僕の感性

詩、映画、古書、薀蓄などを感性の赴くまま紹介します。

手塚治虫

2017-04-07 23:05:40 | 漫画


今日は手塚治虫の誕生日

多くの漫画家が彼を師と仰ぎ、影響を受けた。

彼を神様のように崇拝し、トキワ荘の14号室を引き継いだのが、藤子不二雄の二人だった。

手塚の新宝島やロストワールドに衝撃を受け
トキワ荘の先輩 寺田ヒロオらと切磋琢磨しながら
成長していく。

手塚は新人漫画家の作品を出版社に紹介したり
時には金銭の面倒もみた。
映画をたくさん見ろと教えたのも彼だった。

連載や付録漫画など十何本も抱えながらも
よい映画を見続けた人でもあった。

手塚の作品にゴッドファーザーの息子という漫画がある。似顔絵が上手だった主人公は、ヤクザの息子に気に入られ、いじめっこらから守られる立場になる。
そのヤクザの息子にかけっこの特訓を受け、万年ビリだったマラソン大会で8位に入賞するのだ。
手を取り合って歓ぶ二人。
けれど息子は大好きな女の子の似顔絵、勿論主人公が描いてあげたそれを携えて出征していく。

ブラックジャックや火の鳥、ジャングル大帝など著名な作品ばかりでなく、たくさんの隠れた名作を残した
偉大な手塚治虫がいなかったら、横山光輝や石ノ森章太郎、藤子不二雄、赤塚不二夫ら後に続く漫画家たちもいなかったのだろう。

因みに初期の藤子不二雄のペンネームは、足塚茂道だった。

星空を眺める

2013-07-19 23:30:56 | 漫画

 「あっ あそこに北斗七星が」
 「え?」

 「あっ あそこに白鳥座が」
 「ああ そうですね」「いいなあ宇宙は広くて無限で」

 「無限てホントにあるのかしら ホントに宇宙には終わりがないの?」

 「結論はかんたんなのですよ」
「人間の思考力の範囲外のこと・・・・なのです」「要するに宇宙の無限とは人間の限界をしめしているのです」「どんなにがんばろうと限界は絶対あるということですね」
「そこで人間の生き方には二通りでてくるのですね 限界に近づこうと必死で生きる人と限界がどうせあるならとゆったり生きる人ですね」 「今のぼくは後のほうの考えの人間ですよ」
 「だれにもわからない限界を変にわかったような顔をして生きる人よりも 限界にチャレンジしている人のほうがわたしはえらいと思う」

以上これは「月とスッポン」という漫画に出てくる藤波正平と星野道代という男女が、星空の下会話している内容の抜粋である。ガリ勉で優等生の藤波正平が、愛する星野のことで頭がいっぱいになり、極度のスランプに陥っている状況下にある。
もう東大はあきらめてしまおうかと迷い悩み揺れているその心こそ青春だな~


サバイバル

2011-04-04 17:53:33 | 漫画
昔、好んでジュール・ヴェルヌの「15少年漂流記」やデフォーの「ロビンソン・クルーソー」を読んだ。

そして西岸良平の作品に「サバイバル」がある。文字通りサバイバルな漫画である。

国立大学の受験当日の受験生が、朝飲んだ牛乳のせいで電車を途中下車し構内のトイレを探さざるを得なくなる。
けれど清掃中で入ることが叶わず、仕方なく故障中の札が掛かっているトイレに駆け込むのだった。さらに不運なことに外から鍵が閉められ、何時間か後にコンクリートでふさぐ工事を施されてしまった。

受験生は試験が受けられなくなったばかりか、食料がない狭い空間に閉じ込められてしまったわけだ。

1970年代の作品なので、携帯電話も普及していないので、外との連絡も遮断されている。
このあと4年間も閉じ込められたままになって、駅の拡張工事の時やっと発見されたのだ。けれど彼は生きていた。
当時の週刊誌に現代の岩窟王という名でもてはやされた。

