昨日のブログで書いた、テレビタミンの一句で
KKTからクオカード1000円分を送って来ました。
なんでもやってみるもんですね。
老所帯にはありがたや、ありがたやです。
お待ち兼ねの(え?誰も待ってない?)
オットの半生記を書き連ねま~す。
~~~~~~~~~~~~
『井村星夫の道』
・祖父の頃のこと
星夫は、戦前の朝鮮で井村家の二男として
1930年に生まれ朝鮮で育った。
星夫の祖父の時代に家族全員で、
朝鮮へ渡ったと言うことを聞いている。
元は、中津藩の武士の家柄だったのだが、
祖父が、福沢諭吉の弟子で慶應義塾大学設立の以前の
中津時代から、福沢諭吉の下で働いていて、
政治に興味があり、それにまつわる失敗もあったりして
朝鮮へ行かざるを得なかったという話である。
大分県中津にあった財産を処分し
祖父は殿から拝領したものは、殿へ返すべきだと
言い張り、中津市へ寄付したものもあったという。
今も本籍地は城内の番地である。
先々代になると、話があいまいになってしまうが
いまさら聞く人もなく仕方のないことである。
ー続くのであるー
KKTからクオカード1000円分を送って来ました。
なんでもやってみるもんですね。
老所帯にはありがたや、ありがたやです。
お待ち兼ねの(え?誰も待ってない?)
オットの半生記を書き連ねま~す。
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『井村星夫の道』
・祖父の頃のこと
星夫は、戦前の朝鮮で井村家の二男として
1930年に生まれ朝鮮で育った。
星夫の祖父の時代に家族全員で、
朝鮮へ渡ったと言うことを聞いている。
元は、中津藩の武士の家柄だったのだが、
祖父が、福沢諭吉の弟子で慶應義塾大学設立の以前の
中津時代から、福沢諭吉の下で働いていて、
政治に興味があり、それにまつわる失敗もあったりして
朝鮮へ行かざるを得なかったという話である。
大分県中津にあった財産を処分し
祖父は殿から拝領したものは、殿へ返すべきだと
言い張り、中津市へ寄付したものもあったという。
今も本籍地は城内の番地である。
先々代になると、話があいまいになってしまうが
いまさら聞く人もなく仕方のないことである。
ー続くのであるー