真実と幻想と創価学会

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黒い手帖 より「洗脳そして崇拝教育」その二

2011-09-04 18:12:27 | 「黒い手帖」紹介

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発売日:2009-02-27

第四章 カルト化する「池田教」より

「洗脳そして崇拝教育」その二

「栄光の日」はかつて「栄光祭」の名で行われていたのだが、『現代』一九九〇年四月号の「創価大学・学園『池田洗脳教育』五〇時間のテープ」と題する記事などを読めば、学校関係者がいかにこのイベントを重視しているのかがわかる。
 某校長はその日が近づくと、全校集会を開き、全教職員、生徒に向かって、

創立者と生涯変わらぬ師弟の誓いを立てるのが栄光祭です。他の学校では絶対ありえない、学園のみの名誉ある儀式なのです。創立者のご期待に応える不退転の決意が必要であります。しかし、今年は諸般の事情により、先生はお見えにならないかもしれない。創立者に出席していただくことが、とりもなおさず栄光祭の成功を意味する。諸君の一念、師匠への思いが試されるのです。祈って祈って創立者池田先生をお呼びしましょうではありませんか」

 と訓示したそうである。

~中略~

 過去には、池田氏の独裁にたまりかねた創価学園の教職員組合が、一九七八(昭和五三)年九月と翌一九七九年三月の二回にわたり、公開質問状を送るという事件もあった。古川利明氏の著書、『カルトとしての創価学会=池田大作』によれば、公開質問状は次のような内容だったという。

一、無資格の教員が教科を担当している
二、必須科目の授業を行っていない
三、創価学会の宗教行事のため、授業日数が圧迫されている
四、池田氏によって運営が左右され、ことにその意を代表する校長の独裁が行われ、理事会や職員会議が全く無視されている
五、教員は、労働基準法に全く違反した過酷な勤務条件を強いられ、創価学会の宗教行事を強制される。私生活も学校内の行動も、すべて創価学会の組織に監視される
六、入学試験において、信仰の差別が行われ、また、経済状態によって差別が行われている

 ここに出てくる、「労働基準法に全く違反した過酷な勤務条件」とは、「地方出身の生徒は学校に隣接した寮に入っていたが、そこでも若手の教員が一緒に泊まりこんで勉強を見たり、勤行や御書講読などを通じて、池田大作との『一体感』を生徒たちに叩き込むことを一心不乱にやっていた」ために、という。
 このうちいくつかは改善されたようだが、創価学園においては今なお、池田氏は絶対的な存在で、その教育が池田氏と創価学会の礼賛に終始していることには変わりはない。池田氏への忠誠心と崇拝を強いる教育が、果たして健全といえるだろうか。

…「裁判はルーティン・ワーク」に続く。

某校長の訓示。イカレてる~!

