僕の感性

詩、映画、古書、薀蓄などを感性の赴くまま紹介します。

芥川龍之介の未発表書簡発見さる

2011-05-20 15:48:26 | 文学


芥川龍之介(1892~1927)の未発表の手紙とはがきが、岡山県倉敷市が所蔵する資料から見つかった。倉敷市出身の詩人で、大阪毎日新聞(現毎日新聞)学芸部長を務めた薄田泣菫(すすきだ・きゅうきん)(1877~1945)に宛てた書簡。泣菫の遺族から同市に寄贈された遺品の中にあった。

 手紙は濃いピンクの封筒に入れられ、大正8(1919)年5月23日の消印がある。「大阪朝日の披露会は菊池及(および)僕を招待せず恐らく商売仇(かたき)のせいでせう」などと述べている。泣菫は当時、新進作家だった龍之介や菊池寛を積極的に社員として採用していた。大阪毎日のライバル紙の大阪朝日新聞(現朝日新聞)が文芸関係者を集めたパーティーに招待されなかったことについて、龍之介は「招待された顔ぶれをみると柳沢(朝日の文芸担当)の友だちが多いので一笑しました」と皮肉を記している。

 はがきは大正10(1921)年10月21日の消印で、養生のために訪れていた神奈川県の湯河原から投函(とうかん)されている。「腹下しはやつととまりましたが神経衰弱は中々なほりません」などとあり、後の龍之介の自殺につながる心身の衰弱ぶりがうかがえる。
(毎日新聞)


春の味覚

2011-05-18 17:10:25 | 食べ物
日曜日に採ったコシアブラやタラの芽の天ぷらを食した。

左がコシアブラ、右がタラの芽


実家から貰った独活も天ぷらにした。






蕎麦と一緒に食べたらすこぶる美味しかった。


そうそう! イタドリの天ぷらが酸っぱくてなかなか面白い味だった。

うつむきがちな花

2011-05-18 16:54:28 | 
Hさんの庭に咲くちょっとうなだれた花たち。


満天星躑躅(ドウダンツツジ)



寄り添って咲く逆さまの小さなベルたち

ベニサラサドウダン


ご存知鈴蘭




アマドコロの園芸種?


苧環(オダマキ)



気分を変えて山ツツジ



目立たないニシキギの花

秋には紅葉がすばらしい!


一本の菜の花でお終い

未来の自分は?

2011-05-16 15:59:40 | たわごと
今日はとても暑い日だった。室温で28℃もある。

もうgooブログを始めてから4年3ヶ月の月日が経過した。

2007年2月18日が開始日だ。
当時は、あれも書きたい、これも書きたいとネタも泉のごとく滾々と湧き出てきたものだ。
映画ネタ、薀蓄ネタ、文学ネタ、草花ネタ、晩御飯ネタ、卓球ネタ・・・

自分の場合、趣味も偏りがちだが多岐に渡り、一つのネタに固執するのが嫌だった。

或いは知識が狭小なので、一つのジャンルだけだと、途端に行き詰ってしまうというのが真実に違いない。


最近、昔ほど何をやっても夢中になったり感動する機会が少なくなってきた。

OH! これではいけない!自分自身に気持ちが入っていないと、相手にも伝わらないことを良く知っているからだ。

先日、YAHOOの記事を見ていて、笑うことが色んな良い面を引き出すことが滔滔と述べられていた。
卒業写真の中の自分が笑っている人は、何年か後に幸せな結婚が出来き、家庭も円満になるらしい。

また、健康面も上々で長生きも出来るそうだ。



私の高校時代の卒業アルバムを思い出してみた。

確かしかめっ面してたな~

大丈夫だろうか・・・僕の感性は!?

春を満喫

2011-05-15 17:40:34 | 
今年も山菜採りに行くことにした。
朝4時半起床、上山のKさん宅に車を走らせ5時半到着。

Kさんと合流し、去年と同じ古屋敷方面へと向かう。

狙いはコシアブラとあいこ(ミヤマイラクサ)。

早速、山林に駐車し、コシアブラの樹を目指し、藪を分け入っていく。

山の中腹にて待望のコシアブラの樹を発見。




木肌が青白くスベスベしている。枝がU字型や二股になっており樹がよくしなるのが特徴だ。
去年はKさん任せだったが、今年は運よく私も3本見つけることが出来た。






枝に着く若葉を採取する。


山を下りて、小さい川のそばで朝食兼昼食を摂る。




登山ストーブで湯を沸かし、ラーメンを煮る。

中には傍で採取した、ヤブカンゾウと蕗とミズを入れる。





野趣あふれる味である。



早朝起きて、妻が作ってくれたタケノコごはんのおにぎりとたらこのおにぎりも一緒にほおばる。




一息ついたので今度は杉林の山でアイコ(ミヤマイラクサ)を採る。
表面に棘棘があり、紫蘇の葉に似た植物だ。
大量に採り、山を下りる。道すがらアケビの芽と花を採取する。
Kさんに言わせると、これのお浸しで日本酒をキュっとやるとたまらんらしい。

今年も萱滝に寄って少々休憩した。






傍に咲く山桜も綺麗だった。




スミレとKさん




途中、古屋敷の萱葺きの家を写真に収める。







収穫したもの
左からタラの芽、コシアブラ、イタドリ、カンゾウ、アイコ


コシアブラ


アイコ

以上、老骨に鞭打って頑張りました!

