初めて知る高齢という現実

最近、弱ってきたオット82歳。
何とか二人で明るく過ごしたいとあがく毎日を記録します。
だんだんグチに移行?

・上天気の大晦日

2006年12月31日 12時45分20秒 | 社会や私の日々のこと
平凡な表現ながら、2006年もあと12時間を切りました。
普通に暮らし、普通な時間が流れました。
これ…高齢者には有難いことなのです。

若い人には普通では物足りなくて、刺激的なことを
求めてしまいますが、それは高齢者にはありません。

年末の仕事にしても、これ来年も元気にこのようにやれるのか?
バカみたいだけどそう思ってしまいます。
願わくばまったく同じ元気さでその次の年を迎えたいです。

急いで作った年賀状に書き損ないましたが、
私は6度目の年女であります。ほんとオメデタイ!!
自分でそう思います。健康で72歳!(数え年)
びば!びば!でありますよ。

いろいろお世話になりました。下手な退屈な文章を
読んでくださって、お礼の申し上げようもありません。
私はこれで元気で過ごせましたし、これからもそうです。
ほんとに有難うございました。

来年のイノシシの年も、よろしくお願いいたします。

皆様の新しい年のお幸せを心からお祈り申し上げます。



・忘れ物の神様

2006年12月30日 12時03分26秒 | 社会や私の日々のこと
お節作り大わらわ…
年のせいで忘れっぽくて困っております。

昨日は黒豆を炊こうとして、黒豆をどこに仕舞ったか?
つい先日まで直し込んだら見つからないからと思い、
食卓の上に置いておいたのに、何時直し込んだやら、
どこへ置いたやら思い出せず、心当たりを開けたり閉めたり、
何度繰り返したことか…
水で戻す時間を考えると、急がなきゃー。
結局、一番手前に置いてあるのを、見過ごしておりました。

今朝は、栗きんとんを作るので、厚めに皮を剥いた芋を炊き
もう柔らかくなったので、裏ごしにするため、栗の汁を、
と思ったら、栗の甘露煮の瓶が見当たらぬ…
さーて、慌てました、
芋は煮えてる、火を止めて温度を下げる訳にはいかぬ、
栗は探しても探しても見つからぬ、慌てると余計見つからぬ!
と、おのれを落ち着かせながら、
…これも手前の棚にありました。
勝手に、実際とイメージを変えて、自分のイメージで探すから
見つからんのです。と分かりました。

無事、栗きんとんが黄金色に仕上がりました。
孫たちの大好物ゆえ、これは外すわけにはいきませぬ。

あと、お煮しめ、酢の物、予定通りに運びそうなので
PCに向かっておりますが…

このあとまた何の探し物があるやら…
神のみぞ知る…

・今年もあと二日…

2006年12月29日 11時58分29秒 | 社会や私の日々のこと
やれやれ、年賀状投函しました。
ポストへ入れる前に読んでいたら、アチコチやり直したい
部分が見えてきて、もう見ないことにして急いで投げ込みました。

