昨日遅く写真の発送を終え、
皆さんが喜んで見てくださるだろうか
それが気になっている私です。
私の同窓会も、懐かしく昔に返って○○ちゃんと
呼び合うのですが、
オットの幼馴染もシュウチャン、ケンチャン、と
76歳になっても、同じであり…
オットに声を掛ける人がいて
「小さいときと同じ顔してるね」と…
同じわけないじゃん…と脇で私は思うものですが
きっと昔の顔を思い出し、重なったのでしょう。
年を取るほどに友は懐かしい…これってなんでしょうね。
社会の中で闘い、子育てや一番大変であった頃のこと、
この中心がスッポリと完全に抜け落ちて
子どもの頃から~老いの現在に繋がっているのが
おかしいです。
難しいことや、頭を悩ませたもろもろは
思い出したくないので、都合よく忘れる、もしくは、
忘れたつもりなのでしょう。
今日、楽しく笑っても、明日はどうであろうか、
「今度」は本当にあるのだろうか、
老いてくると、言葉にはしなくとも
皆が感じとっているのです。
でも…
「また会おうね」。
そう言いながらお別れしたのでした。
皆さんが喜んで見てくださるだろうか
それが気になっている私です。
私の同窓会も、懐かしく昔に返って○○ちゃんと
呼び合うのですが、
オットの幼馴染もシュウチャン、ケンチャン、と
76歳になっても、同じであり…
オットに声を掛ける人がいて
「小さいときと同じ顔してるね」と…
同じわけないじゃん…と脇で私は思うものですが
きっと昔の顔を思い出し、重なったのでしょう。
年を取るほどに友は懐かしい…これってなんでしょうね。
社会の中で闘い、子育てや一番大変であった頃のこと、
この中心がスッポリと完全に抜け落ちて
子どもの頃から~老いの現在に繋がっているのが
おかしいです。
難しいことや、頭を悩ませたもろもろは
思い出したくないので、都合よく忘れる、もしくは、
忘れたつもりなのでしょう。
今日、楽しく笑っても、明日はどうであろうか、
「今度」は本当にあるのだろうか、
老いてくると、言葉にはしなくとも
皆が感じとっているのです。
でも…
「また会おうね」。
そう言いながらお別れしたのでした。