それでは彼は如何にして生き延びたのか。どうやって食料を確保したのだろうか。
大変興味深い作品である。

立教大学出身の西岸良平の同級生に細野晴臣がいる。
細野は西岸の才能に感服し漫画を断念して、音楽の道に邁進するのであった。

我が星の果てるまで

2011-01-20 14:52:52 | 漫画
弘兼憲史の漫画「黄昏流星群」の中に、「我が星の果てるまで」という作品がある。




主人公の和光被服社長、佐竹は医者に胃がんの宣告を受ける。ほっとけば余命半年だということだ。

彼は、入院しての治療を拒否し、残りの時間を好きなことをして過ごすことを決意し、社長を32歳の息子に譲り、車で旅に出るのだ。
目的は、死ぬ前に会っておきたい3人に会うこと。

一人目は高校時代の恩師、片岡先生。
哲学書にのめりこみ、思い悩んで自殺未遂まで起こした佐竹を救ったのが片岡先生の奥さんだった。母親がおらず、父親の手で育てられた佐竹は、先生の奥さんに母親の面影を見ていたのかも知れない。
よく手料理をごちそうになり、悩みも聞いてもらううちに彼は立ち直っていった。けれど片岡先生の奥さんは既に10年前他界していたのだ・・・


二人目は大学時代の親友、友広泰三。佐竹の女房、和光説子には友広も思いを寄せていたが、彼女は佐竹を選び結婚したのであった。
友広は実家の観光ホテルを継いだが、バブルの頃に改築、増築を繰り返したのが仇となり不渡りを出して倒産させてしまう。
果たして佐竹は友広に会うことができたのだろうか・・・


最後は高校時代憧れていた鷹取美智子。
今は、鹿児島の小さな駅前で小料理屋を開いている。
突然訪れて自分の名を名乗ると、なんと彼女も柔道部のキャプテンをしていた佐竹に憧れていたのだ。二人の仲は急速に深まっていく・・・


映画「象の背中」でも主人公がガンの宣告を受けて、わだかまりの残ったままの旧友に会いに行く場面があるし、突然初恋の女性に会いにいったりもする。
人は限りある時間を告げられたとき、それを惜しんで後悔のしない生き方を選ぶのであろうか。いやしくもきらきらときらめく思い出との齟齬に失望しようとも、命燃え尽きるまで自分の空洞を満たそうと奮い立つのかもしれない。

山ン本五郎左衛門

2010-12-15 16:48:14 | 漫画

 

水木しげる先生の守護霊は、幼い頃たくさんのお化けの話をしてくれた「のんのんばあ」です。

そして背後霊は『月よりの使者』。

指導霊が「山ン本五郎左衛門」だそうです。

「山ン本五郎左衛門」とはいかなる人物でしょうか。

備後の国に稲生平太郎という気丈で剛毅な若者がおりました。

ある晩に隣に住む権八という力自慢と百物語を語り合ってから比熊山のたたり石に

印をして帰るというとんでもない約束をしたのです。

くじ引きで負けた平太郎が雷のとどろく豪雨の中、蓑笠姿で比熊山に向かい

たたり石に石で傷をつけてしまいました。

その日から平太郎宅には、様々な怪奇現象や魑魅魍魎の類が跋扈するようになりました。

友人や、腕の立つ人が夜一緒に泊まり成敗しようとしても

それらの幻術や奇妙な現象に恐れをなし、すぐさま逃げ帰ってしまう始末。

けれど最後まで気丈に戦った平太郎の前に姿を現したのは

人をおどかすことを生業とする魔王「山ン本(さんもと)五郎左衛門」でした。

この親玉が多くの妖怪を操り怪奇現象を演じてきたのでした。

よく頑張って戦った平太郎に褒美として山ン本五郎左衛門は悪妖怪の通力を封じる

小槌を渡したのでした。

平太郎は江戸で「妖怪大戦争」の話をして大評判になり、寛政九年(1798年)

平太郎は「妖怪と戦った武士」として江戸で大ブームをまきおこしました。

そして妖怪研究家の平田篤胤が「稲生物怪録」として書き残しました。

                          「 水木しげる ・木槌の誘い」より


ドラえもんの開発者はのびた説

2010-04-23 10:12:56 | 漫画
漫画「ドラえもん」には、藤子・F・不二雄氏によらない、「ドラえもんの開発者はのびた説」という最終話が実在します。

