「南海の門田なんて、はっきり言って眼中になかった」とボスちゃんは当時を振り返る。いくら野球好きとはいえ、うら若き乙女はあくまでルックス重視。南海の門田博光はボスちゃんにとっちゃ、規格外も規格外。ただのオッチャンにしか見えなかった。カッコいいどころか、カッコ悪いとさえ思っていた。そもそも南海ホークスの試合をテレビで見るチャンスもなかったのだが...。
門田の存在すら忘れていた。それが先日、偶然見た番組で改めて門田の足跡を知ることとなる。
昨年1月、人里離れた兵庫県の別荘地で一人の老人が亡くなっていた。老人の名は門田博光。プロ野球歴代3位のホームランを放ったバッターだ。
番組では、晩年の門田氏にロングインタビューを敢行したライターの谷上史朗が登場。貴重な証言者としてコメントし、インタビューの音源も多く使われていた。これがなければ、番組は成り立たなかったのではないか。
谷上史朗さん。晩年、門田氏が交流していた唯ひとりの人物だった可能性も。
谷上さんは門田氏のコメントを例えばこういう形で記事にしている。かつてボスも谷上さんと同じ時期に同じ媒体で仕事していたので懐かしいきもちに... ただし、お会いしたことはなく。
門田さんは戦後の貧しい家庭で育ち、奈良の天理高→社会人の倉敷紡績を経て、南海ホークス入り。重たいバットを振り続け、ただただホームランにこだわった。
そんな門田に当時の監督(選手兼任)野村克也は「ホームランを狙うな。あくまでもヒットの延長でしかない」と諭す。ある時は巨人の王貞治に頼み込んで門田の考えを改めようとしたが、無駄だった。それほど頑固で変わり者だった門田・・・。そんな性格だからこそ、大怪我をした後も復活し、大記録を打ち立てられたのであろう。 南海時代の後輩・藤本氏も証言。
引退後は家族とも断絶し、持病を抱えながら一人で暮らしていたという。家族(妻や子)はどこかでこの番組を見ていただろうか。だとしたら、どのように感じただろうか?
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最晩年の門田氏はテレビのプロ野球中継をみるのが日課だったという。
番組のさいご、門田が熱心に見つめているという選手の登場曲が鳴った。
「♪たららーらーらー、らら...」。
こ、これはもしや? そう。若きスラッガー、ヤクルトの村上宗隆だった。
(ここでボクは思わず号泣してしまう。なんかね、嬉しかったんだ。彼が最後に見届けたのがムネで、門田さんは決して孤独で寂しい老人ってわけじゃなかったんだって気がして。救われたような気がしたんだ...) 新たなホームランバッターの出現を見届けた翌年(2023年)の1月、門田氏は逝った。享年74歳。
ボスもいい歳になり、ようやく”不惑の大砲”のことを少し理解できたのかな。ひとえに、この番組と谷上さんに感謝である。
*おまけ*
「B級川柳」板山バージョン
昨年まで阪神にいた中日・板山祐太郎選手が、火曜の阪神戦で活躍したのを記念して3句、いきます!
①「板山が イタタタ痛い 恩返し」
・・・このネタ(板山→イタイ)、関西各局のニュースで多用されてました。
②「どうみても 板山 ”阪神顔” じゃない」
・・・わりとイケメンな板山くん。阪神顔(がお)とは以前カンテレの中継に登場した清原和博氏の造語。清原いわく、「中野もかわいい。阪神顔ちゃう」。
③「板山は どっか似てへん ヌートバー」
・・・ちょっと似てますねん。和製ヌートバー?(ヌー自体が和製ともいえるか)
(いじょー。実を言うと板山選手のことはよく存じません💦 今宵はT島田がスタメンで2安打! イエ~イ)