♪古いアルバムめくり ありがとうってつぶやいた~♪
昨夜、BSでヘミングウェイの「誰がために鐘は鳴る」という
懐かしい古い映画がありました。
若き日のゲーリー・クーパーや、イングリッド・バーグマン
…残念ながら途中で眠ってしまいましたが。
ゲーリー・クーパーといえば、
「父ちゃんとそっくり!」といい続けていた母の事です。
連想が次々と…
押入れの中から、古い写真を取り出し
ケイタイでパチパチと。
では、発表~
和製、熊本産のゲーリー・クーパー。
似てないことは無い…
「背も高かったし、父ちゃんが街を歩けば女が皆振り返った」
と母の自慢??ずいぶん聞かされました。
悲しいことには、昭和22年9月、亡くなりました。
享年39歳…思い残しは多かったでしょう。
長女(私)12歳、長男8歳、次女4歳、母も32歳でしたから。
何とか生きてきました。
母の元気な頃の写真。
よう肥えていますナ。60代だと思います。
この母も70歳の誕生月に亡くなりました。
今の私より6歳も若かったんだな~と、今更ながら感慨ひとしおです。
お母さんがご自慢なだけはある。きりりとしていて、清潔感溢れ、私の好みにぴったり。いまどきの薄っぺらなイケメンとは訳が違う。
本物の美男子です。
お母さんの若いころのも見せてください。お母さんが草葉の陰で、なんで私だけ老けたの出すねん、と怒ってらっしゃいますよ。
時代が時代ですからね。
小さい私と写っているのが、明日出ます。
夫婦が若くて死別すると、あの世でもめぐり合えないかもね。
早く死んだ方が、見つけられないよ。
こんなばぁさん(じいさん)知らな~い、って。
ありませんね。
出征されてご苦労なさったことでしょう。
戦後もきびしい時代がつづきましたから、、、
あまりにも惜しい命でしたね。
お父様、美男子ですね。お母様の
自慢する気持分かります。
残されたお母様もご苦労なさったことでしょう。60代の時ですか?若々しいくきれいです。
日本だと二谷英明さんにも似ている感じです。
お母様は、うめぼしカルメン様にそっくりです。
お二人の良いとこどりをされましたね。
でも、ご苦労なさったでしょうね。
私は、父が最後の孫である私の娘の誕生の年に他界しましたが、病弱な父を支えながら
4人の子供を女手で育ててくれた母を末っ子
の目線で見つめていました。
うめぼしカルメン様と同じく、母が大好きでした。
母の胸に顔をうずめて眠る特権が末っ子には
あり、母の胸の匂いが好きでした。
煎餅蒲団で冷たい足を自分のももの間に挟んで
温めてくれました。
今の時代では想像もつかない貧しい生活でしたが、悲壮感は子供にはないものですね。
熊本の土を踏んで亡くなったのが、慰めでした。
結核菌に食べつくされて、もう声も出ませんでした。
1年半頑張りましたが、やせ細って死にました。母は懸命に着物を売りつくして、栄養を付けるものを食べさせていました。
その後の苦労がまた…
末っ子は、上の子より早く親と別れますが、くっついている時間は確かに長いです。
ほんとあの頃の布団は薄くて冷たかった…
そうですね、貧乏は皆がそうでしたから、あまり気になりませんでした。
親はきつかったと思いますが…
寒かった、ひもじかった、不潔だった、等々
今の人には通じませんばい。