これは当時太陽電池の研究をしていたひとりのドラえもんファンが作成したオリジナルストーリーです。

著作権問題にまで発展した曰く付きの作品ですが、個人的にはなかなか優れていると思います。


ある日突然ドラえもんが動かなくなってしまった。未来の世界からドラミを呼んで原因を調べたところ、バッテリー切れが原因だと分かった。しかし、旧式のネコ型ロボット(この場合はドラえもん)のバックアップ用記憶メモリーは耳に内蔵されており、ドラえもんは耳を失っていたため、バッテリーを交換してしまえば、のび太と過ごした日々を完全に忘却(リセット、すなわち消去)されてしまうことが分かった。バックアップを取ろうにも方法が分からず、開発者を呼ぼうとするも設計開発者の情報は訳あって絶対に開示されない超重要機密事項となっていた。
のび太は迷いの末、とりあえずドラえもんを押入れにしまい込み、皆には「ドラえもんは未来へ帰った」と説明したが、ドラえもんのいない生活に耐えられず、猛勉強をしてトップクラスのロボット工学者に成長する。工学者になってからしずかと結婚したのび太は、ある日妻となったしずかの目の前で、努力の末に記憶メモリーを維持したままで修理完了したドラえもんのスイッチを入れる。
ドラえもんがいつものように「のび太君、宿題終わったのかい?」と言い復活する。ドラえもんの製作者が明かされていなかったのは、開発者がのび太自身のためであった。
(wikipediaより)

http://www.nurs.or.jp/~ike/final_dora.htm




水木しげる テレビくん

2009-03-08 22:09:35 | 漫画


漫画家水木しげる氏の初期の作品「テレビくん」です。
講談社児童漫画賞を受賞しました。ほのぼのとして大好きな作品です。



なんと少年がテレビの中に住み着いて、コマーシャルで流れる食べ物を平らげてしまうのです。


テレビくんはとうとう友達に正体を見破られてしまうのです。


チャンネルを変えるのが好きだったテレビくんはブラウン管にたまごを誕生させ、孵化したコビトによってテレビの中に入って暮らす方法を伝授されます。

現実には決してありえない話を夢のある魔法のような話にこしらえ、あまねく人々に行き渡らせることができる水木氏はまさに天才の称号がふさわしいのではないでしょうか。

巨人の星

2008-06-29 23:55:44 | 漫画

昔、漫画で見て、アニメで楽しんだスポ根漫画「巨人の星」です。
図は星飛雄馬のひとりキャッチボールのシーンです。
いくらスパルタ教育を受けた飛雄馬にしても、穴を通すことは可能でも、木に当たってそのボールが同じ穴から戻ってくるのは不可能でしょう。
しかし子どもながらにすごく感動した覚えがあります。
漫画コラムニストの夏目房之介は
「ある種のケレン味、マンガだからできるハッタリの楽しさ、面白さだと思う。」
と語っています。

大リーグボールには魅せられました。特に2号の消える魔球は絶対打たれるわけないと思っていたのにライバルたちに攻略されるわけです。
特訓→新しい技の完成→対決→決着→次の展開
以上の図式が繰り返され、我々には「努力が至上の美徳、努力、根性は報われる」とこのマンガを通して教えられました。

赤塚不二夫氏のトキワ荘物語

2008-02-01 13:51:31 | 漫画
 昭和40年9月5日発行の少年サンデーに連載された「おそ松くん」です。ちび太、イヤミ、デカパンなど個性的なキャラクターばかりでしたよね。
 この作品で時の人になった赤塚不二夫氏ですが、若かりし頃、トキワ荘で仲間とともに研鑽した時代がありました。故石ノ森章太郎氏も彼の友人のひとりで、赤塚氏がデビューしたての頃、一生懸命漫画のストーリーを聞いてくれて、アドバイスもしてあげていました。
 お互いに貧乏で、風呂代がないために炊事場に水をためて汗を流したこともあったそうです。昭和31年にトキワ荘に入り、藤子不二雄氏や寺田氏また大御所の手塚治虫とも知己になって青春時代をすごしたようです。

マグマ大使

2007-11-07 21:15:21 | 漫画
 懐かしの特撮ヒーローマグマ大使です。昭和41年7月4日号の週間サンケイから撮りました。わたくし自身マグマ大使よりも宇宙から来襲した魔王「ゴア」が好きでした。肩についている円錐形の突起(角?)が特徴的で、子ども好きという点も憎めない存在でした。江木俊夫がまもる少年役で、父親を岡田真澄が演じていましたよね。
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