あまちゃんの カタコト中文日記

中国・杭州がえりのライター助手、日々のいろいろ。

『大災害の時代』追記(& 宝宝、産毛剃る~)

2024-04-02 | book

きのう4月1日は新年度の初日、ということで何かとテレビが騒がしかったようだが(スタジオの模様替えや、新キャスターのあいさつ、等々)。

能登の地震から3ヶ月、という日でもあった。節目の日だけは、どの局も取ってつけたように能登からの中継や現場取材をまじえた特集を組むが。その日が終われば、また扱いは減るのだろう。

ところでNHKさんはなぜか最近、朝ドラの再放送に力を入れており、その枠を昼の0:30に移動させて「ちゅらさん」が始まった。この時間にしたのは、大相撲や国会中継に影響されないようにするためだろうか?

できればこの時間帯に「きょうの被災地」(or「能登だより」)など、彼の地の今の様子を生中継して伝えれば、視聴者も震災を忘れることはないと思うのだが。(それこそ、取ってつけた感じ?と言われればそれまでだが)

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先日取り上げた五百籏頭さんの著書『大災害の時代』を読み終えた。さいごまでボクのような素人でも読みやすく、興味深い内容だった。

そのなかで印象に残ったことを少し書き足しておこう。

東日本大震災では津波の犠牲者が多数を占めたが、その中には自分や自分の家族をかえりみず、地域の人々のために尽くした人(消防団、警察、自衛隊)が少なからずいた。「彼らの自己犠牲の精神に、社会は甘えすぎていないだろうか?」と五百籏頭さんは警鐘を鳴らし、「自らの安全を確保できる範囲での救援活動のマニュアルを整備すべきだ」と説いている。(第三章・東日本大震災「甘えすぎの社会への教訓」P. 205~)

たとえば、こんなケースがあった。震災直後のこと。宮城県名取市で、近所の人たちが一人のおばあさんに「一緒に逃げよう」と声をかけたが、おばあさんは拒否。彼女は住み慣れたこの地から離れることを嫌がり、ここで死んでもいいと言いはった。周りの人たちが懸命に説得し、おばあさんが親しくしていた友人にまで加わってもらって、一緒に逃げようと説得したら、ようやく軟化。しかしだ。「では、その前にトイレへ、ではあれを持って・・・」とおばあさんの要望をすべて受け入れているうちに、説得開始から30分が経過。車に乗ったところを津波に襲われ、ほぼ全員が犠牲になったという(1人だけ奇跡的に助かる)。

なんてこった。五百籏頭さん曰く、もしこれが欧米であれば、老人の意思をドライに尊重し、「Good Luck!」と言い残して去るだろう。日本的なやさしさ、ウェットな”みんな主義”が、逆に多くの命を奪うことになったのである。

もし自分がその場にいたら、どうするだろう? おばあさんを置いてきぼりにするのが忍びないと思えば、「今は逃げるしかないの!」と躊躇する老婆をかっさらい、車に乗せる、押し込む。しかし、言うは易しで、実際は難しいだろうな。(高齢者は頑固、一筋縄ではいかないんだよね)

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また、自衛隊員の持つ ”自己犠牲の精神”を初めて知り、驚いた。自衛隊には、「ことに臨んでは、わが身を顧みず」などの(服務における)宣誓文があり、かつて防衛大学校長だった五百籏頭さんも就任時に読んだという。その言葉どおり、東日本大震災の時も自衛官たちはわが身を顧みず、不眠不休の救助活動をした。

そこで問題となるのは、「わが身を顧みず」のなかに「自分の家族をも顧みず」が含まれていることだ。妻子を救い出したい、せめて安否だけでも知りたい… その思いにフタをして、地震発生直後から、組織的な救助活動に没頭せねばならなかった彼ら。何ということだ。これについて五百籏頭さんは、自衛隊員の家族の安否に問題が及びそうな場合は、自衛隊の一角にそれに対処するセクションを設けるべきだ、と述べている。

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本書は2012年~3年8ヶ月にわたり、毎日新聞に連載された記事に加筆修正されたもの。昨年出版された文庫版にいたってはさらに加筆の可能性もある。

