と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

今日も中学校に

2010年03月11日 20時12分37秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 今日も中学校に参上させていただきました。
 3校ほどですが。
 本校の進路状況を説明させていただきました。
 
 中学校の卒業式が近いので、若干の不安を抱きながらでありました。

 成績のこと、部活のこと等々たくさんのお話をさせていただきました。勉強も、部活も、就職も、進学もできるという共学化の創業のポリシーを引き継いだことがようやくご理解いただけたと思っております。

 まだまだですが、ね。守成の身としては。

 ようやくある程度の独自性を持つことができたのだと感じています。
 人まねは誰でもできますから。

 本当に何度も書いていますが、ここまでの改革をしていただいた先生方に感謝しています。

 卒業生の頑張りもそうです。
 本当に「努力を称えたい」のです。

 人生のどこかでこの3年間の体験は役立つものとなるだろうと思っています。

 わたくしも、米沢の高校を苦労してやっと卒業させていただいて、本当に良かったと思っています。不勉強で、ついて行くのもやっとでしたから。おっと、ついて行ったと思っているのは錯覚かもしれませんね。あまり同窓生と会っていただけることもないのですが、皆立派に活躍されている。

 あの3年間の体験があったから、どんなことにも耐えられるわけです。鍛えの度合いが半端ではありませんでした。数学だけで3時間やれと先生がおっしゃるのですから。武道もです。柔道部でありました。高校の後輩に柔道全日本のコーチがいるくらい武道の盛んな高校でした。

 しかし、鍛えの時を持つことが、それが若いうちであったなら、本当に大切な時間の過ごし方として有用だと思っています。

 時間をいかに使うかということが、人生の基本なのではないでしょうか。
 今を生きるとかを説かれる方もおられる。
 論語の孔子も同様な発言をしておられる。
 非常に大切なことであります。
 同じような発想であると感じるからです。
 
 最近は、やや違った発想の下、いろいろメモをとっているのですが。
 これについては、60過ぎてからレポートにするつもりでありますけれども。

 要するに年代年代にあった学習をしていけばいいと思っています。
 今、ここに書くわけにはいかないので。
 
 ですから、個人としてあるテーマを追求していくことが、様々な文献を漁りながら、今までとは別の分野や可能性に挑戦していきたいと思っておるのです。そうすると実に楽しい。夢を見ることができます。じっとして、何もせず、**落ち葉と言われることのないような年の取り方をしていきたいものであります。

 学習ばかりではなく、無理のない範囲で、スキーにも挑戦したいと思っています。50年以上やっていますが、リラックスしたゆったりスキーというのもまたいいものではあるまいかと思っています。湯沢に90歳のスキーヤーがおられます。マンションに一人住まいで、月曜日から金曜までゆったりスキーを楽しみ、温泉に入り、スキー場が混んでいるときは論語を読んでいるそうです。

 なんともまぁうらやましい限りです。
 仙人のように生きておられる。
 今、一番お会いしたい方でもあります。
 本当に。
  


 
 ではまた明日!
 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

素直にうれしい

2010年03月10日 20時21分59秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 進路の朗報が続々と来ています。
 素直にうれしいと思っております。

 就職も相当数市内にできました。
 なかなか順調でしたし。

 まだまだ課題も多い学校ですが、ほんとうに素直に喜んでいます。努力家の多い学校だなぁと思っているんです。数を誇っているのではありません。数だけなら、全国にはものすごい進学高校がたくさんありますから、ね。

 しかし、卒業生の努力ぶりは、わたくしも見習いたいくらいです。
 「努力を称えている」のです。
 「進学実績」を傲慢に誇っているのではありません。

 努力の点では、わたくしなぞ、本校生徒のようにはいかないですが。

 卒業式で来賓の方から資格をとりましょうと言っていただきました。
 たいへんにありがたいアドバイスでありました。その来賓の方は、たしか司法書士という難関資格をお持ちだったと思います。

 人生の先輩からそういうことを直接お聞きすることができるわけですから、学校は実にありがたいものであります。

 幕張にある放送大学にも時々出かけまして、いろいろなお話を聞く機会があります。校長会で生徒指導のご指導も受けておりますし。

 やはり直接お会いしてご指導を受けることがとても大事だと思います。
 有形無形の影響をいただくわけです。
 あくまで、「いただく」わけです。

 指導を受けるのが当然というのであってはなりません。
 本当は教えたくないのかもしれませんから。
 笑い話のようですが。
 ですから教えていただくだけで、本当にラッキーなわけです。
 学習の仕方も真似して盗むしかないのかもしれません。
 そういうのを公開されている方もおられるから、今の世の中実にありがたいかぎりであります。

