僕の感性

詩、映画、古書、薀蓄などを感性の赴くまま紹介します。

大雪だったな~

2008-12-26 23:19:08 | Weblog
山形の今日は大雪でした
車も人も渋滞で仕事も滞り気味でした。

雪かきで少々疲れたけれど、Nと卓球に励みました。
今は北村想の怪人二十面相・伝を結構面白く読んでいます。

車輪の下

2008-12-21 23:09:46 | Weblog
ヘルマン・ヘッセの「車輪の下」は、教科書にも登場する名作中の名作で、日本人好みの作品のように思います。

あらすじ
南ドイツの小さな町。父親や教師の期待を一身に担ったハンス少年は、猛勉強の末、難関の神学校入試にパス。しかしその厳しい生活に耐えきれず、学業への情熱も失せ、脱走を企てる。「教育」という名の重圧に押しつぶされてゆく多感な少年の哀しい運命をたどる名作。

ヘルマン・ヘッセが作家になるまでは、大変な苦労がありました。「車輪の下」の舞台になった神学校を退学させられたあと、書店見習いをしつつ文学修業に努め、ついに二十二歳で詩集の出版にこぎつけます。
これらの個人的な体験が「車輪の下」には滲み出ていて、洋の東西を問わず人々の共感を呼ぶ由縁なのです。

「車輪の下」とはいったい何を意味するのでしょうか。実はこれはヘブライ語などの成績が落ちたハンスを叱る校長先生の言葉からとったものなのです。
「決して弱気にならないことだ。さもないと人は車輪の下に入るよ(車にひかれるよ)」
つまり車輪の下に入るとは「破滅する」と言う意味なのです。
天才少年といわれたハンスの末路は泥酔した挙句の溺死です。しかしヘッセはハンスと類似の経験をしつつも克服し、自分の天職である詩人となるため苦悩の道を敢然と歩んでいったのです。

おやじとおじや

2008-12-20 20:35:03 | Weblog
今晩の夕食は私が作りました。定番の「おやじ鍋」。これは、鶏のがらと昆布と乾燥貝柱でだしをとり、キャベツ、白菜、キノコ、牛肉、豚肉、ごぼう、人参などを加え、醤油で味を調えたもので、最後にインスタントラーメンを煮込みます。
グルタミン酸、イノシン酸、アルギル酸のハーモニーで美味しく完成します。
それと今日はおじや(蟹雑炊)も振舞いました。ふかひれスープの素と蟹スープのもとを鍋で温め、水を加え、ごはんをどさっと入れ、卵を二個入れ攪拌しました。そこにかにかまぼこ、シメジ、紅ズワイガニの身をさらに加え焦げない程度に火を通します。熱々で蟹の風味がフワッと広がってわれながら満足のいく出来でした。
子供たちからは「おやじとおじやってなんか受けるよね!」と笑われてしまいました。

ツバキ

2008-12-18 23:31:51 | 
国会図書館から映像と文章をお借りしました。

ツバキ 『草木写生春秋之巻』 狩野重賢画 明暦3 (1657) ~元禄12 (1699) 写本 4軸のうち春上


二代将軍徳川秀忠がツバキを好んだのが、江戸時代に園芸が盛んになるきっかけのひとつだったといわれています。17世紀前半にツバキの品種は100を超え、それに呼応して数々のツバキを描いた著作が現われました。この資料には48品が描かれており、ここに示したのはその一部です。↑で示した個所に「酉ノ三月六日写生終」とありますが、これは明暦3年 (1657) か寛文9年 (1669) のことでしょう。ツバキやサクラ、ウメ、カエデは人気を博し、幕末まで愛好され続けました。

Tさん

2008-12-18 22:00:54 | Weblog
Tさんはチャボや鶏をたくさん飼っているおじさんです。
くず米や破砕米をたくさん購入してえさにしています。
でも・・・雀(すずめ)にも「食べにおいで」と
応分な量を与えているのです。鳥という鳥に分け隔てなく。
それこそ何百羽のすずめが一心不乱に米をついばむのです。
それはそれは見事な光景だとおじさんは莞爾(にっこり)と微笑んで
お茶をすすっていきます。  おじさんはいつも
至高のひとときを満喫なされているのです。
彼には雀のお宿ではないけれど、たくさんの幸せがめぐってくるでしょう。
ほら そう言っている間にも
神様がおじさんの体を充足感と言う幸福でいっぱいにしています。

R.A君 

2008-12-15 20:26:51 | Weblog
N高のR.A君に修学旅行のお土産をいただきました。オーストラリアにいったらしく、コアラ型のマカダミアチョコレートでした。美味しくて4個立て続けに食べちゃったよ。ありがとう!