つい先月、3月6日の午後、自身が理事長を務めるひょうご震災記念21世紀研究機構で執務中に息苦しさなどを訴えて急死した五百籏頭さん。本書の冒頭で、「我々は思いもかけず”大震災の時代”にめぐり合わせている」と書いておられた氏は、元日に能登で起きた大震災をテレビでみて、「また来よったか」と苦々しく思いつつ。能登のために自身ができることを探しておられたに違いない(提言の記事も... ←ただし、これ有料😢)。

五百籏頭さんはもういない。能登の震災を深く研究した内容を加えた”本書の続編”が、もう読めないのかと思うと残念でならない。

♡おまけショット♡

杭州のカワユイお友だちが週末ウィチャットにアップしていたこの写真↓


满月🎉 珍惜今天的发型吧,马上就要跟你的胎毛say goodbye了。
(満1ヶ月:今日の髪型がいとおしい〜 まもなく、その産毛ともサヨナラだからね)
なるほど、ひと月で産毛を剃る習慣があるんだ。
して、翌日送られてきたのは…

この写真。みごとにつるつる〜。
冗談でアニメ一休さんの画像を送ったら、「子どもの頃、好きでよく見てた」と返事が。宝宝〜きれいな毛が生えてきますやうに(^_-)


 

 

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地震国ニッポンの必読書!五百旗頭真『大災害の時代』

2024-03-25 | book

先日急逝された政治学者の五百籏頭さんに興味を持ち、この本を借りてみた。


2016年の本。昨年、文庫版も出ている。

お堅い本かと思いきや、これが面白いのなんのって。序章「はじめに」からして、いちいち興味深く、面白い。

「はじめに」の冒頭:(以下、緑字は抜粋)

◆我々は思いもかけず「大震災の時代」にめぐり合わせている。日本列島の地震活動は、あの1995年の阪神・淡路大震災をもって平穏期から活性期に転じた。16年を経て、2011年に勃発した東日本大震災は超弩級の複合災害であった。問題の重大さは、それを地震活動のフィナーレと見ることができない点にある。

これに続き、自身が阪神・淡路大震災を経験したこと(自宅は全壊、教え子の神大生が多く犠牲)に触れている。

そして「筆者は地震学者ではなく、歴史家であり政治学者である」と断りを入れたうえで、「地震のメカニズムよりも、日本人と日本社会の地震への対応の歴史を多く語ることになるであろう」と述べている。

決して”地震の専門家”ではなかった氏が、震災を”まともに経験”したことにより、突き動かされたものがあるー この熱い衝動のようなものが本書からも、ありありと伝わってくる。結果、読み物としても一級品になりえたのである。

◆読者の皆様は、ご自身で地震を体験されたことがあるだろうか。日本人であれば、大地の揺れを知らぬ人はいまい。ただ、多くの人は、震度5あたりまでの「普通の地震」しかご存じでないのではなかろうか。

多くの人々の知る「普通の地震」は、次のようなものである。

—ガタガタ、ゴトゴトとリードの揺れが始まる。もしかして地震じゃないか。人々は心の中で警戒とともに、どの程度の地震かな、と瀬踏みする。このリードの長さは震源地からの距離に比例する。小刻みだが速く伝わる、いわゆるP波(タテ波)による地震の通告である。突如、大きく本揺れになる。S波(ヨコ波)の到達である。震度3から4までだと、なかなかしっかり揺れるじゃないか、と人々にはまだ余裕がある。震度5以上だと、人々の表情が変わる。危ない、棚の上のものが落ちる、机の下に隠れないと。膝を屈する気持ちになると、幸い地震は遠ざかっていく。大自然を甘く見るなよ、わかればいいんだ。まるで大地の魔神がそう言い残すかのようにー。

大多数を占める普通の地震は、このように人々に警告を発するが、とどめを刺そうとはしない。それなりにエチケットを心得たものである。

(略)

◆直下型地震(阪神淡路)の場合、先に述べた標準型のようなリードの揺れがない。いきなりガーンと下からはね上げられる。その地にあった私にとって、その一撃は、わが家に飛行機が墜落したのか、山津波に襲われたのか分からない大衝撃であった。目を覚まし、何事だ、と思う間に、猛烈な揺れが始まった。地震だ。が、我々が知るところの(エチケットを心得た)地震ではない。大地の魔神が、わが家を両腕でわしづかみにし、引き裂こうとしている。この家を破壊し、家族を皆殺しにするまで止めない気だ。なぜだ。なぜそこまでする。殺意を感じる猛攻である。家はひし形にゆがんで悲鳴を上げ、室内は家具が飛び交うのを、暗闇の中でも感じた。もし家族4人が、それぞれ2階のベッドで寝ていなければ、果たして生きながらえることができたかどうか。