 ハマトンという人の「知的生活」なる書物もそのたぐいでありました。
 英文学者の外山滋比古先生もいくつか書いておられる。
 その雰囲気がなかなかいい。

 こういう生活を送りたいものだとずっと思ってきました。
 まだまだ先生方の心境に到達できるほど実力がありませんから、わたくしの学習法など公開できませんが。

 しかし、卒業生たちから後輩たちへ、どんなことをやったのかということは伝えることができるわけです。

 今月、卒業生からそういうポイントを教えていただく会を企画しております。わたくしも参加します。楽しみです。実に楽しみ。

 わたくしのこれからの生涯教育にも役立つのではないかと思っているからです。わたくしだって、まだまだこれから成長していくんです。まじめにそう思っていますよ。



 ではまた明日。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

固定観念を変える

2010年03月09日 20時36分15秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 考え方を変える、固定観念を変える、発想を変える。
 
 こんな文章が好きです。学級担任をさせていただいていた時代に、生徒のこころが分からずに、失敗をしていたからです。勉強を重ねるにしたがって、このようなキーセンテンスで書かれた書物をよく読むようになりました。講義も受けるようになりました。

 しかし、担任として、行動と心理状態の把握に苦しみました。なかなか困難な歩みでありました。今でもそうですが。詳しくは絶対に書いてはなりませんから、これくらいにします。

 しかし、この時代に、苦労して学んだことが、どうやら定年後に追求すべき課題としてわたくしの目の前にあらわれてきました。若い時代には考えもつかなかったテーマです。青年期ばかりが教育ではありませんでしたし。
 
 ありがたいことであります。

 生涯、教育とはご縁があるようです。

 何かの課題を持って、いろいろと情報を仕入れて、それをアウトプットしていくことで、得たものはたくさんありました。独学が多かったのですが、最近は師匠を持つことの喜びがあり、教育というものはありがたいものだとしみじみ思います。

 直接先生から有名無形の影響を受けているわけです。

 書物ばかりではなかなかわからない世界です。

 学ぶことの意義はそこにもあるようです。



 固定観念を変えるという言葉が特に好きです。
 「・・・・・しなければならない」という縛りにわれわれは、影響をされるからです。ビリーフとも言うのだそうですが、ちょっとしたことで悩みも解決するかもしれません。

 興味があったら調べてみてください。

 なかなかの専門分野が広がっていますよ。

 そちらの学問を選んでも悔いはないくらいの深さもあります。



 今日は、ふとそんなことを思いました。

 また明日。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いくつか訪問を

2010年03月08日 20時12分14秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 今日は学区内の中学校様をいくつか訪問させていただきました。
 入学試験ではお世話になりましたから。
 時間が許す限りうかがいますが、もし失礼の段がありましたらご容赦を。

 中学校では、卒業式予行を、あるいは予餞会をしておられました。
 楽しそうです。
 いいものですね。

 初めて教員になったときの中学校にも行かせていただきました。
 きれいな学校でした。

 今月はこのブログの更新が非常にきつい状態になります。
 なにしろ、学校は年度末が最も忙しいからです。

 また新しい年度が始まります。
 準備しておくことが増えます。

 しかしながら、中学校の校長先生には、県銚の卒業生の進路について本当にこころから喜んでいただきました。

 進学も、就職もありがたいほどの進路状況であります。

 卒業式でも感謝申し上げましたが、本校先生方のお力なくしてこれはできませんでした。もちろん頑張った卒業生の努力あってのことであります。

 
 感謝です。
 本当に感謝しております。

 すべての方々に、です。

 
 むろんこのブログに来ていただいた方々にも。
 一昨年の6月から始めたのです。
 そして、11万の閲覧数をいただきました。
 これもまた非常に感謝しております。

 まだまだ不十分な広報です。

 こんなものしかできませんが、学校を理解していただきたいと思うばかりであります。


 また明日。

 
 