やっつけ仕事はロクな仕上がりにならないという教訓でした。

あと、おせち料理に仕掛からねば…
今年は何にも買いませんで、手作りします。
といっても威張ったものは出来ません。

早めに仕上げても冷蔵庫はいっぱいだし、
寒ければ外の倉庫に保管できますけど、
暖かいと日持ちが心配だし、悩ましいところです。

昨日から北風が冷たく、冬を感じます。
風邪引かないよう、ノロに罹らないよう
今年を元気に終わりたいものです。

読んで下さる皆様も、お元気にお過ごしくださいませ。




・年賀状

2006年12月28日 16時42分01秒 | 社会や私の日々のこと
日に日にUPが遅くなります。
今日は必死で年賀状作成です。

いつも25日には投函して余裕なのですが
今年はズルズルと今日までなだれ込みました。

慌てるといけません。
一言が思い浮かばず、今年の年賀状はヘタッピーです。
というといつもがいい様に聞こえますが、そういう意味ではなく…

それに筆王を使っていますが、年に一度の使用では
初めてと言ってもいいようなもので、あっちこっちを
クリックして、ちっとも事は運びません。

今夜中には仕上げて、頭をスッキリさせたいです。

そして今年の暮れはこうゆうことがないように
早めにやり終えましょう。

夏休み最後の日のこどもの心境を味わいました。




・石垣りんの「くらし」

2006年12月26日 14時28分41秒 | 社会や私の日々のこと
家事をしていて気がつけば2時を過ぎているではありませんか。

おっと、まだブログをupしてないぞ。
ボケたか?忙しかったか?そのどちらもアリ。

よかった、石垣りんさんの詩があって。

  *************

  ・くらし

  食わずには生きてゆけない。
  メシを
  野菜を
  肉を
  空気を
  光を
  水を
  親を
  きょうだいを
  師を
  金もこころも
  食わずには生きてこれなかった。
  ふくれた腹をかかえ
  口をぬぐえば
  台所に散らばっている
  にんじんのしっぽ
  鳥の骨
  父のはらわた
  四十の日暮れ
  私の目にはじめてあふれる獣の涙。





鑑賞
残酷な「生」。自分もそれを生きてきたのだ。

と、ありました。







・心打つ詩一編

2006年12月25日 12時18分59秒 | 社会や私の日々のこと
孫2号のtakuちゃんが、2泊して帰りました。
受験生の彼はたくさんの教科書を抱えてやって来ました。

そばでパラパラとめくりました。
数学は私には、見知らぬ他国の言葉の羅列に見えました。

国語は面白い…
副読本の「国語便覧」は欲しいくらい。

茨城のり子さんの詩が目に留まりました。

・自分の感受性くらい

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気むずかしくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ



有難うございます。






勝目梓氏の「小説家」を読んで(3)

2006年12月23日 12時15分47秒 | 読んだ本のこと
その後彼も結核に罹るのだが、ちょうど新薬が出始めていて、
その新薬のおかげで、劇的に回復する。

父親や兄が結核で病死して、自分も同じ結核に罹りながら
生きながらえたということは、その後の彼の生き方を、
大きく変えたのではなかろうか。
私は彼の心の底に沈む、虚無を感じずにいられない。

勉学に対し興味をなくしていた彼は、17歳で高校を退学し、
伊万里湾に浮かぶ福島という島の炭鉱に就職する。

その後いろんな体験をしながら、生活は楽ではないのだが、
文を書くことは止めなかった。
朝5時から7時までは執筆の時間と決めて書き続けた。
その努力が、有り余る問題を抱えながら生きる彼を、
流行作家に押し上げる。

詳しくここに述べることは出来ないが、
常人では出来ない行動も出来る人には出来るのだ。

年を取った今、彼の生きる道にはしなくも巻き込まれ、
望まざる人生を送った人たちへの鎮魂歌となるであろうか。

私には興味深く、「彼」と一体になり読めた本であった。
他にも読んで見ようと思う。



勝目梓氏の「小説家」を読んで(2)

2006年12月22日 10時04分30秒 | 読んだ本のこと
現代は、なんでもありの世の中と言われ、思われています。
自由奔放さも、昔とは比べられない枠なし…なのですが
それもニンゲンの性格ではないかと思いますね。

周りが乱れていても、乱れることができないニンゲンは乱れないし、
真面目や規律の城壁に囲まれていても、乗り越える人は
軽く乗り越えて、周りは目に入らなくなります。

勝手な生き方は、関わる人を不幸にしますが、勝手なニンゲンにも
理屈があり、そうしなければ生きていけないのではないだろうか。

彼は、東京で生まれ。
父母の離婚により母の郷里、鹿児島で暮らし始めたが
当然なじめなかった。

父親は小学校4年生の初冬に結核で病死した。
当然死に目には会っていない。
13歳で終戦を迎えるが、鹿児島にも空襲があり大勢の人の死を見た。
祖父母もその空襲で死んだ。

彼は5人兄弟で、7歳違いの兄がいた。
父母の離婚により、父親に引き取られ暮らしていたが
父に引き続き兄も結核に罹り、不憫な兄を母が呼び寄せ
鹿児島のサナトリュ-ムに入院させるが、
22歳の若さで死んでしまう。