僕の感性

詩、映画、古書、薀蓄などを感性の赴くまま紹介します。

巨大エイ

2009-02-28 00:03:05 | Weblog


タイのピン川で世界最大の淡水エイが捕まえられました。ものすごいです!

山形では「カンギエイ」のひれの軟骨部分を長時間煮て甘辛く煮付けたものを「カラカイ」と呼び伝統的に食べられています。秋田県は同様のものを「カスベ」と呼びます。

落陽

2009-02-27 23:19:18 | Weblog
           落陽

              岡本おさみ作詞、吉田拓郎作曲


       しぼったばかりの夕陽の赤が 水平線からもれている                     
         苫小牧発・仙台行きフェリー
             
       あのじいさんときたら わざわざ見送ってくれたよ
       おまけにテープをひろってね 女の子みたいにさ    
       みやげにもらったサイコロふたつ 手の中でふれば
       また振り出しに戻る旅に 陽が沈んでゆく
           

       女や酒よりサイコロ好きで すってんてんのあのじいさん      あんたこそが正直者さ
       この国ときたら 賭けるものなどないさ
       だからこうして 漂うだけ
       みやげにもらったサイコロふたつ 手の中でふれば
       また振り出しに戻る旅に 陽が沈んでゆく



       サイコロころがしあり金なくしフーテン暮らしのあのじいさん        どこかで会おう 生きていて くれ
       ろくでなしの男たち 身を持ちくずしちまった男の話を聞かせてよ       サイコロころがして
           
       みやげにもらったサイコロふたつ 手の中でふれば
        また振り出しに戻る旅に 陽が沈んでゆく   
         戻る旅に 陽が沈んでゆく   
            


岡本おさみ氏と言えば、放浪の詩人として有名なのですが
ある時、苫小牧から仙台に向かうフェリーの船上で
チンチロリンというサイコロ博打に興じる老人と出会い
仲良くなりました。

そして別れ際に、老人からサイコロふたつを土産に貰いました。
チンチロリンはサイコロ三つで行う博打です。

「若いのに放浪なんかして、決してワシみたいな男になるなよ」
と老人は言いたかったのではないでしょうか。


  
            

          
           
            

            
           
        
           

白鳥

2009-02-27 21:40:45 | Weblog


2月22日にKさんから携帯にいただいた白鳥の写真です。上山市のとある川で遊ぶ白鳥たちが優雅です。
冬も相変わらずアウトドアライフ送ってますね!
今度わたしも連れて行ってください。

追伸 お酒美味でした。ありがとうございます。

ハレー彗星

2009-02-27 21:02:28 | Weblog


76年周期で地球に接近する有名なハリー彗星です。彗星本体は水やメタン、炭酸ガスが氷結した氷の塊です。これが太陽の近くに来ると、太陽から吹き付ける強力な太陽風にあおられます。太陽からの強い紫外線を受けると分解し、巨大な水素ガスの雲に膨れ上がります。これが太陽風を受けて尾をたなびかせた姿になるのです。
76年周期なので、次回見られるのは、2061年の夏だそうです。

左きき

2009-02-27 00:06:04 | Weblog
お酒に関する隠語に「左党」あるいは「左きき」というのがあります。
俗に言う酒飲みのことですが、お酒の好きな人には左ききが多いのかな(?)なんて思ってしまいます。実はこれもシャレから出た言葉なのです。

江戸時代、大工や鉱夫は、右手に槌、左手にノミを持つことから、右手の事を槌手、左手の事をノミ手といいました。
ノミ手が飲み手にゴロ合わせされ、飲むことが得意の人を左きき、という事になったというものです。

あんまり酒の飲めない人を下戸、反対に飲める人を上戸ともいいます。
上戸は裕福な家の事で、下戸は貧しい家の事です。
古代の婚礼では使うお酒の量が貧富で違っていて、上戸は八瓶、下戸は二瓶となっていました。
それで、酒の飲める事を上戸、飲めない人を下戸と言うようになったのが有力な説になります。