櫻の樹の下には

2011-05-14 15:28:51 | 
先日、Eさんのもとを訪ねたとき、玄関先にライラックの枝を挿した花瓶に眼が留まったので、「美しくも芳しい花ですよね。姿かたちがまるでヒヤシンスを逆さにしたようだ。」と世辞の一つを言った。
Eさんの奥様は、花を好きな人は心が綺麗なんですよねと私を褒めた。

その時、急に梶井基次郎の「櫻の樹の下には」の一節が浮かんだ。


「しかし、昨日、一昨日、俺の心をひどく陰気にしたものもそれなのだ。俺にはその美しさがなにか信じられないもののやうな気がした。俺は反対に不安になり、憂欝になり、空虚な気持になつた。しかし、俺はいまやつとわかつた。
 お前、この爛漫と咲き乱れてゐる桜の樹の下へ、一つ一つ屍体が埋まつてゐると想像して見るがいい。何が俺をそんなに不安にしてゐたかがお前には納得が行くだらう。」

この文章の後には、薄羽かげろうの生命への賛美と水溜りに浮かぶ何万匹もの薄羽かげろうの死体への安堵が同じ視点で描かれている。

作者は満開の桜に代表される美しい情景の直視に堪えられず、それに死という負のイメージを重ねることで心の均衡を得たのだろう。
孤独と寂寥をテーマ書き続けた梶井らしい作品である。

西行法師は

願わくば 花のもとにて春死なん そのきさらぎの 望月のころ
と詠った。

確かに日本人が昔から愛してやまない桜には、美しさを感じるのは勿論だが
死や寂寥感が迫ってきて、胸が苦しくなるのも事実だ。

詭弁

2011-05-13 18:11:59 | ことば
ある学生がカンニングを見つかって、こう開き直った。

「他にもやっている人がある。要領よくやっているのが得をして、たまたま見つかったものが損をするのですか」。

これに教師は次のように答えた。

「他にやっているというが、見たことがあるかね。噂しているほど、実際はやっていないと思う。かりに、監督の眼をのがれてうまくやった者があるからといって、君自身の責任がまぬがれるわけではない」。

この教師の返答は正しいだろうか。
実は、最悪の答え方で、この場合、次のように言い返すべきなのだ。

「それは、君自身のことだ。カンニングをして、労せずに好成績を得るのを『要領よいのが得をしている』と言うんだ。君はそうやろうとして、たまたま失敗しただけだ。他人事のように言うんじゃない」


このケースには学生の詐術があらわになっている。
「要領よくやっているもの」と「たまたま見つかった者」が対比されているため、「たまたま見つかった者」は要領がよくないように錯覚されだちだが、実際はそうではない。
試験勉強をせずに、カンニングで好成績を得ようとする者はそもそも「要領よくやっている者」なのだ。
「得をする」「損をする」という対比もおかしく、カンニングを発見された者が、学則に従って処罰されるのは当然の報いなのであって、別に「損をする」わけではないのだ。



                       レトリックと詭弁(香西秀信)

とんでもない

2011-05-12 16:42:11 | ことば
とんでもないとはどういう意味で語源はなんでしょうか? またいったい何がないのでしょうか?

スーパーマンのキャッチコピーに

空を見ろ! 鳥だ!飛行機だ! 豚だ!いや、豚(トン)でもない!スーパンマンだ!という台詞がありますが(嘘です)
豚(トン)でもない・・・の使い方は誤りです。



宮崎駿アニメの「紅の豚」の中で、

「飛べない豚はただの豚だ」という台詞が出てきます。
そこで「飛んでもない」という表記が正解なのでしょうか?




いえいえこれも間違いで、「とんでもない」は途でもないという言葉が変化したのです。

は、「道」や「道程」の意味のほか
「手段」や「物事の道理、筋道」といった意味も含む語で、とんでもないは、「常識から外れている」、「思ってもみない」、「滅相もない」などの意味になります。


よく、「ありがとうございます」とか「すごいですね!」と言われた人が

「とんでもございません」と返す場面に遭遇しますが、これは間違いです。

「とんでもない」は「危ない」や「汚い」や「はしたない」や「みっともない」と同じ「ない」を含む形容詞で、ひとつの言葉なので、

連用形にかえて、「とんでものうございます」とするのが本当です。

けれどこの使い方は古びた言い方なので、「とんでもないことでございます」とするのが一般的でしょう。
それでも抵抗があるならば、「どういたしまして」とか違う表現にしましょう。


600通のラブレター

2011-05-11 16:08:11 | テレビ番組
5月5日放送の奇跡体験!アンビリーバボーを観た。
山形市在住の斉藤志直さんと妻るりさんとの純粋な愛がテーマだった。
彼自身、体験を「600通のラブレター」という本として上梓している。