「エチケットを心得た地震」か、なるほどねぇ・・・このような文章表現から、五百籏頭さんのユーモアあふれる温かいお人柄が感じられる。

***

本書では、大正期の関東大震災、阪神・淡路大震災、東日本大震災とおもに3つの震災を分析している。この中でまず驚きを隠せなかったのは、この3つの震災が起こった時期、というか瞬間は、いずれも政権が不安定だったことだ。「大自然には政治の弱点を突く悪趣味な性癖があるのだろうか」という五百籏頭さんらしい書き出しで始まり、

東日本大震災は、政権交代を遂げた民主党政権が不安定な試行錯誤を続ける中で勃発した。

阪神・淡路大震災も、社会党委員長・村山富市を首相にいただく自社さ連立政権という変則的事態を襲った。

それ以上にひどかったのが関東大震災であった。何と、首相不在の瞬間に突発したのである。

と書かれている。知らなかった、関東大震災当時の総理(加藤首相)が現職のまま(腸がんで)病没されていたとは。

とにかく、本書はいちいちおもしろい。まだ最後まで読めていないが、つい夜更かししてしまうほどである。

それはわれらが阪神大震災を経験したことも大きいであろう(ただし被災者ではないが)。震災当日の各行政の首長の動き、自衛隊の動きなども克明に書かれており、わくわくして読み進めた。



すっかり本書に影響された弊ジムショ。なんでも地域の”お祭り”がある場所では、震災の時に共助できるから死傷者も減らせると本書で知り、「地域の消防団などの組織に参加するのも、今後の防災のためにはいいんじゃないか?」とガラでもなく考え始めている。(たぶん入らんやろけど)

いつ、次の震災が起こるやもしれぬ日本。本書はすべての日本人が今、読むべき本ではないだろうか。

本書に感銘を受けると同時に、能登の震災を目の当たりにした五百籏頭さんが、志(こころざし)半ばで急逝されたことの無念さを思わずにいられない。この先も、日本の”国難”のためにどれほど必要な方だっただろう・・・。


文庫版も購入。字が小さめですな (-_-;)

 

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ドリアン助川『寂しさから290円儲ける方法』

2024-02-25 | book

だいすきな映画『あん』の原作本が素晴らしかったことで、俄然、ドリアン助川に一目置くようになった弊ジムショ。昨年出た本を借りて読んでみた。


これは一風変わった「旅」の短編小説。 ペンネーム「麦わら」さんがメールで相談を受けた日本中(たまに海外も)の孤独な人、苦悩している人に会いに行き、何か一品料理(「麦わら料理」という)を作ってあげながら人生相談に乗る、という物語。その「麦わら」さんとは、まさにドリアン助川 ご本人だろう。して「290円」は何を意味するのか? これは最後の最後で明かされる。

ちょっと不思議なテイストに最初はついていけなかったが。粘り強く読み進めていくと、ロードムービー的な味わいもあり、ハマっていった。何より、その旅先にすぐにでも行きたくなったのだ。

たとえば第一話の「世田谷区 豪徳寺」。ここは外国人観光客にも人気の”招き猫”で有名なお寺。その近くの世田谷城址公園もおすすめらしい。行きたーい。

第三話の「池袋 平和通り」。ここではチャイナタウンと化した街の中華料理屋、それも東北菜(中国東北地方の料理)のお店で出てきた「地三鮮」という名の料理にそそられた。東北の名物料理でジャガイモとナスとピーマンを塩だれで一気に炒めたもの、とある。たぶん、一度揚げてから炒めてあるはずだ。ボクがかつて吉林やハルビンなどの東北地方を旅した時、「(甘辛い)東北菜って、いちばん日本人の口に合うんじゃない?」と思ったものだ。その後、自分で再現しようとしたけど、なかなかうまくいかなかった。いつか池袋に食べにいきたいな~。