彼は中学のとき一生懸命ボールだしをした生徒です。なぜか今でも私がお気に入りで、○○コーチが1番とおべっかを言ってくれます。
一緒に花見の出店で遊んだり、蕎麦やに食べにいったり、卓球会場でアドバイスしたのがあたかも昨日のことのようです。いい加減なコーチだったかな?
今のコーチに坊主にしろと言われても、くさらずに真面目に卓球に取り組んでいて、本当にうれしいです。必ず将来に生かされるので、残り半年精一杯がんばってほしい!


今日

2008-12-15 00:00:01 | Weblog
今日は、午前中卓球の指導で高校へ。いい汗をかきました。
午後4時から自治会の会議です。新しく出来るマンションの住民の受け入れを決議しました。6時からたぬき茶屋での懇親会。お料理が美味しかったなぁ。
8時半から「夕ちゃん」で2次会。見知らぬ3人組と話がはずみました。
ほろ酔い加減で今日はおやすみです

梁塵秘抄

2008-12-12 23:48:54 | Weblog
梁塵秘抄とは、後白河院が熱中した平安時代の流行り歌、今様を編纂したものです。中国の虞公と韓ガという人物の声の響きがすばらしいため、建物の梁に積もっていた塵が浮き上がって、三日間落ち着くことがなかった、という逸話にちなんで名づけられたといいます。
歌の形式七五調四句が基本ですが、八五調のものや、かなり長いものなどさまざまなスタイルがあります。
神楽歌や催馬楽と違って、公式の場では歌われず、主として白拍子(歌や舞をする女芸人)、遊女、巫女、傀儡(くぐつ)などによって歌われ、貴族の間にも広まりました。
よく知られているのは「遊びをせんとて生まれけむ、戯れせんとて生まれけん、遊ぶ子供の声聞けば、我が身さへこそ動(ゆる)がるれ」(巻2・359)でしょう。これを歌ったのは遊女で、「遊び」は子供の遊びと遊女の生業(なりわい)としての遊び(歌舞)を掛けているという解釈もあります。
仏法をわかりやすく説き明かした今様も収載されています。
「仏は常に在(いま)せども、現(うつつ)ならぬぞあわれなる、人の音せぬ暁に、仄かに夢に見えたまふ」(巻2・26)
{仏は本来、いつ、いかなるところにもいらっしゃるのだが、現実にはそのお姿を目にすることができないのがまことに残念である}とする説と、
{凡夫(煩悩の世界にいる人)にはそのお姿を目にすることが出来ないのが、まことに尊く思われる}とする説があります。
梁塵秘抄は文学的にも貴重なもので、歌人の斎藤茂吉や詩人の佐藤春夫などに大きな影響を与えています。

秘密のケンミンSHOW

2008-12-11 23:29:39 | Weblog
秘密のケンミンSHOWを見ました。山形がMVK(モースト・ヴァリアブル・ケンミン)に選ばれていました。
生垣にする、ウコギは食べるし、菊は食べる、アケビの肉詰めは食べるし、挙句雑草のひょう(スベリヒユ)まで食べるのです。


スベリヒユです。茹でて辛し和えで食べます。

私の子供の頃、「くわご」と言っていましたが、「桑の実」を口の周りを紫にして食べていました。甘くて大好物でした。



黄色い木苺、「モミジイチゴ」も甘酸っぱくて美味しかったし妙に今、郷愁とともに食べたくなります。

赤い木いちごより甘みがありました。

「イチイ」の実も食べましたが、種に毒があり、苦かった思い出があります。


「スイバ」という野草のような雑草をそのまま食べました。


たばこ畑でおなかがすいて、父が山百合の根を食べさせてくれたっけ。
山形県民は自然を食べるエコ人間なのです。自給自足もさほど苦にならないのではないかと思っています。