14歳の時、志直さんは、中2コースの文通欄をとおして高知県のるりさんと文通を始める。

高校2年の時、志直さんはアルバイトをして貯めたお金でるりさんに会いに行く。
4日間のデートであったが、志直さんにとっては夢のような毎日だった。二人は次第に惹かれあっていく。


けれどるりさんが徳島の短大に進学し、志直さんが高校を留年した頃から二人の間の歯車が狂い始める。
「今の志直君の心がつかめないし、わかりません。今の志直君は雲のようです。」
そして文通も途絶えがちになり、るりさんはダンスパーティで知り合った男性のことを手紙で知らせるのであった。
「るり、俺はるりの手紙をどのように受け取ったらいいのだろうか?ずいぶん長い間待っていた手紙なのに俺にはずいぶん悲しいものになってしまった」
「二人の心がずんずん離れていくのをなぜ見ていられるでしょう。愛されなくてもいいから愛したいのです。いつか偶然お会いすることもあるでしょう。その日までお元気でありますように。さようなら。」
文通で育まれた二人の恋は5年目で終わりを迎えた。



けれど志直さんが大学に合格した後、辛抱たまらず徳島へと旅立つのだった。
不慮の事故で船が3時間遅れたがるりさんはしっかり待っていた。
「君と会いたい。肩を寄せて歩いている君と僕。そんなことを夢見ている。」
二人の関係は、友達のような恋人から、心から愛する人へと変わっていった。

けれどるりさんの母は長男で山形に住む志直さんとの結婚を許す気はなかった。
るりさんには次々と見合いの話が持ち込まれた。しかも県庁職員や教師など将来性のある相手が多く、大学生の志直さんは気後れするばかりだった。そんな状況に耐え切れなくなった志直さんはついに一つの決断をする。

「君とはやはり本当に別れようと思います。許してくれとも分かってくれとも言いません。僕はこれで完全に心を閉じることにしました。」



3年の月日が流れ、1975年志直さんは大学を卒業し、地元の銀行に就職。朝から晩まで必死に働く日々を送っていた。
そんな時・・・るりさんが突然訪ねてきた。
北海道旅行の帰りに山形に立ち寄ったが、帰ったらお見合いをして結婚する予定だと言う。
翌朝、るりさんと別れた後、走馬灯のようにるりさんとの事が思い出され、志直さんは駅までるりさんを追いかけていき、プロポーズしたのであった。
その後、強硬に反対するるりさんの母を二人で説得、2週間後結婚の許しを貰った。
そして1976年3月二人は結婚式を挙げた。


結婚から28年後、るりさんは体調をくずし、病院で検査の末ガンが見つかった。一時快復し退院したがまもなく再発。すでに体中ガンに蝕まれていた。

2003年11月8日朝、るりさんは眠るように息をひきとった。


1000キロの距離を乗り越え、交わされた600通もの手紙。
その中で二人は出会い、別れ、愛し合った。
11年の時を経て、二人が結ばれたとき手紙はもういらなかった。




やや志直さんは優柔不断なところがあって少々やきもきしたが、中学生の頃からの文通をきっかけに、様々な試練にも打ち勝って結婚できたのは本当にすばらしいことだと思った。
何十年も同じ人を慕い続けることはそんなに生やさしいことではないだろう。

私など、高校時代文通をした女性がいたが、たった10通で終焉を迎えた。
続けること、愛し愛されることの難しさをいま痛切に思う。

天麩羅には何をつける?

2011-05-10 16:56:01 | 食べ物
昨日の夕食は天麩羅がメインでした。
ホタテの天麩羅、玉ねぎと若布混合の天麩羅そして独活の天麩羅。
季節柄、独活の天麩羅が瑞々しくて、最も美味しく感じられました。

ところであなたのお家、乃至、地域では何をつけて天麩羅を召し上がるのでしょうか?

私の家では醤油か天つゆ、まれに塩で食べます。

ところが、西日本では、ウスターソースにつけて食べるというじゃありませんか。
野瀬泰申(のぜやすのぶ)氏の書物のデータによると、沖縄、高知、福井、鳥取、鹿児島、愛媛、奈良、徳島、大阪の半数以上の人が「ソースで天ぷら」的人生を送っているらしいのです。

逆に福島、岩手、山形、山梨の各県は「天ぷらにソースなんてかけない」というものでした。

ソースをかければ素材そのものの味がよくわからず、天つゆのほうが素材本来の味を楽しめるように思えます。

けれど、お好み焼きや串かつをよく召し上がる関西の人にとってウスターソースは食べ物と切っては切れない関係なのでしょう。

因みに私はケチャップやマヨネーズもあまり摂取しません。
目玉焼きには醤油、五月菜などの野菜には紫蘇ドレッシングやポン酢をかけて食べます。

子どもの時戯れにカレーライスにソースをかけて食べたときがありますが、今は何もかけません。
あ~そうそうご飯に牛乳をかけて食べるのは大好きです。

まとまりのない文章になってしまいました。