ジュリエットオスカー634受信ブログ

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調べれば、見えてくる 静岡編2

2014年08月27日 20時50分57秒 | その他
続いて、静岡朝日テレビの社史から、静岡第3局目について。
だんだん、新聞社は自社ニュースを電波を使って流すことを考える。
静岡地区では3局目をめぐっては朝日VS読売の2大勢力対決が軸だ。

東京と名古屋には4局あるのに中間の静岡は2局しかない。
電波格差として、テレビ静岡開局後間もなく次の開局要望が高まる。

特に浜松では「テレビの創始者、高柳ゆかりの地に本拠地を置く局を」
としたスローガンがあったそうである。
1973年10月チャンネルプラン修正案発表。
静岡県に新しい局の開設が認められる。
新しいチャンネル案では広島と宮城の4局目、
静岡、長野、新潟の第3局目開設を認めた。

新潟や長野でも朝日・テレビ朝日系と読売・日本テレビ系の
取り合いとなったらしい。

この頃に、NETテレビ(日本教育テレビ)は教育局から総合局に
変更することを認められ、1977年にNETから全国朝日放送(通称・テレビ朝日)
となる。

申請合戦
この3局目の戦いでは申請者集め合戦となった。
知人にも申請者になってもらうなど、ネズミ講のような方法で
増やしていったそうだ。
もちろんこの中にテレ朝派と日テレ派がいる訳である。

これ以後、申請合戦という方法は各地で当然のように
行われるようになった・・・と記されている。

これらの申請の一本化のため1978年まで開局が遅れることになる。

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