いやもうホント、生徒にも向かってこんなこと言ってるなんて、やめてほしいです。

前回の記事で「栄光祭(栄光の日)とは一般の学校でいう文化祭」と紹介しましたが、実際の内容がどうあれこんなの文化祭じゃありませんよ。

「儀式」って言っちゃってるし。そりゃあ他の学校では絶対ありえないでしょうよ。

そして公開質問状はとんでもない内容ですね。全部赤字にしてやりたいですが、読みにくそうなのでやめてます。

「経済状態によって差別が行われている」というのも、前にコメントいただいたミルフィーユさんのお話とも合致します。

この公開質問状を見ると、やはりここは創価学会なのだと思わされます。

創価学会が運営する学校、ではなくて、創価学会の中の学校、というイメージでしょうか。

想学サロンなどのブログで活動家の方が疑問を持ち、苦悩を吐露され相談されるコメントがよく見受けられます。

その活動家の方々の苦悩と、この質問状を出した教職員組合がダブるのですが、どうでしょう。

「先生にお応えするために」「試されているんだ!」などと、およそ解決するわけのない頭の足らない言葉で会員を動かそうとするバリ活幹部(学校運営陣)。

その言葉におかしいと思いつつも断るに断れずまた、MCによる罪の意識や人間関係からイヤイヤながらも従う役職持ちの学会員さんたち(人の良い教職員)。

末端の会員(生徒)のためになどと言いつつ、本当はどうなのよ?って感じまでもが、学会を縮小した社会のように写ります。

学会をそのまま縮小した社会なのだから、池田氏は絶対だし、労働基準法より学会活動(洗脳教育)だし、財務(寄付)の金額で信仰度合いが測られるのも当然。

「教職員の私生活も学校内の行動までも学会に監視されている」とありますが、そんなの学会員さんなら当たり前じゃないですか。教職員もほとんど学会員さんですよね。

まさに学会の学会による学会のため(学会員のため、じゃないのがポイント)の学校なんですね。

本当に嫌だな…こんな学校が存在しているの。

どうにかならないものでしょうか。なんだかなぁ…。


8 コメント

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あぁ~つくづくこの大学に行かなくてよかった! (りりこ)
2011-09-05 19:34:44
あぁ~つくづくこの大学に行かなくてよかった!
私の高校生の時も「池田先生の作られた大学へ行こう」が 合言葉のように叫ばれてました。
でも、財務三桁したり聖教新聞多部数したり 選挙となれば日本全国飛び回るバリ活の母が「学会活動は別にちゃんとあるんだから 大学まで学会員ばかりはよくない。一般の大学行っていろんな人とふれあった方がいい」って言ったんですよね。まぁ東京にまで行かせたくなかったのもあったでしょうが・・・。
私の母は創価学会というより仏教に惹かれたんだと思う。だんだんごちゃごちゃになって 結局は学会どっぷりになって でも時々「なんか変」って思ったりしてたのかな~?
そう言えば 「男子部は仕事できない人や コロコロ職を変える人がほとんどだから 結婚は普通の人としてね」なんて事も言いました。
母と喧嘩にならないよう穏やかに「お母さんは今まで十分すぎる位学会に尽くして頑張ってきたから もう財務も新聞も 若い人に任せて お母さんは何もしなくていいよ。ぜ~んぶ自分とお父さんの為だけに使っても罰なんかあたらないよ」って 数カ月前会った時言ったら とってもにこやかに「もう最近は体もきついし たいした事してないよ。新聞三部と財務〇万円は最低しないとね」

がくっ・・・。なぜしないといけないんでしょうね。
でもまぁよし!と思ってます。私の「学会嫌い」話も時々笑って聞いてます。
あっ創価大学の話から随分それました。
いつもまとまりのないコメントで申し訳ないです(ペコリ)
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21歳で亡くなった友人Hの一周忌で聞いた話だ。 (kan)
2011-09-07 22:25:55
21歳で亡くなった友人Hの一周忌で聞いた話だ。

Hが交通事故死した道路脇に、いつのころからか花束が飾られるようになった。
月に一度の命日の日に、誰かがおいていくのだという。
一人娘を亡くしたHの両親もそれを誰の行為か知らず、知り合いや近所の人びとに尋ねてみたが、誰も知らないという。

そんなある日、中学で教師を務めるHの父親は、教え子の群れのなかに花束を抱く一人の女子生徒を見かけた。
今日は娘の月の命日、ふと思い出したHの父親は、ひょっとしたらと思い彼女に声をかけた。
予想どおり、娘に花をささげてくれたのは、この女子生徒であった。

彼は聞いた。
どうして娘のためにそんなことをしてくれるのか、と。
セーラー服の彼女はちょっとはにかんで、でも素直に話しはじめた。

彼女が小学生のころ、遊びで靴を飛ばしながら登校していて、はずみで靴がHの家の庭に飛び込んだことがあったのだという。
ちょうどそのとき家にいた大学生のHは、彼女の靴を一生懸命に探したが見つけられず、代わりに彼女にサンダルを貸した。

恥ずかしくてHにお礼もろくに言わずに登校した彼女。
その帰り道、Hの家を通りかかった彼女は、自分の靴がよく見えるように表に出してあるのを見つけた。
それはHが探し出して、彼女がいつ取りにきてもいいように表に出してあったものだ。

まだ恥ずかしかった彼女は、借りたサンダルと自分の靴を取り替えると、またお礼も言わずに家に帰ったのだという。

そのあと形式ばかりのお礼の電話をしたけど、靴を探し出してもらったあのときに、お姉さんにちゃんとお礼を言わなかったことをずっと気にしていた、と彼女は話したそうだ。
靴を探してくれたお姉さんのことを、家の近くを通るたびにいつも思い出していたと。

