と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

退屈だなぁ~、まったく毎日退屈・・・・・旗本退屈ジジイになってしまったよん

2016年02月19日 08時35分35秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

退屈しているから、日々をなんとか愉快に明るく過ごしていきたいと思っているから、こんなアホなバカブログを書いていられるのである。バカは所詮バカである。治らないが・・・トホホ

 

 

決まり切った生活が嫌だとか、堅い仕事は自己実現のさまたげになるとか、もっと自分はアタシはフリーランスで生きていきたい、自由人でありたい、組織のしがらみにとらわれたくないという発言をたまに聞くことがある。

たしかに、話をしていても、決まり切ったワンパターンの話しかできない方々も多い。それはある意味仕方のないことである。仕事とか生活環境からの影響があるからだ。生育歴と言ってもいい。

だから退屈してしまうのである。そう、ボキのような人間みたいにである。ボキの書いているブログは、まさにワンパターンであり、堅い生活しか送ってこなかったから実に退屈千万、旗本退屈男である(なんのこっちゃ?)。

さらに退屈しているから、日々をなんとか愉快に明るく過ごしていきたいと思っているから、こんなアホなバカブログを書いていられるのである。バカは所詮バカである。治らないのである。それだけは確実に言うことができる。

しかしである。

周囲の高齢者と話をしていても、なかなかオノレのバカさ加減を自覚している方がいない。

むろん、ボキはそのことを指摘して注意をしてあげることはない。黙って見つめているだけである。今更、もう訂正できないではないか。今までの生き方を、あるいは性格を。そうやって選択してきた結果、今があるんだから。

ただ、他人の欠点指摘型の高齢者は、他人に「教えたがり症候群」の傾向があることは間違いない。ジジイや、ババアになって、急に教壇に立ちたがっている方々にお目にかかるからである。

中国語然り、学習塾然り、老人大学然り、老人クラブ然りである。他にもいっぱいあるだろう。

老人大学でも、コンピュータを教えてやるから、老人大学のコンピュータクラブに入らないかと言ってくださった方がいた。速攻で断った。なぜか。もうボキの場合は、アタマが腐っているからである。新しい知識は御免蒙りたいからである。

中国語然り。あまり話せないのに、初級コースのボキに教えてくださる方も多い。中国のことについても、大連ってどのあたりにあるんですかねぇ~?ってわざと質問すると、実におかしいくらいに教えてくださる。ありがたいではないか。ボキは、中国に一回しか行っていなのだから、よく知らないのであるから。マジに。

老人クラブでもそうだ。健康を害したから、宴会に行けない、だから退会したいと言ったらじゃぁ酒の飲み方を教えてやるからと言われた。これはボキだって他人に教えることができるほど、あびるほど飲んだからである。

わははっははっははっはははは。

人って、自分の得意な分野を指導したがるのである。それを確認するのも、また楽しみである。それにそういう方々を、言い方は悪いが、良い意味で利用させていただくのも老後のタノシミであるからで。

(^-^)/

でも、あれか。

退職後に、現役時代の職場に出かけていく輩もそうか。後輩の現役世代に、あれこれとアドバイスをしているつもりで、既に時代遅れになっていることにも気がつかないで、でたらめ体験談を後輩達に指導してオノレだけ得意がっているのが今までいたからである。ボキはそんなこたぁ絶対しない。当たり前である。

そういうのを、「老醜をさらす」というのである。

老醜というのは、「老い」と「醜さ」という字から成り立っている。そうなのである。老いは避けられない。時間が老いをさらに老いへ追い込んでいくのだ。これは否定しても否定できない。誰だって、ジジイやババアになっていくのである。アンチ・エイジングというのがあるが、結局無駄である。誰だって老いるのである。そして、誰だって死んでしまうのだ。

醜さということは避けることができる。

これは意志の問題とからむ。しかも密接にからむ。他人にしてほしくないことは、他人にもやらないことである。これが基本だろう。後輩にいろいろと指摘していたら、後輩が嫌がっているのがわからなくなる。そういうジジイやババアになっちゃいけない。

今日は、東洋一の巨大病院で再検査である。今回は、二ヶ月ぶりになる。

だんだん行かなくてもいいようになりたいもんだが、無理だな。無理。

一病息災というのがあるが、今までが今までだったから、病気になったのだ。油断である。そうなのだ。薬一粒すら飲んだことがなかったのが、今ではたくさん飲まされているからで。

年齢相応になっちまったのだよん。

 

さ、これにてそろそろ巨大病院に行ってまいります。

(^.^)/~~~

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2月18日(木)のつぶやき

2016年02月19日 06時07分19秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

目連救母劇の本場である福建省に行ってみたいが、一人で行くには、中国語ができないといけない。行ったはいいけど、迷子になって、あっちで死んじまってもしょうがねぇではないか。さりとて、中国に一緒に行っ... goo.gl/fCW0Ij


やはり去年の記事で、九十九里浜を空から激写! goo.gl/WwDjFx


現実には、そんなものは存在しない。かつても存在しなかったろうし、これから先も存在しない。しかし、そういうものについて考えたり、それをことばにしたり、地上にそういうものが宿ることのできる場所をつくっておくことは、人間という生き物の生き方にとっては、とても重要なことです。

Waishan Richunanさんがリツイート | 4 RT

試しにおかしくもなんともないときに、アハハっと笑ってごらん。 笑うにつれ腹が立ってくるとか、悲しくなってくるとか、辛くなってくることは、絶対にありゃせん。 これは実は大変な宇宙の哲理なんですぜ。 宇宙の仕組みがそうなってんだ… bit.ly/1fZDcVw

Waishan Richunanさんがリツイート | 2 RT

【九州・精霊流し】長崎県を代表に、九州各地の海辺に近い場所でのお盆に行われる伝統行事である。初盆を迎えた故人の家族らが、盆提灯や造花や供物などで美しく飾られた精霊船と呼ばれる船に、故人の霊を乗せて、「流し場」と呼ばれる終着点まで運ぶ pic.twitter.com/iFW5mtIQHQ

Waishan Richunanさんがリツイート | 8 RT

お互いがこうして働くのは、人間の生まれついた役目なんです。どんな身分になろうと、健康である限り、働かなくてはならないようにできています。これ、人間として生まれた者に与えられた大きな恩恵であり、慈悲であります。 bit.ly/17VD2uN

Waishan Richunanさんがリツイート | 3 RT

紀元前2世紀から6世紀まで存在した、テオティワカン文明の中心となった巨大な宗教都市遺跡 テオティワカン (Teotihuacan) - メキシコ pic.twitter.com/A1nxFbHpnO

Waishan Richunanさんがリツイート | 15 RT

Retweeted 美しい風景 (@beautiful_img):

紀元前2世紀から6世紀まで存在した、テオティワカン文明の中心となった巨大な宗教都市遺跡 テオティワカン (Teotihuacan) - メキシコ... fb.me/P65qYYJK


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/