第七話の「長野 小布施」にも思いっきりそそられた。小布施といえば栗。道の駅の「ソフト栗イム」(栗のソフトクリーム)はもちろん。葛飾北斎の「北斎館」がとってもよさそうだ。本来、浮世絵といえば、北斎よりも広重が好みのボクであるが、この小説を読む限り、かなり見応えのある施設となっている。やっぱり小布施に行くなら栗の季節である秋に限るのかなぁ~とか、昨夜はマジで考えてしまった。(でもグーグルマップでちょいと検索してみたら、弊ジムショから小布施までは10時間以上と出た。とほほ~! いや、これは夜中にやったからで。今してみたら6時間だった。じゅうぶん遠いか、、)

ちょっとネタバレになるが。最後のページに「私がなぜ麦わら料理を用意して、人に会いに行くのか」について書かれていた。「それは穴蔵に閉じこもりがちな小説家としての人生に居場所を作るためでした」。

じーん、いたく共感。別の居場所・・・きっと誰もが日々の生活のなかで”別の自分”になれる時間、場所、そういうものを欲しているのだ。また本書には現代社会への批判もそこここに散りばめられ。ボスちゃんは著者とほぼ同世代ってこともあり、共感することが多かったようだ。

さあさ、旅の計画を。小布施が無理なら、丹波篠山くらいから?(^^;)

*おまけショット*


これもある意味ネタバレ。ひっく。(>おぬし〜下戸のクセに呑んだか、、)
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乳腺外科のBGMに困った話/ 小説『あん』に涙する ほか

2024-02-13 | book

きょうはボスちゃん、朝から乳腺外科へ。マンモグラフィー(年1回)とエコー(半年に1回)の検査があった。先週電話した際、直近で予約が取れたので「すいてるのかな?」と思いきや。予約時間に行くと待合いの椅子はぎっちり埋まっていた(15人くらい)。「こりゃ1時間では済まんぞ~」。座れないこともあり「ちょっと出てきます」と受付に言うと、「マンモの方は早めに呼ばれる可能性があるので...」。「じゃあ15分だけ」と飛び出した。もう、息が詰まりそうな空間なのだ。(さいわい、こぎれいではある。院内はピンクを基調にしていて、趣味のいい小ぶりな絵がそこここに飾ってある)

同じ駅ビルの本屋さんで「週刊ベースボール どこよりも早い選手写真名鑑」などを冷やかし、ドラッグストアをひと回りするとほぼ15分。医院に戻って空いた席に座り、文庫本を読み始めたが・・・どうもBGMが気になる。これはJUJUのカバーアルバムか? そのうち他の歌手の声もしてきて、どれも往年のヒット曲ばかり。やはりカバー曲メドレーだな。うーん、邪魔だ。本に集中できない。やっぱ病院内で”歌モノ”のBGMは良くないな~とあらためて思った。(投書箱でもあれば書いて帰るのだが、そりゃないわな)

「イタタ!」。おしくらまんじゅう?ならぬ、押しくらマンモグラフィーのあと、2時間近く待たされてエコー検査に呼ばれる。あまりに検査が入念なので(女性技師と院長の2人がかりでのエコー)、もしやヤバいんか?と思ったが。前回と変わらず乳腺症気味ということでホッとする。そしてエコー検査後のジェルでベタベタの上半身を「はい、これで拭き取ってください」と渡されたのは、検査中にも技師が使用していたキッチンペーパー2枚。「それはないでしょ、このベタベタをどうやって拭けと?」。これは前回もそうだったので(ここにも書いたはず)、今回は反省を踏まえ、ジムショからタオルを2枚持参してましてん。そのベタベタついたタオルを洗うのも面倒でしたけどね。このジェルは意外と広範囲についてまして、そこに(ベッド脇の着替えスペースに)鏡があればな~と思った次第。(通院は疲れますな~)

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週末の土曜は寝つけなかった。この本↓を読んで号泣したせいもあるかな。


ドリアン助川の『あん』。お正月(元日の地震の翌日)福井のテレビでやっていた映画『あん』の原作だ。この時、途中から見た映画は2度目にもかかわらず号泣してしまった。

この原作本は元々、ママちゃん向けに借りたもの。すぐに戻ってきたので(ほんまに読めたんかいな?老婆...)ボクも読んでみたら、やっぱりすごく良くって。自然と映画のイメージ・・・「徳江さん:樹木希林、どら春の店長:永瀬正敏」を思い浮かべながら読み進めていった。もう映画を見てしまった者としては、それしか想像できない。特に希林さんなくしては、映画化は成り立たなかったであろうから。なので皆さんにもぜひ、先に映画を見てほしい。

