昨晩も色々なことをやっていた。まるでビョーキですねぇ。笑っちまうですよ。業そのまんまを生きているのですなぁ。まったく。
昨日塾にバイトに行った。料理教室の後である。たった90分。楽しいものである。やらせていただけるだけで感謝である。
その後、家に帰って風呂に入った。そして、またまた旅のことで調べ物をしていた。インターネットや書籍で。行って見たいところは無限にあるからである。中国もまだまだ行っていないところがたくさんあるし。ま、中国はもっと年取ってからでもいい。近いし、時間もかからないからである。某大学大学院在学中は、論文との関係で絶体行ってみたかった。しかし、ボキの行きたいところは団体ツアーにはない。したがって、個人ツアーになってしまう。個人で行くとなると中国語は必須である。でも、中国語ができないから、それで中国語の勉強を始めたのだ。しかし、意欲と成果はリンクしているようである。マスターできない。まったくどうしようもない(^0^)。
寒くなると、南国に行きたくなる。とてもじゃぁないが、ボキが雪国の生まれだとは吹聴できないですなぁ、これじゃ。
だらしないこと限りなし。
それにしても寒いですなぁ。九十九里浜は冬温暖なのだが、今朝ボキンチのリビングで室温1度であった。これはこれは・・・・。エアコンはあるのだが、使っていない。灯油のストーブである。これが年金生活者には一番いい。経済的だからである。
雪国の方々には笑われてしまう。この程度で寒いだのなんだのとほざいているようでは、雪国には住めない。
よくまぁあんな寒いところで育ったものである。生きていられたものである。
でも、精神的にはありがたかった。耐えるということを知った。忍耐の耐えるである。これがあったから、苦学できたのだ。そう思っている。だいぶ人間的にはひねくれてしまったけど(^0^)。
来月の10日に千葉市で話をさせていただくのであるが、この資料も9:20完了した。合計でA3サイズ10枚ある。
原典を抜粋して印刷にかける。
房総が上代文学でどのように扱われていたかということからスタートしていくつもりである。
さらに中世、近世と広範な話になるだろう。パワーポイントで全部作っていると、原典資料の提示ができない。だから紙ベースで作ってみた。校注付きだから、聞いてくださっている方々にも参考になるだろう。さらに出典もである。
もっとも、この分野はまだまだ勉強中である。他人に上から目線で講釈たれるようなみっともないやり方はできない。そんな能力もない。そもそも学者・研究者ではないからなぁ。それくらいの恥は知っているつもりである。
なにかの参考にしてくださればいいと思っているだけである。
そして、ボキも勉強させていただく。
これがボキの「業」である。こだわっていることの一つである。
それしかやれることがないからなぁ。
わはははっははっはははっははははっは。
Bye-bye!