエフスキーにさえ
「われわれはみな『外套』から生まれた」と語らせました。
是非一度読んでみてくださいね
手塚治虫氏が漫画家になったのには、両親の影響がかなり強いようです。彼が子供の頃、父親は、給料日ごとに漫画を買ってきては、自分が読んだあと、息子に渡して読ませていました。
あるとき、父親が結婚前に母親にだしていたラブレターのたばをみつけ、手塚氏はびっくりしました。ラブレターが、全部漫画入りだったのです。
しかも、カットではなくコマ漫画。ちゃんとストーリーがあって、面白いところで話がとぎれ、「つづく」となっているのです。描いた父親も漫画好きなら、連載漫画入りのラブレターを読んでいた母親も、相当な漫画好きだったのでしょう。
その母親も手塚氏が風邪で寝込んだとき、一度だけだが「パラパラ漫画」を描いて息子に見せた事があるそうです。手塚氏はこの漫画を終生大事にとっていたそうです。
手塚治虫氏が漫画界の神様のような存在になれたのも、この両親がいてこそといえるのです。