そして事故を知り、その事故で亡くなったのがあのときのお姉さんだったと聞いたことも。
それで花束を。
それでお姉さんに花束を、と‥‥。

靴を飛ばしながら登校していたやんちゃな小学生は、遠い国へ行ってしまったお姉さんのために花束をたむける中学生になっていた・・・・・やっとHのことを泣かないで話せるようになった私たちの集まりで披露されたのは、そんな物語だった。

みんなの瞳がぬれはじめて、でも私たちはお互いの顔を見ながら笑顔をつくった。

やってくれるじゃん、あいつも。

みんそんな気持ちだったと思う。
たった21年の人生で、なんの楽しいことにも出会わずに逝ってしまったのかと考えていた私たちは、情けないほどのばかだったのだ。
いろんなことがあったのだろう。
私たちの知らない彼女のすばらしい21年間には、ほんとうにいろんなことが‥‥。

笑顔をつくりながら、やっぱり泣いた。
7年前の、桜の咲くころのことである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

このお話は、さいたま市の女性がある雑誌に投稿した実話です。
ボクはこのお話を読んで、涙が出てしまいました。

短命だからって決して不幸とかじゃなく、大切なのはその心と・その生き方なのだと思います。
Hさんのお父さんは教師だそうですが、生徒の心を大切にする先生なのでしょうね。
そして、その学校もきっと素敵な学び舎なのでしょう。

日本の未来を担う大切な子供達。
こういう学校で学ばせてあげたいものです。
こういう教師のもとで学ばせてあげたいものですね。
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kan様がご紹介された、花を手向ける女性の話に感銘... (希望)
2011-09-08 23:14:46
kan様がご紹介された、花を手向ける女性の話に感銘を受けました。

 kan様のような方が、このようなコメントを投稿されるのも、クロ様の御人徳の賜物と存じます。

 季節の変わり目で、疲れが出やすい時期です。ご自愛の程、心よりお祈り申し上げます。
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りりこさんへ (クロ)
2011-09-10 22:50:58
りりこさんへ

>「学会活動は別にちゃんとあるんだから 大学まで学会員ばかりはよくない。一般の大学行っていろんな人とふれあった方がいい」
>「男子部は仕事できない人や コロコロ職を変える人がほとんどだから 結婚は普通の人としてね」

りりこさんのお母様の発言を見ますと、とっても現実的な方ですね。
一部では客観的に学会のことを見ていらしたのですね。
だからこそ現在のりりこさんの視点が養われたのかも…?
けれどもう少し、自分のことも客観的に見ることができたらいいのに…と私の母親を見てもつくづく思うのですが^^;

この創価大学は小・中・高とある創価学園生と、いわゆる外部からの生徒にだいぶ溝があるのだとか。
例の閉鎖された創大生のブログにそのような記述がありました。
どちらにせよ、ハマる人には情熱的に青春(?)を捧げられる天国、ハマらない人にはその場に存在することすら苦痛である地獄のような大学生活になるのではないでしょうか。
学会自体がそのような雰囲気がありますからねぇ。


>「もう最近は体もきついし たいした事してないよ。新聞三部と財務〇万円は最低しないとね」

いやいや、これはよい傾向ではないでしょうか?
時は進むばかりです。
これからは学会活動及び金銭的な貢献は減る一方であると明示してくれているのではありませんか。
多部講読の聖教新聞はまったくもって資源のムダ。
地球環境のことを考えて、せめて一部になるといいですね。
その辺りから、ゆる~く目指してみましょう♪
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kanさんへ (クロ)
2011-09-10 23:16:21
kanさんへ

いつもながら、とてもいいお話を教えてくださりありがとうございます。

>いろんなことがあったのだろう。
>私たちの知らない彼女のすばらしい21年間には、ほんとうにいろんなことが‥‥。

この部分に涙しました。
たとえば歴史に名を残す偉業などなくとも、新聞に載るような功績を残さなくとも、普通の日々の中に「すばらしい」ことは散りばめられているのですね。
「普通」であることはとてもつまらない、くだらないことのように思われがちです。
けれどこのような「すばらしい」日々を紡ぐ人々が集まって「普通」になっているのです。
「普通」であることはとても凄いことなんだと思います。
そういう「普通」の日々を学ぶ子供達の学び舎であってほしいですね。
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希望さんへ (クロ)
2011-09-10 23:44:46
希望さんへ