 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

卒業生へのメッセージ

2010年03月05日 20時31分16秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
はじめに
 平成十九年度に共学校に移行して、初めての男女あわせての卒業生を送り出すことになりました。感無量の思いであります。
 このよき日に、来賓ならびに保護者の皆様をお迎えし、ここに千葉県立銚子高等学校第五十六回卒業証書授与式を挙行することができ大変喜ばしく感じております。またその喜びを一九三名の卒業生の皆さんと共に分かち合いたいと思います。
 来賓ならびに保護者の皆様にはご多忙な中にもかかわらずご臨席をたまわりありがとうございます。壇上からではありますが、厚く御礼申し上げます。

保護者への挨拶
 保護者の皆様、本日はお子様のご卒業まことにおめでとうございます。この三カ年の間、成長していく姿を楽しみに、こころあたたかく育まれ、本日の卒業式を迎えられたこと、お喜びは如何ばかりかと拝察申し上げます。そして、今日までの本校教育へのご理解とご協力に対しまして重ね重ね御礼申し上げます。

学校の思い出
 さて、卒業生の皆さん、今日までの努力、精進、頑張りに心から拍手を送ります。ここに集う一九三名の一人一人がしっかりと積み上げてきた集大成が今日の卒業式であります。
 本校は、明治四十四年(1911)四月十日に、海上郡立銚子実科高等女学校として誕生いたしました。明治と大正時代の境目であった時代でもありました。また、この数年前から現在の有力私立大学が、続々と大学に昇格していった時代でもあります。
 以来百年の歴史を刻み総計で二万七千人を超える幾多の俊秀を輩出して参りました。この同窓生の力は、まことに大きなものであります。どうか、県立銚子同窓の誇りと絆を大事にしていただきたいと思います。
 そして、これまで見守っていただいた保護者、指導してくださった先生方、同窓会、PTA等関係するすべての方々に、感謝の気持ちを忘れることなく、これからの人生を雄々しく生きていってください。

 我と汝の思想  
 さて、今まで卒業生の皆さんには、多くの機会をとらえて、講話をしてまいりました。原稿も印刷してお配りしました。これが最後となりますが、はじめに我と汝の思想ということから入ります。ブーバーというドイツの哲学者の著作にも「我と汝」という著書があります。相当難解な文章ですけれども、一言で言って、対話の精神ということでもあると理解しています。
 なぜこれを言いたいのかといいますと、あまりにも寂しい現実があると感じるからであります。対話が、自分と相手だけになっているからです。自分と自分との対話も十分重ねていただきたい。内面性をもっと重視していただきたい。
 いわゆるキレるとか、思いという言葉が流行したり、思いつきの瞬間瞬間でご都合主義で生きているのではないかと感じるからであります。
 きちんとした、まともな議論ができるように、美しい言葉を使い、考えることです。それが対話を可能とします。対話は論理的思考の基礎にもなります。どうか、瞬間の激情におぼれることなく、一貫して論理的思考を求めていってください。それが、いい人生の基礎ともなります。

 社会的役割について
 また、皆さんは、学校という時間・空間の世界の中で「役割」を学習してきたわけです。
 発達教育学で言うと、人間は誰しも、「役割」を背負って生きて参ります。幼いときには、「重要な他者」である保護者の方から愛を受け、人として生きるための役割を学び、幼少年時代には共に時代を過ごしたギャングエイジと言われる仲間たちから役割を学び、育ってきたわけであります。役割を獲得し、役割を学習し、役割の実現を図ってきたわけです。

 社会的役割を果たしていくことが、発達するということであり、成長するということであります。どうかこのことを肝に銘じてください。

 まだ考えられないと思いますが、高齢になっても、人間は役割の中で生き、社会的発達をしていかなくてはなりません。社会的発達が完了したのではありません。まだまだ伸びるのです。可能性を追求していかなくてはなりません。わたくしも皆さんもです。家族を持ったから、成人したからといって、完全な人になったのではありません。周囲の方々に学び、謙虚に学習をしていってください。自己満足の世界に浸っていてはなりません。
 まだまだです。まだまだこれからです。十八歳ですべてが決まったわけではありません。これからも成長していけるのです。自分の役割を自覚して、おおいに世の中のために活躍してください。

