初めて知る高齢という現実

最近、弱ってきたオット82歳。
何とか二人で明るく過ごしたいとあがく毎日を記録します。
だんだんグチに移行?

・肺がんの手術

2006年11月30日 08時40分54秒 | 社会や私の日々のこと
義妹H子さんの手術、無事終わりました。

個室に戻るのは3時ごろと聞いていましたが、それより早く戻っていました。
手術時間も、すべて予定より早くスムーズに運んだようです。
私たちが、着いたときは麻酔も覚めかかっていて、
おぼろながら口も利けていました。

数時間居りましたが、帰る頃は笑顔や冗談も出る元気さで
すべて順調であったと思いました。
執刀の先生も、
「悪いところは全部取れました。この手術における後の5年は保証します」
と言って下さったそうです。

がん、がんと悪いことばかり聞き、
ついに死に至る…としかとらえていませんでしたが、
初期であれば、手術でとってしまえる部分であれば、
昔の盲腸よりカンタンな感じで、医学の進歩を
目の当たりにしました。

息子夫婦二組と旦那さんに見守られ、麻酔が覚めかかった中で
「こんなにして貰って、私は幸せよ」と
感謝していました。

早期発見が一番とか大事であるとか、よく聞いていましたが
まったくそうである。と思います。

11月が誕生月の私は、毎年11月に血液検査を受けることにしています。
今年は、今日受けに行きます。結果は多分来週と思いますが
いい結果を報告したいものです。


・道頓堀の雨に別れて以来なり

2006年11月29日 12時59分23秒 | 読んだ本のこと
久しくupしていない本の話。

寝るときはずーと、読んでいるんですよ、これでも。

いまNHKの連続小説「芋たこなんきん」の原作者田辺聖子さんの本で、
大阪生まれの川柳作家、岸本水府さんの生涯を書いた
「道頓堀の雨に別れて以来なり」を借りて読みました。

聖子さんは川柳大好きで、水府に心酔し、生き様について
細かく記録というか足跡を掘り起こし、
川柳を文学と捉えて書いておられます。

もちろんそれは水府さんの願うところであり、目指すものです。
川柳といえば、古川柳が一般的に人の頭にはいり込んでおり、
上品さに欠けたいやらしさが普通と思われていた時代、
愛とユーモァと品位を持つ、文学までに
川柳を引き揚げるのは容易ではなかったのです。
「番傘」という雑誌を発行し続けて多くの川柳作家を育てました。


私はドアホなもんで、上巻のつもりで借りて読み始めてから
これは下巻だと分かりました。
仕方ないので、上巻は飛ばしました。

今度借りるチャンスがあれば、逆になりますが
上巻を読みます。

昨夜読み終えたのが藤沢周平さんの「漆の実のみのる国」です。
これについてはまた書きます。






・肺がんの宣告

2006年11月28日 09時11分25秒 | 社会や私の日々のこと
オットの妹が肺がんと判明し、今日入院します。
突然、(病気がハッキリするときは大抵突然だと思いますが)

お医者さんから「肺がんです」と告げられたら、
どう考えていいか分かりませんよね。

最初は、吐き気と腹痛でした。
ほうほうの体で、近所の病院にたどりつき、調べてもらったら
「胆石」と分かり手術のために、大きい病院を紹介され
そこでまた更に検査。
そこで肺にがんがあると判明した訳です。

それで検査検査を繰り返したのですが、幸運なことに
「1-A」というがんとしては、軽度ということで
本人始め、一同胸を撫で下ろしました。

手術も、切り開いたりせずに、内視鏡手術で
悪いところが取れるそうです。
入院も一週間ですむそうです。

いろいろ考えさせられました。

ご本人はとても元気で過ごしてきており、
今まで病気とは無縁の生活でした。

降って湧いた「がん」宣告。

この義妹の性格は私は大好きです。
いつも前向きで、明るく、物事を真正面からとらえ
うじうじせずに、すっきり!したひとです。

「私でも、夜輝く月を見て『助けてください』と
手をあわせたよ」とのこと。
さもありなん。

最初から、めげた事は一言も言わず、
励ますつもりのこちらが励まされる会話で
どれだけこちらの気持ちが安らかだったことか…

勉強させてもらいました。

「えらいひと」というのはこういう人を言います。

明日、その内視鏡による手術があります。
無事終わり、一週間後のニコニコ退院を信じています。



・久しぶりのプール

2006年11月27日 14時22分09秒 | いざ、プールへ
太平洋側は大雨だそうですが、熊本はどうでしょう。
降り出したらよく降りますね。

今日は久しぶりにプールへ出掛けます。
20日ぶり…
もうヘロヘロではないでしょうか。
いや、案外元気だったりして…

結果はまた帰宅してupしたいと思います。



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ただいま、2時過ぎ、
プールから戻り、遅い昼食を片付けたところです。

プールはやさしく迎えてくれました。

暖かい水の肌触り、
リズムを崩さず付いていけるか
心配だった水中エアロも、軽々とこなせたし
ウオーキングも30分、
そのあとバタフライのレッスンを30分
いい汗かきました。

やっぱ運動はするもんです。
疲れるどころか、元気を取り戻しました。

さて、これからも休まず行こう!
と、激思いました。

フフフ…




・シェップアップスライダー

2006年11月26日 17時10分14秒 | 社会や私の日々のこと
鍛える!
なにを?


体より心を鍛える道具はないものでしょうか?

