バックを変えてみました。
オトナっぽくなりました。
清水小学校2年生
昭和18年、3月末か4月の初めに熊本に引き揚げました。
父に応召の命令が来たからです。(アカガミ)
3月4日に妹が生まれたばかりでしたが、父が居ない韓国には
いられないので、生まれて一と月も経たない妹を抱いて一家4人、
おじいさんの家に帰ってきたのです。
関釜連絡線で下関に着きました。海が荒れたことと、
のぞき見した海の色が、緑の色が濃く透き通り「きれいだな」と
思ったのが日本の印象でした。
父の入隊は熊本の16連隊だったので、わりと気楽に思って
いましたら、その日の午後慌てて帰宅して、これから外地へ行く
というのです。
別の人に命令が下っていたのですが、その人の都合が悪くなり
父が身代わりになったのです。
本当の別れでしたが、あれよあれよの間に、南の島へと旅立って
いってしまいました。
父の入隊は不幸とはいえ仕方がないことでした。
あのまま韓国暮らしが、終戦まで続いていたら、どうなっていたか、
当時の韓国からの引き揚げの、苦労話を見聞きするにつけ、
早く帰っていて良かったと、母は言っていました。
「私一人で3人の子は連れて帰られんけん、
韓国に置いて来たかも知れん」
「誰を?」「…」
よく冗談でイヤガラセを言っていました。
学校では隣の席のタジマという男の子が意地悪で私をいじめました。
思い出しても、憎らしい!ジメジメ・ネチネチ…ってやつでした。
タジマのヤツゥ、どこでどうしているのやら…
オトナっぽくなりました。
清水小学校2年生
昭和18年、3月末か4月の初めに熊本に引き揚げました。
父に応召の命令が来たからです。(アカガミ)
3月4日に妹が生まれたばかりでしたが、父が居ない韓国には
いられないので、生まれて一と月も経たない妹を抱いて一家4人、
おじいさんの家に帰ってきたのです。
関釜連絡線で下関に着きました。海が荒れたことと、
のぞき見した海の色が、緑の色が濃く透き通り「きれいだな」と
思ったのが日本の印象でした。
父の入隊は熊本の16連隊だったので、わりと気楽に思って
いましたら、その日の午後慌てて帰宅して、これから外地へ行く
というのです。
別の人に命令が下っていたのですが、その人の都合が悪くなり
父が身代わりになったのです。
本当の別れでしたが、あれよあれよの間に、南の島へと旅立って
いってしまいました。
父の入隊は不幸とはいえ仕方がないことでした。
あのまま韓国暮らしが、終戦まで続いていたら、どうなっていたか、
当時の韓国からの引き揚げの、苦労話を見聞きするにつけ、
早く帰っていて良かったと、母は言っていました。
「私一人で3人の子は連れて帰られんけん、
韓国に置いて来たかも知れん」
「誰を?」「…」
よく冗談でイヤガラセを言っていました。
学校では隣の席のタジマという男の子が意地悪で私をいじめました。
思い出しても、憎らしい!ジメジメ・ネチネチ…ってやつでした。
タジマのヤツゥ、どこでどうしているのやら…