 独自性を発揮
 特に、皆さんの学年は共学化の初年度の学年でもありました。この厳しい現実の中で、実に工夫された高校生活を送られました。
 すべてが新しく、学びのシステムを構築して、非常に優れた学校生活の送り方を考え、三年生の先生方を中心として、実践・実践・また実践で過ごされました。
 三年生の先生方に、心から感謝申し上げます。これほどの教育的な営みをなされたこと、まことにそれは教育的叡智というべきものであります。誇るべきことであります。次年度以降も継続して実践させていただきます。ほんとうにありがとうございました。
 近隣にない大きな特色を持った高校になったと自負しております。
 皆さんは、先生方の姿を通して、工夫すること、改善をすることというのがどういうことであったのかを身をもって知ることができたのではないでしょうか。

 更に学べ
 これからの皆さんは、高校という世界から、大学や短大、専門学校、あるいは会社・自営等の職業生活の中で、社会的な役割を持って、活躍しなければなりません。それは「広くて複雑」な世界です。高校までの単線型世界ではありません。
 ですから、これまでの知・徳・体の活動で得た財産をさらに伸ばすことであります。卒業というのは、これからも学ぶことのスタートでもあります。
 世の中には何があるかわかりません。いつもいつも順調にいくとも限りません。分析も必要ですし、対応を考えることもしばしば出てきます。
 世の中に出てからが、むしろ長い長い勉強生活のはじまりであります。
 傲慢であってはなりません。これでいいという自己満足はありません。
 あらゆる世界が勉強の連続であります。トライしてください。あくなき挑戦をしていってください。

最後に
 本当に皆よく頑張りました。
 よい生徒ばかりでした。
 大きな大きな財産を残してくださいました。
 ありがとう。
 本当にありがとう。
 立派に成長したあなた方をこのようにして立派に送り出すことができました。誇りに思います。皆さん、健康に気をつけて頑張ってください。
 名残は尽きませんが、以上をもちまして卒業式の式辞といたします。


平成二十二年三月五日

千葉県立銚子高等学校長 
           外 山 日出男



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

つつがなく進展していく

2010年03月04日 20時49分58秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 今日も、まったく追いまくられておりました。
 卒業式予行、表彰式、面接、外部諸機関との連携。

 内容はちょっとご勘弁ください。

 いろいろあったのですが、ね。

 合格発表もありましたし。
 
 つつがなく進展していくことを願っております。

 それだけです。

 本当に、それだけ。




 しかし、人間というのは特性として、完全だと思う事がすきなのでしょうかねぇ・・

 あ、これは一般的概念としてですよ。
 お間違いなく自分自身への嘆きかもしれませんから。

 


 このブログ、好きなように書いてみたいと思います。公立高校の校長ではできないのでしょうね。

 大阪の浪速國學院高校の校長先生のブログを毎日見させていただいていますが、本当にうらやましい。確か、今、沖縄の修学旅行に行っておられる。現地からブログを書いておられる。その量も質も半端ではない。

 最近出色のブログではないかと思います。

 政治も、経済も、信念も、宗教もなんでもかんでも好きなように書いておられるのです。非常にうらやましい。自己を語ってもおられる。わくしは、なにもできません。語るべき自己もない。自己という概念もない。

 無色透明ではいかがなものかと感じます。当然、わたくしだって、新聞も読みますし、テレビのニュースも見ます。しかし、時事問題にはまったくふれないのがおわかりになると思います。このブログでは。

 できないのです。
 まったくできません。

 関心はあるのですよ。
 
 当然。

 難しいところです。
 実に難しいのです。

 ですから、思いつきでベラベラしゃべるようなことはしたくないのです。
 自分の底の浅さがばれてしまいますよ。
 まったくそう思います。 
 経験上。


 明日は卒業式です。
 式辞も随分書き直しました。

 まだまだ勉強不足です。

 校正をすればするほど、訂正の連続であります。

 ただし、明日は、卒業生へのわたくしからの最後の授業でもあります。

 これだけの成果をあげた卒業生に、おもいっきり語りかけたいと思っています。

 ちょっと花粉症で、鼻がぐずぐずとなってきたのが気がかりですが。

 また明日!



