と~ま君のご隠居さん日記 

定年後生活を楽しんでいるジジイです。九十九里浜で生涯学習ごっこ生活を送りながら、健康長寿目指してイキイキと生存中です。

学校好きな我がご先祖様たちは、江戸時代当時世界一であったのだ。\(◎o◎)/!の日本であったのだ。

2018年01月09日 09時12分53秒 | ご隠居さんの流儀2018

しかも、先生たちはボランティアだったのだ。幕府に放任されていたからである。教科書も、机も、建物もなかったのだ。

 

 

江戸時代の寺子屋というのは、すばらしいシステムであった。当時の日本は、識字率世界ナンバーワンであったし、ともかく庶民の学校寺子屋というのがあっただけでもすばらしいことであった。

式亭三馬の「浮世風呂」に8歳ぐらいの女の子が、銭湯で風呂に入っているおっかさんに弁当のおねだりにくるシーンがある。江戸時代だから、自宅に風呂がある家の方が珍しい。

で、なんの用で銭湯におっかさんを迎えに行ったのかというと、寺子屋で弁当を食べたいから作ってくれという催促なのである。

おっかさんは、そばにいる友人(むろん女性)に「これだものこまっちまう」とグチを言うが、そばにいる友人もまた同じような悩みを抱えていた。「ハイ、もううるさくてなりません。いかなことでも、お弁当が遅いと宿(家)まで取りに参りますわな。そして、えっさらおっさらお師匠さまへ持って行って食べます」とこぼす。

弁当を作ってもらって手習いの師匠のところで食べるのをタノシミにしていたのである。

識字率もそうだが、就学率も世界一であったのが我が日本である。

それだけ江戸時代の寺子屋熱は高かったのである。このことは福澤諭吉が「通俗国権論」で書いているから間違いないだろう。

嘉永年間では、就学率が70~86%であったという調査もあるくらいである。この数字は江戸府内全体であったので、江戸市中で生まれればもっと高かったらしい。日本橋、赤坂、本郷などでは、女子の就学率も高い。

これに対して、イギリスでは1835年当時の就学率は20から35%程度、識字率に到っては下層階級で10%程度である。

フランスは、1793年に初等教育を義務化した。ところが、10歳から16歳までの就学率は10%程度であった。自分の婚姻届に署名できなかった人もたくさんいたという。署名できた人が37%というのだから、留学先にヨーロッパを選ぶ人も、うそ寒い思いになるだろうけど。

アメリカも識字率が低い。移民が盛んであるからだが、あれだけの金満国家でもあるから識字率も高いのかというと80%程度という調査もある。

全部モノの本で知ったことである。(大江戸ボランティア事情 石川英輔・田中優子著 講談社文庫)

 

我が日本はそんなわけで初等教育に関しては、実に熱心なのであった。

ところが、江戸時代の学校システムは現代の日本とまったく違っていた。それは、国家が管理していたのではなかったからである。

江戸幕府は放任していたのである。幕府は、教員免許を作ったわけではない。教科書も検定制度もない。幕府が関わったのは昌平坂学問所のみ。

これは日本全国に散らばっていた各藩も同様であった。藩校が官立の学校だった。ちなみにボキの母校も上杉藩の藩校であった。今の東大や有力私立大学よりも三倍くらい歴史がある。そんなことがなんの役に立つと叱られそうだが。

わははっはははっははっはははっははは。

江戸にあった手習いの塾は、つまり教えているお師匠様のボランティアであったのだ。自己負担である。自宅を開放して、今でいう8時から午後2時くらいまで教えた。他に収入があったから出来たのである。でないとなかなか出来ないのである。あまりにもささやかな収入では、それ専門で喰っていくことはできなかった。

むむむむむ。今のボキのようである(^_^)。

むろん国家に強制されたからではない。我々のご先祖様たちは、知りたいから知って、習いたいから習ったのである。誰に言われたわけでもない。困るのは自分自身だからである。農民も年貢をごまかされないために文字を知る必要があった。商人もそうである。そろばんがはじけないと話にならない。

江戸時代の教科書についても興味がある。いろいろ集めて楽しんでいる。

 

あ、もう1500字を過ぎた。やめよう。

「西郷どん」を見たから、触発されてしまった。

 

これくらいにしましょう。でないと一日中バカブログの打鍵をしていることになるから。

 

ヾ(@⌒―⌒@)ノ

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「西郷どん」が始まって、タノシミである。毎回録画をしていけるように、予約したけど。