先に映像作品を見て→そのあとに原作を読んで、同じくらい感動した物語といえば・・・山崎豊子の「大地の子」を思い出す。すんごい前やけど...。

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この日、寝つけなかった本当の理由はおそらく、その日「何十年ぶり?の仲間との再会」があったから。

コロナ以降、”集い”には殆ど参加してなかったのだが、今回は思い切って参加。うん、参加してよかった。その様子を昨日ちょこっとウィチャットにアップ。


訳)おととい、京都にある母校近くのレストランで同期の集まりがあった。互いに「見たところ全然変わってへんな!」と言い合ったが。第三者はきっとこう言うはず、「見た目、まるっきり変わってるで~みんな歳とった」。(写真6:約40年前の集合写真)

ここ数年、てっきり体調イマイチなのはボスちゃんくらいかと思っていたら。あるオジサン(←ボクからみたらね)は脳梗塞の後遺症で杖ついて歩いていたし。またあるオジサンは何度も軽度の胃がんが見つかり、ついに昨年胃を全摘したという。あと、親だけでなく、きょうだいを亡くしている方もいて、介護もそれぞれ大変で。やっぱりこの年代になると色々あるな~と痛感。それでもこうして再会できることが何より嬉しかったんだよね。ボスちゃんは興奮して寝られなかった模様。

地震もガンなどの病気も…なにも悪いことしてないのに、ある日突然襲ってくる。それって、あらがえない運命?にしてはあまりに残酷だ。

 

 

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医師はこうして開業する!『患者が知らない開業医の本音』松永正訓 著

2024-02-08 | book

最近、寝つきはいい。花粉症のアレグラを飲み始めたせいもあるかな?

寝る直前に本やスマホを見てはいけないと聞くが、ボクの場合、ばんばん見ている。すぐにはやめられない。

寝る前の読書が楽しいと、満足感に浸ったまま... コトンと寝落ちできるのでシアワセだ。

昨年末から読んできた小児外科医・松永正訓(ただし)さんのノンフィクションがおもしろい。


左は以前アップした本。右は次に借りて読んだ、小学館ノンフィクション大賞を獲った本。
何より文章が読みやすい。小児外科医として障害児のお宅を訪問し、両親や祖父母にじっくり話を聞いている。トリソミー(染色体異常)など全く知らなかったので勉強になった。といっても、読んだ先から大方忘れちゃってるけど…。

最近読み終えたこの本 ↓ は松永さんご自身の経験をもとに書かれた本。


大学病院の小児外科医として働き、同時に研究にも勤しんでいた松永さん。それが40歳の時、解離性脳動脈瘤と診断され、クモ膜下出血のリスクもあるので夜の勤務はNGと言われる。やむなく病院勤務をあきらめ、休みが安定してとれる開業医を目指すことに。

開業するにあたり、先輩開業医にやり方のノウハウを相談すると、「まず資金調達が重要で、リース会社からお金を借りることが最優先」。

そこで紹介されたのが、コピー機で有名なRリース社。さっそく松永さんはRリース社のホームページをチェック。そこから早速メールで相談すると、翌日担当者から返事が。すぐに会うことになり、そこから話がとんとん進んだ。

松永さんが「自己資金が全然ない」と言うと、「”建て貸し”はどうですか? 大家さんにクリニックを建ててもらって、先生はその大家さんに家賃を払って診療するんです」と担当者。このリース会社は医師が開業したい地域の人口(+小児人口も)や周辺クリニックの数も調べ、土地(開業候補地)も探してきてくれる。

そして「開業して失敗した人、見たことありません」などと心強いことを言ってくれる。(たしかに開業してまもなく、クリニックが姿を消した?てな光景、見たことないね)

開業してからのエピソードもおもしろい。終盤は内容が劣化するのはネタ切れか?(どこかに連載したものをまとめたものらしい)

他にも氏の著書はたくさんありそうだ。次は『ぼくとがんの7年』でも借りて読んでみよう。

 

 

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