 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本当に努力家

2010年03月03日 21時09分19秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 今日はいろいろな会議があり、卒業式も近く、多忙を極めました。

 このブログも家に帰ってから書き始めるのですが、メールをチェックしたり、これはこれでなかなかのものであります。

 あまり自分を追い込むタイプではありませんので、実感を伴わないのです。忙しいというのが。ですから、この点だけは実に冷静であります。中には、質的なものが伴わないで、忙しいを連発される方もあります。世の中は観察をしていくと実におもしろいものであります。

 うっかり、2月は28日までしかないのを忘れていて、定期にとっている教育雑誌3冊を、思い出したので受け取りに行ってきました。さっき。もう月をまたいでしまっていました。店主と長いつきあいですので、笑ってしまいました。お互いに。

 その雑誌をめくっていましたら、大阪の高校の先生が大阪教育大学大学院夜間コースを卒業した時のことが書いてありました。現職の先生方で、教職大学院に行く方はたまにおられます。しかし、いかに地の利がいいと言っても、そのやる気たるやすばらしいものがあります。

 世間には本当に努力家がおられるものです。

 これは真似できる分野と、そうでない分野とあります。
 わたくしなど後者であります。
 ただし、憧れだけではもったいない。
 人知れず、どこかで勉強している方々はおられるのですから、地道に努力なさいませ。どこでどう役立つかわかりませんよ。本当に。こんなことを言っているわたくしも、どこかで隠れて勉強していたりして。

 
 問題は、自慢屋でしょう。
 なにもしていないのに、やたらと自慢する人。どこの世界にもいますよね。人間は誰しも、自分だけエライと思いがちでありますから、これは人間の宿命なのでしょう。言い争いになるのも、これです。自分だけエライと思っているから、反論されるとキレる。ハラが立つ。そんなときは、相手の言うことをじっと聞いていて、論理的な矛盾を発見している方がもっと楽しい。感情的になる人ほど、地が出ますから必ず破綻する。人間観察にもなります。

 人間観察の大家が、ビートたけし師匠。
 この方は、東京芸大大学院の先生でもあります。大変な勉強家でもあります。その方の著書に人間観察を書いてある部分があって、実に爽快な気分になりました。山手線で、人間観察をずっとしていたんだそうです。豆ノート片手に。そのメモが、ネタになっていったのだそうです。

 見えない努力。
 これです。
 まったくこれです。

 頑張りましょうね!
 また明日。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

モリー先生との火曜日

2010年03月02日 20時24分59秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 NHK出版から1998に「モリー先生との火曜日」という本が出ていました。一度買ってざっと読みましたが、当時はまだわたくしがこのような本を読む心境ではなかったので、書庫に入れておくこともないと感じて、手放してしまったのです。ところが、縁は異なもの。再度古本チェーンから100円玉と5円を足して、安価でまたわたくしのところに戻ってきました。

 社会学の教授であるモリー先生が難病になられて、亡くなるまでの期間を大学の教え子である作者と交流をしたという作品です。

 今度は、よく理解できました。
 加齢のせいもあるのでしょうが、なかなか読みごたえのある作品でした。恩師の最後の授業には、教科書はなく、単位ももらえません。毎週火曜日にジャーナリストである作者と、死の床で「人生の意味」について語り合うという文章です。
 
 印象に残ったのが、「死するまで教師たりき」と墓石に彫ってと老教授が言われる場面はすばらしいと思いました。

 クルマのこと、家を買うということ、結婚まで話題が及んでいます。

 あまり書くと、著作権を侵害しますから、これくらいにします。



 最近、通勤のクルマの中で、老年看護学というMP3の講義録を入手しましたので、聞いています。15時間あります。
 
 つまり、上記の書籍と関連するわけです。看護学の大学の先生が講義をしていらっしゃり、素人のわたくしには実にありがたい。そして、そこには発達教育学が出てきますから、どんなに加齢を重ねても、発達はできるということであります。あまりに専門的で、ついて行けないのですがね。

 実際、わが身もお世話にならならないといけないのですから、他人事ではありません。

 くりかえし出てくるのが、生涯を俯瞰した発達教育でありました。予想通りでありました。幼児期、少年期、青年期、壮年期、老年期とあるわけですから。いい経験をさせていただいています。

 まだまだ不勉強ですから、学ぶしかありません。本当に知らないことが多すぎます。看護学のこともそう。なにも知らない。世間には、ほんとうに学ぶべき対象がごろごろ転がっていて、しかも、格好をつけて専門外だからと言って逃げていたと反省をしています。教育とも密接に結びついていることすら気がつかなかったのですから、なんという懶惰な人生でしょうか。


 ビルマの竪琴という小説があります。
 肩に鳥を止まらせながら、ビルマを歩く姿が印象的です。

 モリー先生はちょっとだけそれに触れます。
 肩の鳥に聞いてみたいとおっしゃるのです。
 今日かね?と。

 何を聞きたい?
 それはこの本を読むしかないようです。
 


 また明日!
 