脚下照顧

2009-02-26 23:19:19 | Weblog
道元は「正法眼蔵」の中で「脚下照顧」という言葉を使っています。まず足元を照らせということです。とかく人間は他人のあら探しをよくするが、自分のことは見つめようとしない事が多いのです。わが身、わが心を振り返り自分の周りを見る事を怠ってはいけないのです。
時には慎重に石橋を叩いて渡り、傲慢不遜な態度は決してとらないことです。
常に謙虚な態度と心構えに努め、他人の話をよく聞いて、相手を敬い切磋琢磨し続けるのです。

受験のとき

2009-02-26 21:49:55 | 思い出
むか~しむかし若かりし頃、受験勉強に旺文社のラジオ講座というものをやっておりました。今でもあるのか知りませんが、基本的なことを繰り返し勉強できてとても役に立ちました。

そして極めつけは明治大受験のとき、なんと古典の問題が、ラジオ講座で勉強した学習院大学の過去問が出題されたのです。
枕草子の鶏のお話でしたが、とてもラッキーだったと思います。
録音して何度もわかるまで聴いたのがよかったのかな~

受験も人生も多少の運に左右される事ってあるかもしれません。ただ運がよくめぐるか、悪しきにめぐるかは本人の行いしだい・・・かな?

?

2009-02-26 20:46:37 | Weblog
今日、義父が会合に参加するのに、コートを着ないでバイクに乗って出かけました。 そのときの台詞
「外套(がいとう)なんて着ねたていい」
“がいとう” なんていい響きいにしえの良き時代が行き来するような・・・
“外套”と聞いて「ふる~いことばだな~」と思ったあなた
はい! ごく普通です。
ゴーゴリの小説を思い浮かべた人、ちょっと文学通です

アカーキ・アカーキエヴィッチという小役人が、新調した外套を一夜にして追いはぎに奪われ、絶望して死に、彼の幽霊が奪われた外套を求めて市中に出没するという奇想天外なお話なのです。
虐げられた下層の人々、辱められた不幸な零落者に対するモラりスティックな同情、憐憫の情がその後のロシア文学の特徴的なテーマになりました。
「笑いの背後にある涙」とは、いち早くゴーゴリの天才を認めたプーシキンの言葉です。ドストエフスキーにさえ
「われわれはみな『外套』から生まれた」と語らせました。

是非一度読んでみてくださいね

漫画家 手塚治虫

2009-02-25 21:16:20 | Weblog


 手塚治虫氏が漫画家になったのには、両親の影響がかなり強いようです。彼が子供の頃、父親は、給料日ごとに漫画を買ってきては、自分が読んだあと、息子に渡して読ませていました。
 あるとき、父親が結婚前に母親にだしていたラブレターのたばをみつけ、手塚氏はびっくりしました。ラブレターが、全部漫画入りだったのです。
 しかも、カットではなくコマ漫画。ちゃんとストーリーがあって、面白いところで話がとぎれ、「つづく」となっているのです。描いた父親も漫画好きなら、連載漫画入りのラブレターを読んでいた母親も、相当な漫画好きだったのでしょう。
 その母親も手塚氏が風邪で寝込んだとき、一度だけだが「パラパラ漫画」を描いて息子に見せた事があるそうです。手塚氏はこの漫画を終生大事にとっていたそうです。
 手塚治虫氏が漫画界の神様のような存在になれたのも、この両親がいてこそといえるのです。

雨ふり小僧

2009-02-25 20:55:20 | 感動
手塚治虫の「雨ふり小僧」が好きでした。

山奥の分校に学ぶモウ太には友達がいませんでした。

ある日、雨ふり小僧と出会い、3つの望みをかなえてもらいます。



そのかわりブーツを持っていってやる約束をしたのですが、急なひっこしのため約束を忘れ、40年の歳月が流れるのです。
大人になったモウ太は、ブーツを渡し、ぼろぼろになって同じ場所に待ち続けた雨ふり小僧に、涙を流しながらお詫びするのでした・・・・

立川談志も
「何という愛らしさ、何といういぢらしさ・・・・。涙が出てくる」
と語っています。
とても切なくてかわいそうで、雨ふり小僧がいとおしく感じました。