波高しくらいでいい。これでいいのだ。これで。人生万般、暇だとろくなことはないからである。
「敵艦見ユトノ警報ニ接シ 連合艦隊ハ直チニ出動 コレヲ撃滅セントス、本日天気晴朗ナレドモ波高シ」とは、東郷平八郎が丁字戦法を使ってバルチック艦隊を破った時、秋山参謀という人が東京にこんな打電をしたそうだ。
まさに、けふは天気晴朗ナレドモ太平洋の波は高い。九十九里浜は、陸地はなだらかであるが、波は高いのである。荒々しい。ちなみに、映画会社の東映で必ず出てくる冒頭のあの岩にぶつかって砕け散る波のシーンは、銚子で撮影されたものである。波が砕け散ってから、会社名の東映という文字が浮き出てくるあのシーンである。
山形県にいた少年時代の頃に、この冒頭シーンはどこなんだろうと不思議であった。こんなところが日本にあるんだろうかと長い間思っていた。そしたら、今は終の棲家となった九十九里浜であったのだ。不思議なものである。
だから行ってみなくちゃわからんのである。
なんでもそうである。
西部劇の舞台となったアメリカモニュメントバレーもそう。行ってみて初めてわかったことがたくさんあった。去年。
だから、ボキの怪人紀行は続く。今回はイタリア怪人紀行をしてみようと思っていたが、葬儀ができて行けなかった。再度チャレンジするけど。
それまではおとなしくしている。
国内の怪人紀行は、やる。相変わらず。
ダレも行かないような秘湯めぐりもやる。
もういいではないか。リタイアしたのである。ダレにはばかることがあろうか。近所くらいである。はばかるのは。留守にしますからと言っておかなくちゃならんからで。
今更である。
今更、リーダーシップを発揮してボランティアにチャレンジしようなんていうのは、やめた方がいい。そもそもボランティアというのは、個人の篤志に支えられているものであって、リーダーシップとかの上下関係は持ちこまないことである。それと金持ちに特に多いのであるが、エラそうに、上から目線でモノを言わないことである。ナントカライオンズクラブとかロータリークラブとかの類いの輩にいるからだ。田舎の中小企業の社長だからと言って、うぬぼれているとせせら笑われる。所詮バカは、バカだと開き直っていればいいだけである。
そんな相対評価の世界にいつまでも生きていると、死ぬときに後悔する。
さよならだけが人生である。
別れは必ずくるからである。
死がお互いを分かつからである。
いつまでもくっついているわけにはいかないではないか。
心中をする男女がいるが、あれこそ論理的に破綻している。ましてや、お互いの手と手を縛ってあの世に行くなんて、ナンセンスである。自分だけのことしか考えていないから、心中なんかやっちまうのである。
稀代の駄作「失楽園」という映画もそうだ。黒木***という女優の濡れ場で話題になったが、アレはなんのためにやっていたのかね?
バカの極みである。見ている方がである。ボキも後学のために見たけど。笑った。実に大笑いをした。それに時間の無駄であった。
ま、時間の無駄というと、ボキの人生は無駄ばかりである。
けっして他人のこたぁいえねぇのだが。
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今日も、葬式の後処理でご多忙である。
これでいいのだ。これで。
人生万般、暇だとろくなことはないからである。
じゃぁ~~~~~。
さよなら。