お忙しい中、コメントありがとうございます。
しかもとんでもなく勿体無いお言葉、ありがとうございます。
私の人徳などとお恥ずかしい限りですが、この頼りないブログにいつもコメント欄を通してお力添えくださる皆様のお心に感謝するばかりです。

希望さんこそ、心身共にお疲れになることも多いかと存じます。
どうかご自愛くださいませ。
返信する
うちも一般の学校にいかせています (まき)
2011-09-21 16:09:53
うちも一般の学校にいかせています
創価学園系はなぜかあわない
創価学会の幹部で偉そうな人もたしかにいる。現証も出ている

牧口先生も貧しい子たちに給食をあげた戸田先生は劣等生を優等生にするといった。本来は創価学園はそこを目指すべきだと思う。でも池田先生は
世界平和のために創価大学を作られたと聞いた。それなのに偉い幹部の人たちがそれをねじまげてしまってる人もいる

いつの世もそんなものなのかもしれない


でも御本尊はすごい、題目には力がある。本当に題目をあげていくと必ずかなう。 御書も本当に祈ってから読むと結果を示してくれる。幼いころからやってきていろんな変な学会員や幹部もいた

でも陰で本当に人を助けて人の幸せを祈って本当に宿命転換をしている人もいる。私にも体験はたくさんある

人が作る組織だから悪い人もいい人もいる。 誰が正しいかはきっと後世にわかる。池田先生がどうあれ、池田先生の指導は素晴らしかった。それは法華経と
創価教育学体系にもとづいていたからだと思う。題目を知ったのも創価学会と池田先生の指導があったから乗り越えられた
。現実を転換できたのも
苦境を乗り切れたのも祈りがあったからだ。

全部批判できない。
私も見せかけの多読購読は大反対
コネで幹部になるのも大反対
人を人と思わない大幹部も大嫌い

時として組織をみては先生を疑い、学会を疑っているい私だけど

題目と大聖人は絶対だと思っている
読んできた苦境を助けてくれた先生の指導は素晴らしかったのも事実だ
だから葛藤ばっかしで10年無駄にした

組織でちょっとは文句いいながらも題目あげて
折伏して人を救っている友人たちは
皆幸せになった

題目をあげてると自分を振り返られる
悪いことをする人たちは自分の頭上に落ちてくる

だから組織にはあまり出ていないけども
幹部も嫌いだけど、良い人もいる
今は、真実が見えないけれど
何より題目をあげぬこうと思っている 
金儲けの絶対寺にはつかない

でも今は心をゼロにして題目をあげて人を助けて家族を大事にして、幸せな人生を送りたい

創価学会からも政治の世界からも
どこからも
悪い人はさっていってほしい。
大聖人の昔みたく原点に戻って
純粋に信じて純粋に生きたい


まずは題目をあげきってみよう 



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まきさんへ (クロ)
2011-09-23 17:35:11
まきさんへ

はじめまして。

仰る通り、人のつくっる組織ですからいい人も悪い人もいましょう。
問題はその自浄作用のなさに大きな一因があると思います。
なぜ自浄作用がないか。これは池田氏の指導の賜物ではないかと考えられます。
また、それにより昨今の創価学会があるとも考えます。
池田氏の過去の指導やスピーチに素晴らしいものがあったのは知っています(本人が考えたかどうかは別として)。
そしてそのうわべのキレイゴトに踊らされている学会員さんが、今の創価学会を支えているのでしょう。
私はこの創価学会やSGIといった組織の全ての問題の責任は池田氏にあると思っています。
池田氏によって救われたという人も多いでしょう。
組織拡大には多大なる貢献もしたでしょう。
しかしその足下で泣いている人がいることを、幸せになったという方は見ようとはしません。
池田氏は絶対にそれらの存在を知らせようともしません。
「人の不幸の上に成り立つ幸せがあってはならない」というようなことを仰ったのも池田氏自身です。
言っていることとやっている事が隔たっているのも、この方の特徴のひとつですね。


>まずは題目をあげきってみよう 

って私に言っているんじゃないですよね(笑)
このブログを少しでも読んで、私の立場や考え方をご存知ならば、このようなコメントは書けないでしょうから。
題目をあげるということは、それを信じている方が自発的になさればよろしいかと思います。
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