実は、体を鍛えれば、心も付いてくるものなのです。
体がきついな~と思ったとき、10分歩くとスカッとします。

その外歩きが面倒なときのために、或いは雨で歩けない時のために
「エアロバイク」も買いました。

この「シェイップアップスライダー」も
これも腹筋や背筋に効いて、ムダニクが減る…
信じて買いました。ずい分以前のことですが。

で…

当然買っただけでは、ドモなりません。
使わにゃぁ~。

これ効くんだろうと思います。
1回すると、ウデ、ハラ痛くて
2~3日は出来ませんのですよ。

だから、そのあと続ければ、アチコチずい分ホッソリなってた…


ハズなんですが、
「三日坊主」とはワタシの別名で。

効果を自分で確認して、コレ効きます!と
ご報告できないナサケナイ人間です。



お天気持ち直したようですね。










・老いの気持ち

2006年11月25日 09時40分57秒 | 「カササギ会」旅行記
昨日遅く写真の発送を終え、
皆さんが喜んで見てくださるだろうか
それが気になっている私です。

私の同窓会も、懐かしく昔に返って○○ちゃんと
呼び合うのですが、

オットの幼馴染もシュウチャン、ケンチャン、と
76歳になっても、同じであり…

オットに声を掛ける人がいて
「小さいときと同じ顔してるね」と…

同じわけないじゃん…と脇で私は思うものですが
きっと昔の顔を思い出し、重なったのでしょう。

年を取るほどに友は懐かしい…これってなんでしょうね。

社会の中で闘い、子育てや一番大変であった頃のこと、
この中心がスッポリと完全に抜け落ちて
子どもの頃から~老いの現在に繋がっているのが
おかしいです。

難しいことや、頭を悩ませたもろもろは
思い出したくないので、都合よく忘れる、もしくは、
忘れたつもりなのでしょう。


今日、楽しく笑っても、明日はどうであろうか、

「今度」は本当にあるのだろうか、

老いてくると、言葉にはしなくとも
皆が感じとっているのです。

でも…



「また会おうね」。

そう言いながらお別れしたのでした。




・「カササギ会」旅行記 6

2006年11月24日 10時28分05秒 | 「カササギ会」旅行記

すごいでしょ!逆さの写真じゃないよ。池に映ったお城。


最後にAさんの車で、湖東三山といわれるお寺
西明寺、金剛輪寺、百済時にお参りしました.
紅葉が真っ盛りでした。青空だったら、どんなにか…


手前の紅葉の一枝を見たとき、目を奪われて一歩が
前に進めませんでした。コレ初体験。

「旅行記」これでおしまい。
長らく読んで頂いてありがとうございました。

・「カササギ会」旅行記 5

2006年11月23日 08時04分35秒 | 「カササギ会」旅行記
旅行から帰宅して、写真の整理に追われています。
どうやら目鼻が付きましたので、明日は友人達に発送できそうです。
早く見たくて、皆さん待っているでしょう。
コリ症のオットと、ケンカしながら、纏めています。


彦根の「夢京橋キャッスルロード」の中のお店で食べた「おそば」
私は「比内鶏の親子丼」美味しかったよ。


彦根城。
わが熊本城に比べるとカワイイ感じ…
こちらも来年は築城400年だそうで…
紅葉が入っていいアングル。(手褒め)



一夜お世話になった、「イクシブ琵琶湖」
琵琶湖のほとりでした。


まだ明けやらぬ琵琶湖。空も湖面一体化。



・「カササギ会」旅行記 3

2006年11月21日 09時24分18秒 | 「カササギ会」旅行記
有馬温泉で豪華な一夜を過ごし、今日は琵琶湖の方へ移動します。
車に便乗の5人と、JR利用の5人に別れて出発します。

JR組は女性ばかり、旅なれた人、そうでない人。
切符を買うのに、自販機の前で大騒動、目的地を押し間違えて
払い戻しを受けて、また買い直しやら。
その節にも、「長浜」が出ませんでした、と、自販機のセイにする
のは忘れません。

乗り換え、乗り換え、
やっと「これに乗っていれば長浜に着くのね」
安心しておしゃべりの真っ最中にアナウンスが…

『この電車は、6両編成で走っておりますが
「米原」で先頭の1両だけになりますので、後ろの車両は切り離されます。
後ろの車両にお乗りの方で、「長浜」までお乗りの方は、乗り換えてください。
切り離しの作業は「米原」で行います。なお、先頭車両は、通路での移動が
出来ません。一端ホームへ出てお移りください』

ナヌナヌ、座っていてはいけない。
通路での移動は出来ないので一旦ホームへ出る。
こりゃ大変だ~~。高齢者5人のオバサン方の頭には
降りて先頭に乗り換えろ!の命令が、頭をコダマします。

切り替え作業の一つ手前の「彦根」でしたが、善は急げ!
とホームへ降り立ち、先頭車両は遠いナ、と感じながら
テクテク先頭車両を目指します。

と、扉は音もなく閉まり、私の電車はスルスル~と走り去ります。

なんで~なんで私が乗っていないのに、電車は出てしまうの???
ボーとする5人。あと二駅あるのに…

駅員さんに詰め寄る5人、
「いったんホームに出て乗り換えろと言うから、ホームへ出たら、
電車が出てしもうたじゃないの!」
ここでも、自分のせいじゃない、を連発します。

何はともあれ、置いてけぼりは確かなので、ケイタイで連絡し
次の電車を待ち、長浜で車組と落ち合ったのは、予定より30分遅れのことでした。
文が長くなり写真掲載できません。明日ね。