2018年01月09日 08時17分22秒 | ご隠居さんの流儀2018

おもしろし、たのし、なぜなら西郷隆盛のドラマだからである。こんな番組をまたまたやってくれたNHKに感謝である。最近の大河ドラマは主人公がどうにもセコイと思わざるを得なかったから。千葉県の登場人物では、ドラマになりそうな大人物はいないだろうけど。

 

 

NHK大河ドラマ「西郷どん」を見た。第一回である。タノシミにしていた。なぜなら、西郷隆盛だからである。ファンだからだ。参考文献もボキの家にはかなりある。仕事をしていた時代にはリーダーのあり方とかという視点でもって、文献を熟読していたからである。

ドラマは西郷隆盛の幼少期をあつかっていた。これが良かった。実に良かった。

何が良かったかというと、薩摩の教育システムである。郷中教育のことである。

郷中とは、薩摩の島津義弘が起源である。郷中教育とはその郷中の中で行われた教育である。その後、島津忠良が完成させた47首の「日新公いろは歌」や、新納忠元の作成した以下の「二才咄格式定目」を教育の根幹としたのだそうな。

一.第一武道を嗜むべき事

一.兼ねて士の格式油断なく穿儀致すべき事

一.万一用事に付きて咄外の人に参会致し候はゞ用事相済み次第早速罷帰り長座致す間敷事

一.咄相中何色によらず、入魂に申合わせ候儀肝要たるべき事

一.朋党中無作法の過言互いに申し懸けず専ら古風を守るべき事

一.咄相中誰人にても他所に差越候節その場に於て相分かち難き儀到来致し候節は、幾度も相中得と穿儀致し越度之無き様相働くべき事

一.第一は虚言など申さざる儀士道の本意に候条、専らその旨を相守るべき事

一.山坂の達者は心懸くべき事

一.二才と申す者は、落鬢を斬り、大りはをとり候事にては之無き候 諸事武辺を心懸け心底忠孝之道に背かざる事第一の二才と申す物にて候 此儀は咄外の人絶えて知らざる事にて候

右条々堅固に相守るべし もしこの旨に相背き候はゞ二才と言ふべからず 軍神摩利支天八幡大菩薩 武運の冥加尽き果つべき儀(Wikiから引用)

 

どうだろうか?

今の教育にも通じるところがあると感じるのはボキだけだろうか。でも、現代教育が失ったものもずいぶんある。「一.山坂の達者は心懸くべき事」などというのは、まさにその代表であろう。山坂にさしかかると、現代教育は挫折させまいとこころ配る。そりゃ甘やかし以外のなにものでもない。山坂に出会ってもナニクソと頑張ってもいいのじゃよ。

それに今日から新学期のようである。現代学校が失ったものを実現したのが、郷中教育であったのではないのか。文武共にある教育である。

文だけを追求しているのが現代教育ではないのかとも思う。武の方も重要である。柔道とか剣道である。

それに薩摩の剣道は特異である。示現流である。あれは、現代剣道のような面小手胴というような部分がない。ひたすら、ぶったたくだけである。単調な動きではあるが、なかなかである。舐めたらアカンのである。

「一.  第一は虚言など申さざる儀士道の本意に候条、専らその旨を相守るべき事」というのも良い。「士」というのは、武士のことだけを言っているのではない。文官も含まれているそうな。西部邁先生によると。Youtubeに出ていらしてそう言っていたから間違いない。本人がそう言われたのだから。虚言なんぞやっていたら、そりゃぁ本分にもとる。人間失格である。

 

それにしてもタノシミである。

この大河ドラマの進展が。

もっとある。

第一回の冒頭シーンで上野の西郷隆盛像が披露された時に、奥方様の西郷糸さんが、「これは違う。こういうヒトでは無い」と言われた場面からスタートしている。このことは、ボキですら知っていたから、NHKに喝采である。よくやってくれたと思う。

奥方様を制止したのが、西郷従道である。これもまた楽しい。

これからどんな風に展開していくのか、実にタノシミである。

 

今日は今朝から九十九里浜からの海鳴りが凄い音を立てている。まるでジエット機の騒音のようである。

大河ドラマのスタートにふさわしい。

 

(=゜ω゜)ノ

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1月8日(月)のつぶやき

2018年01月09日 06時13分08秒 | ご隠居さんの流儀2018
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/