今日も降ったり止んだりの、芳しくないお天気です。
熊本の水害のニュースが轟いて、皆様からご心配や
お見舞いの言葉を頂き、有り難いことだと感謝いたしております。
白川は、熊本市内を貫く1級河川で、源を阿蘇台地としています。
常は大暴れをすることなく穏やかな流れですが、
阿蘇方面に大雨が降ると、
一気に流れ下って熊本市内を水浸しにします。
思い起こせば59年前、昭和28年7月26日のことでしたが
未曾有の大水害がありました。
私は開店して1年目の鶴屋デパートに就職していました。
7月25日、開店の祝賀式典があり、もうその日から凄い雨降りでした。
至るところで、出水していて、ぐるぐると水に浸かっていない道を探して
ようやく家に帰り着きました。
翌26日、白川が氾濫して、熊本市内中心部が1階屋根まで浸かる
大水害に至るわけですが、私が出社できたのは、それから三日目のこと。
どちらへ向かっても、道は水没、高台の道はがけ崩れと、
不通したが、何とか行けないかと、電車の駅で立っていたら、
キャンプ・ウッドから大きなトラックが来て、
街へ行くなら乗せてあげますと日本人のドライバーから
声を掛けられて、乗せてもらい鶴屋へ着きました。
途中は、大きなトラックが半分水に浸かりながらの進行でしたが
どこまで行っても水の切れ目がなく、船か?の感じでした。
と、まぁまぁまぁ~言語を絶する状態でした。
デパートは、1階は人の背丈以上に、水が来て壁にくっきりと跡があり
地階は当然まだ水没状態、商品の衣類を地階にたまった水で洗って
屋上に干すという、今考えると原始的な仕事でした。
それを水没商品として、売り出したのですから、まだまだ物不足の時代…
終戦からまだ8年目ですからね。
数日泊り込みで、そんな仕事をしました。
鶴屋の前が電車通りになっていますが、白川からの水に流されて
「たすけて~」と言いながら何人も流されて行ったと、見ていた人から聞かされました。
その後も大変な状態が…
阿蘇から流れて来た水には、ヨナといって火山灰が含まれていました。
水は時間とともに引いても、ヨナ交じりの泥が残され
水害の家から出された家具とともに、道の真ん中に山積みされて
今のような重機もなく、人手に頼る作業ではいつまでも取り残され
悪臭とホコリが酷かったです。数ヶ月そんな状態だったと思います。
忘れかけた経験でしたが、今回気象庁から出された警告が
「いままで経験したことのない降雨の量」とか
「50年に一度の猛烈な雨」とか聞いて
59年も前になってしまった感慨とともに、思い出してしまいました。
長い間に、河川改修が進んで、水没常習地帯も少なくなりました。
雨が止むとウソのように水位が下がります。
記憶ではS28年の時が雨が酷かったように思いますが
今回は阿蘇方面のがけ崩れが、多くの人命を奪いました。
とにかく、自然は、恵み多く有り難いものだけど、
時として人の及ぶことのできない大きな力でねじ伏せられます。
人はもくもくとしてまた一から積み上げる作業をします。
大昔から続けられてきた営みなのでしょうか。