おとといはぐったりしていたママちゃんだが。きのうは朝から買い物に行けたようだ。夕方ボクが行った時はちょうど魚を焼き(鯛の塩焼き)、かぼちゃを炊いているところだった。最後にお味噌汁を作りながら、
「もう、ええ加減しんどいわ、毎日毎日。長いこと生きすぎた」。
これを聞いて、ボクは弱ってしまった。(そんなこと言わんといて~)
たしかに生きるって、生活するって・・・日々同じことの繰り返し。買い物して、ご飯作ってかたづけて。洗濯をして、干して直して。お風呂入って、髪をあらって乾かして。お風呂も便所も、使って汚して掃除して。若い時は体力があるから乗り切れた。50代のボスちゃんでもしんどいのだから(手抜きし放題)、90の老婆なら当然だ。だからといって、昔のおばあちゃんのように縁側でひなたぼっこしている老人はほぼいない。
自分のことをほぼ自分でできて一人暮らしをする(近所に娘がいる)。はたから見れば理想的なようだが、生き続ける本人にとっては相当苦行なのかも。そして老婆の本当のキモチなんて、実際にその年齢にならないと理解できないのだ。
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一方、福井では義母ちゃんの下肢が再び腫れ(エコノミー症候群の再発)、かかりつけ医に診てもらいに行った際、そのまま緊急入院となった。とりあえず24時間点滴で脚の血栓を治療している模様。困ったことに着の身着のままの入院だったので、携帯電話の充電器すら家に置いたまま。使い慣れた歯磨きセットや携帯ラジオなど、生活に必要なものを「取りに帰りたい」と切望している義母。
ボクが面会に行って、家の鍵を預かって→それらをうまく病室に持っていければ...と思ったのだが。(あと、病院の主菜=肉や魚が食べられない義母のため、好物の焼き芋を大量作成。枝豆やかぼちゃ、ぶどう等々 補食の準備もしていた)
聞けば病院の面会は15分が限度らしく。それでも行く予定で、病院のナースに予約を入れていた。それをナースから聞いた義母が電話してきた。「あした来るって聞いたけど、今回はやめといて。たった10分のためにお金かけて...」。ボクは「わかりました」と言うしかなかった。義母ちゃんには「早く治って...」とただ祈ることしかできない。
日頃から「早くお迎えが来んかな~」と事あるごとに言う、義母ちゃん。かたや「長く生きすぎた」と漏らすママちゃん。生きる”道しるべ”がこんなことでは、どうにも頼りないのだが。それはそれ、これはこれ、とボクらは前を向くしかない。
*おまけ*
たった今、テレビでみつけたそっくりさん。
女子ゴルファー「古江彩佳」vs 歌手&ミュージカル俳優「平原綾香」・・・どっちも「あやか」だっぺ。