と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

クチ減らしで、奥州から出てきたんだけど、今では感謝している。ナントカここまで生きてきたからである。

2019年02月16日 09時11分09秒 | とーま君の流儀2019

尾畠春夫さんの子育て論というのは実にすばらしい。確か、一男一女に恵まれておられるはずである。ちゃんと学校も出してあげて、きちんとした職業にもついておられるという。ご自分はクチ減らしで、奉公にだされてしまったが、やることはやってこられたのだ。

ボキもクチ減らしで、苦学した。東京に出てきてしまった。大学の学部に入ったからだ。クチ減らしをしたという意識は、ボキの親父にはなかったのかもしれない。しかし、結果的にはそうなったのだ。

恨んだこともあった。親父を。ボキの高校は県内でも有数の進学校であったから、こんな形で(新聞配達)大学に行ったのはボキだけである。ずいぶん同級生たちに同情された。もっと良い形で進学できないのかということを言われた。なかには、別の大学に行き直せというのもいた。ありがたかった。

しかし、ボキは感謝しているのである。卒業した大学学部にもである。高校の同級生たちにもである。心配かけたなぁと思っている。ありがたいかぎりである。

でも辛かったときもあった。朝晩かならず新聞は配らなければならないからである。今でも夢に登場してくる。順路帳という配る順番のメモがあって、それを持って苦心している夢である。

葛飾区であったから、小規模団地が多い。5階くらいの。入り口は全部別であるから、いちいち登ったり降りたりしなくちゃならない。

で、思っていた。こんな団地みたいなところには住みたくないって。新聞配達に迷惑だって(^0^)。

それは冗談だが、それにしても苦労は人間を鍛えてくれる。

だから性格的にはずいぶんひん曲がった人間になっちまった。なにをいまさらである。それでもありがたい体験であった。世の中の人間がなにを考えて生きているのか、よくわかった。

学歴とか、血筋とか、保有資産とかそんなもんばかりが支配しているとシミジミ知らされた。実際は、そうではなかったのを知ったのも、苦学したからである。人情とか、親切とかを葛飾区の方々に教えていただいたからだ。夕刊配達していると、親切なおばちゃんがたくさんいて、いろいろと話もさせていただいたっけ。どこの学校行ってんの?とか会話も弾んだ。

大卒というのが欲しくて苦学したのであるから、しょうもない話ではあるが。

そんなもんより、ずっと大事なもんがあったのだ。

学歴がなければないで、やれることはたくさんあるということである。ボキの場合は教員免許が欲しかったから、やれることの最低条件は大卒であったというだけである。それだけの話でしかない。

それで苦学したのだから、逆に神様に感謝している。

世の中の裏も表も十分に味わいつくした。

ボキの若いころの、アホみたいな青年男女のように遊び惚けているわけにはいかなかったが、納得している。恋愛なんてやったこともない。およそ、くそ真面目なおもしろくもなんともない人間だった。

もっとも、勉強するために苦学したのである。時間がもったいなかった。ゼニもないし。新聞店の給料が入って、ゼニがあったら、文庫本を買いに神田に行っていたし。ドストエフスキーなんか、全部文庫で読破したのだったなぁ。なつかしい。今となっては、ドストエフスキーを文庫で読破するなんてぇことはできない。老眼になっているから(^0^)。

そういう体験が今の複数のバイト生活を支えてくれている。

昨日、塾に他のアルバイト申告書を出した。マイナンバー制度で全部把握されているだろうから、なにを今更である。しかし、書いていて思った。大学、高校二つ、塾、交通安全講話、教育専門出版社の原稿書き等々のバイト生活を支えてくれているのは、18歳から22歳までの4年間の体験であったのだ。

ありがたいかぎりである。もう一回新聞配達して苦学できるかとなると、もう勘弁していただきたいと思うだけだけど。


わはははっはははははっはははっはははっはははっはははっはははっはははは。


(^o^)/~~~

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