昨夜は中学時代のクラス会に出席しました。
総員13名に先生がおひとり…
先生は、私たちが初めての担任であり、年齢が6歳しか年上でないのです。
現在83歳、毎日江津湖のほとりを、1時間半歩かれるそうで、
腰は少し曲がっていられましたが、矍鑠たるお姿でした。
私がパソコンを始めたのは65歳のこのクラス会で、
先生から「もしパソコンを始めるのなら、3ヶ月でも1ヶ月でも早く始めなさいと」
強く勧められたからでした。それが出発でした。
昨夜もビデオを回されてそれぞれの姿をおさめていられましたので、
編集の後DVDが送られてくるのでしょう。若い私たちが敵いません。
あと13名がクラス会に出席できることは幸せです、と口々に。
喜寿を祝って、と詩吟を披露する友の美声から始まって、
大昔のこと63年前のことを、昨日のことのように話す特技の友があり、
DYIに凝って大作を自慢する友あり、
救急病院に運ばれながら奇跡のように元気に立ち直った友、
ご主人を昨年亡くされまだ想いが色濃く残る友、
介護とパソコンで悲喜を味わう友(笑、これは私)
ともあれ2時間はあっという間、二次会のカラオケに出かけましたが、
私は例のごとく家で待つオットの元へと戻りました。
また次回の幹事を続けて引き受けてくれた友に感謝し、
また元気で集まろうと合言葉を掲げ、再会を約束したのでした。
終戦後の未だ治まらない世情のなか、何にもナイナイの時代、
粗末な机や割れたガラス窓の教室、
着ている服も満足なものではなかったけど、気持ちは今の若者同様だった…(かな?)
私は希望に燃えた…という気持ちは希薄でした。
どうなるのだろうか?不安と投げやりな気持ちが大きかったと思います。
6年生の時父が戦病死して、
母の収入で三人の子養うと状態の時、
先を見据える余裕はありませんでした。
いつも母の相談役で、背伸びして頭でっかちの子どもだったように思います。
幸、不幸を併せた暮らしながら、もはや最終章に入りました。
今後のことは不明ながら元気でポックリを目指します。
クラス会から話があっちこっちへさ迷いましたが、私の思い出の一部です。
長文お読みくださってありがとうございました。