 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

立派に修行されて

2010年03月01日 20時19分58秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 昨夜は、柔道教室の小学校6年生の卒業を祝う会でありました。
 この日はジムに行けませんでしたので、運動がてらブラブラ隣の駅まで歩いておりました。そしたら、指導者の先生(高校柔道部監督時代の教え子)から見つけられてしまって、強制的に会場まで連れ去られました。かなり早く着いてしまいました。ウオーキングもできませんでしたが。

 それにつけても、あんなにちっこかった、かわいい表情の幼児たちが、中学校に入っていくわけです。また、中学になっても道場に稽古に来て、この4月から高校に入って行く子どもたちも来ました。

 いいものです。じつにいいものです。それぞれ、立派に修行されて、保護者の方々のご期待に応えて、志を新たにして、新天地にスタートするわけです。

 指導には直接関わっておりませんから、わたくしのことを知っている保護者もあまりいません。土曜日に来て気合の入っている変なじいさんくらいしか認識がないと思っています。一番わからないのが保護者のお名前。子どもたちの名前を言っていただいて、やっと結びつきました。笑い話のようですが。

 こういうのは子どもたちの成長ともいうのでしょうけれども、わたくしは、また一つの事象変化が現れたと理解することにしています。

 すべては、時間とともに変化をしていくわけであります。不変のものはありません。

 反面、こちらはそれだけ歳をとっていくわけです。

 そして、忘れられていくわけです。たまに、思い出して、そういえばそんな人いたっけなぁと。

 そんなものだと思っています。

 しかし、ともかく祝いの行事です。それはそれでまことにめでたいことであります。

 指導をなされている先生方は感無量であったでしょう。

 柔道部監督時代の教え子も指導者にいますので、わたくしとしては、むしろそちらの方がうれしかったわけです。立派な指導者になられたなぁ、と。あとは邪魔にならんように、隅っこで寝技でもやっているしかありません。たいしたことはないのですから。もう、40代のように、ベンチプレスで130キロも上げていたのが信じられません。変わり果てた姿でありまする。これもまた笑い話のようなことですがね。


 

 
 お祝いの会に出席する前に、県立図書館で、本をお借りしました。工事がはいるのでしょうか、ちょっと長期に借りられるということを聞いたものですから。

 5冊ほど、お借りすることができました。
 「死生学」(東大出版会) これはシリーズで出ていますので、全部読んで、ノートにも取りたいのですが、とりあえず第1巻だけを。

 「アクティブエイジングの社会学」(ミネルバ書房) これもわたくしの課題ですので、読破します。ちょっと難しいのですが、ノートを取りながらだと可能でしょう。

 キューブラー・ロスの「死ぬ瞬間」という本も。
 
 そして家の汚れた書棚を見たら、フランクルの「苦悩の存在論 ニヒリズムの根本問題」があったので、これも読まなくちゃならんと次から次への本との転戦。

 実は一貫したテーマを持っております。
 
 レポートを書きたいからです。

 師事させていただいている先生との約束であります。

 教育との関連項目でありますから、教育界への恩返しにもなります。当然、在校生諸君にはいろいろな場面で、ちょとだけにはなりますが、お伝えしたいと思っています。

 退屈しないわけだなと思いました。

 幼児たちと適当に運動させていただいて、スポーツジムにも通い、駄文を書き散らしているのですから。なにしろ柔道もただの4段ですし、文学でも素人同然。小説も書いたことなく、短歌も俳句もできません。茅屋には、家族に叱られるほどの雑書があるだけで、床が危なくなってきました。溜まるだけの雑書。置き場がないからです。

 それでもありがたいと思っています。

 これもまた周囲の方々あらばこそであります。家族も含めて。
 感謝です。
 感謝する以外ありません。

 

 また明日。
 
 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/